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アダム・スミス『国富論』5(2024年6月27日)

アダム・スミスの隠れた考えの中に、「未開の社会」では非労働者をまかないきれないというのがある。一方で、発展した国では働いていない人を十分にまかなうことができ、より幸福に暮らせるといっている。確かに、現代の日本のような国は分業がかなり進んでおり、障害者や高齢者や子どもをかなりの数養うことができるほどになっている。これはすごいことだろう。

私も一障害者としてだいぶ日本にはお世話になっている。過去の国であれば、切り捨てられてもしかたなかっただろう。それをアダム・スミスは説明しようとしているのではないか。確かに『国富論』はずいぶん前、18世紀に書かれた書物だ。しかしそれは時を超えるものであって、発展するメリットを語りかけてくれる。

もっといえば、発展していなかったらと考えてほしい。人口と発展は必ずしも相関関係にないため、貧しい人が多い国というのも存在する。とはいえ日本も貧しいかもしれないが、やはり十分発展はしており、多くの働けない人を助けているのだといっていい。しかもこのことは、私の主張する、「一部の優秀な人が多くの凡人を養っている、一部の優秀な人が決めることに逆らうべきではない」というのに整合的だ。構造的に多くの人は役立たずであり、役に立っているという考えは間違っている。とはいえ不要であるとかそういうのではない。ただ、一面から見える事実はそうであるに過ぎない。

だから、現代でもこの本を読むのはだいぶ有益だといえる。ただ凡人には覚え切ることができる内容ではないだけだ。ここが難しいところで、うまく要約してくれる本がないだろうか。いまある解説本は、曲解しているものが多い気がする。ここが一番の課題だといえるので、私はなぜか『国富論』をちびちび読んでいる。

(続く…)

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