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ネタバレとは何か

小説はネタバレという概念があるが、それ以外の本にはそういうものはなさそうである。むしろ読まずに内容を知りたいとさえ思っていそうだ。小説では一番いいたい部分は、語られる場合隠されるのが普通だ。一方、それ以外の本は要約され、一番いいたい部分がむしろ語られる。それなら人は何のために本を読むのかと問われそうだが、確かにその問いは解決しておく方がいい。というのも、読まなくてもいいという人が最近多いからだ。本は人間を維持するのに必要なものだ。文章は普遍的で、主知主義的で、理性的だ。動物には本は読めない。AIは読めるかもしれないが、AIとは人間の道具である。道具とは目的ではない。

ところで、小説はなぜネタバレをしてはいけないのだろうか。一つには、小説はエンターテインメントであり、楽しみには驚きが必要だからという理由が考えられる。推理小説や探偵小説、ミステリーの要素が入った小説は、最後の方まで読むと仕掛けがわかって、驚かされ、楽しく読める。わかりたい、驚きたい、そういった気持ちを利用している。最近の娯楽小説にはそうした要素が大抵入っている。それは人が本を読まなくなってきていて、少しでも感情を利用しないと読んでもらえないからだ。文学はもしかするともう終わったのかもしれない。となると人間も終わりそうだが、人間は動物としても生きていける。残念ながら、世界破滅とは人間がいなくなることであって、ヒトがいなくなることではない。

要するに、読む気が失せることがネタバレをしてはいけない理由といえる。これに納得すると逆に小説以外の本がネタバレといえるような一番いいたい部分を要約して話される理由がわかる。それはやはり本を読みたくないからである。冒頭の2つの問題は結局一つの理由からだといえる。みんな読むことなどしたくなく、自動的に読み取りたいと思っている。実際もはやデリダのような論も時代遅れだろう。人はもう読むことさえしなくなったのだから。

しかし本を読んでみると作者が一番いいたい部分でないところに心を動かされたりすることがある。それは議論とは違うところに変な反応をしているわけではなく、つながっている中で思わず出てしまった魂に精神が気づき、感動している状態である。だから読書家、それも本当の読書家は本を読むのをやめられない。読むとはつながりをつなげることだといえるが、それをしつつ、精神は違う反応をすることができる。情報伝達が読むことだと考えるのは浅はかといえる。だからネタバレなど本当はないのだ。

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