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天気の子が刺さる大人になりたくなかった

高校2年生の夏、天気の子を地元の小さな映画館で観た。
僕たち2002年生まれの世代は中学2年生とかいう最も多感と言っても過言ではない年に「君の名は。」を知った。同じ監督の最新作ということで天気の子の公式ツイッターは公開前から毎日チェックしていたし、「セカイ」という言葉がやたらと強調されるスペシャル予報を毎日聞きながら学校へ通った。

期待が最高潮に達したところで当時付き合っていた彼女と公開日当日に見に行ったんだけど、結論から言うとあまり楽しめなかった。
「犯罪が多すぎる」「東京を海に沈めただけで世界を変えたは言い過ぎ」みたいなまあ、大衆的な批判を友人たちとしていた気がする。

始めたばかりのツイッターで感想を探すと「原作はゼロ年代のエロゲ」とか「セカイ系の新海誠が帰ってきた」とか、高校生にはいささか難しい感想が多かったものの、とあるツイートが僕の目に留まった。
「「天気の子」は大人になり切れていない大人に刺さる作品だと思う。」
そんなことがあるだろうかと思った。前作で250億の大ヒットを飾った男がここまでターゲットを絞った作品を書くことが。

そして僕は大人になった。18年間住んだ静岡を離れ中央線沿いのアパートで一人暮らしを始めた。20歳になっても高校の頃付き合っていた彼女の影を追う日々を送り、すずめの戸締まりの上映に先立って行われた天気の子のリバイバル上映へ赴いた。
そこで見た帆高の行動は高校生の時とはまるで違う印象を受けた。自分勝手に犯罪を繰り返していた訳でもなく、東京の街を大げさに「セカイ」と表現していた訳でもなく、彼はただひたむきに好きな人のことだけを見続けていたのだ。

僕は大人になり切れていなかった。好きな人に対してすらどこかで妥協し、自分勝手になれなかった。この人の為なら世界を犠牲にしたいと思える恋もできなかった。
変わってしまった世界で生きていくことを受け入れた2人の姿が、今では何よりも輝いて見える。

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