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この日がいつか来ると思っていた!

こんにちは。つむぎです。

  何からつぶやいたらいいか、頭が混乱してしまっています。
いつかは、こんな日が来るんだって、思いながら、日々を暮らしていたけれど、実際その事実に直面する日が到来したが、義母はたった2週間足らずで根を上げた。

原因は…

  今月の2月9日の木曜日に、夫の両親の通院に付き添う約束をしたんです。
いつもの定期検診と軽い気持ちで付き添ったのですが、事態は深刻でした。

   夫の両親は80代ともう高齢です。今まで大きな病気もしていなかった義理の父が、80歳の声を聞いた途端、胃がんを発症し胃を全摘した。闘病生活をしながら食事からの栄養を取るのもままならないのに、次は脳腫瘍と病にむしばまれ、休む間もなく大きな手術をすることになった。悪性腫瘍の胃癌は全摘をすることで、転移も無くすべての腫瘍を取り除けたのですが、その後に発症した脳腫瘍のは、全てを取り切ると言うことが難しかったので、悪性部位を取り除いた後、抗がん剤治療を行いながらの生活を余儀なくされました。

  毎月の抗がん剤の服用のために受診をしたのですが、今回の定期受診でMRI、血液検査とすべての検査を終えて、診察室へ呼ばれたときに、説明されたのは、腫瘍の再発でした。

脳腫瘍が再発していました。

  6ヶ月前のMRI検査には、再発の傾向は見られていなかったのに、2年4ヶ月の抗がん剤治療もむなしく、脳腫瘍は義理の父の脳に再び現れました。

   診察室で告げられたのは、6ヶ月の間に腫瘍が大きくなっていて、思ったより進行が早いので、抗がん剤は効いていないと言う説明でした。それに付け加えるかのように、何の心構えもできていない私たち家族に、医師が余命宣告を告げてきたんです。

  私は31年前に、実の母を癌でなくしましたが、母が亡くなった当初は、診察室で突然本人に告知をすると言う事はしない時代だったので、義理の父へ診察結果は残酷でした。

『厳しい事をいいますが、
今年の秋を迎える事ができるか、
良くて年を越すことが出来ればと
思っておいていて下さい。』

とのことでした。


  腫瘍が悪さをしてどんどん衰えていく義父と、現実をまだ受け止めきれずにいる義母の口喧嘩が耐えません。

義母は、両親の介護に携わった事が無いためか、見たことも無い義父の行動に、パニックを起こし混乱されています。夫が間に入って話しても、事が大きくなるだけで、収集がつかなくなり、更に義母を追い詰めてしまう状態です。


こんな時が来るとは心のどこかでは思っていましたが、余命宣告の告白があまりにも突然すぎて、家族全員がまだ受け止められていない状況です。


  それでも、義両親は私が介護福祉士という資格者である事で、認めてくれて居るからなのか、困った時は連絡が来ます。

『死』を目の当たりにした義父は、これからどうしたいのか、また義母や私達はどうしたらいいのかを、手探りしています。

  義母はカラダが小さく30kgしかありません。そんな細身の義母では、左麻痺が出ていて、10kg多いこだわりが強く少々我がまな父の介護は、どんなに負けず嫌いの義母でも、上手くは行かないようです。

どんどん左麻痺が進んで行く、義父の介護中に、義母は腕の筋を捻ったのか?骨折したのか?痛めてしまったようです。
腕を痛めたという連絡が入り駆けつけた私に義母が言った言葉は…

『私もう限界、無理😭』
                       と涙ぐんでいました。

  義父の為に、自宅での介護をやろうと頑張っていましたが、思ったより進行が速く、左の麻痺が進むばかりで、2週間足らずで限界が来たようです。

  ティッシュ1枚取ることもしない、自分で何もしようとしない義父の介護には、限界があります。何もせず全てを義母にやらせていた生活が、日常になってしまっていたのは、何でも義母が手を貸してしまい、自分以外のやる事が気に入らない義母のこだわりで、義父は何もやらない人にしてしまった。

  夫婦の関係も、子育てと同じで手をかけすぎると何もできない人になり、やらない人になってしまいます。昭和の時代の男性は、外で稼いで給料を入れていればいいと言う考えの人が多い結果、自分が大きな病気をすると、全く何もできない人になります。

  男女にかかわらず、自立と言うことができなくては生きていけないと感じました。そんな夫婦の関係を作らない為にも、夫婦のあり方は見直さなければならないと感じました。


 


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