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スポーツをみつめて

「ナイスキー、もう一本もう一本!」
10月18(水)。
秋風による自然のエアコンが入る中、体育館内は熱気に包まれていた。
人々は天を仰ぎ、柔らかくも乾いた球体を見つめる。
次の瞬間
「ポフン」と乾いた球体から発せられた声を聴き、
天を仰ぎ終えると同時に、さらなる熱気に包まれていく…。


はじめに

こんにちは。
大学院生のしろです。
研究の箸休めということで、覗いてくれた方ありがとうございます。

先日行われた大学院生協主催のレクリエーション大会のご報告。
体育・スポーツ哲学を専攻する者として今大会を振り返りたいと思います。

レクリエーション大会を終えて

私が所属する大学院で、レクリエーション大会が開催されました。
年に1回、院生たちの交流や研究の息抜きが目的で開催される本大会は、今年も、各コースから約70名の方が参加し、大いに盛り上がる大会になりました。

大会パンフレット表紙


レクリエーションとはいえ、その内実は8人制ソフトバレーボールです。
コースごとに6チームに分けられ、3チームでの総当たりリーグをし、順位を決めたのちに、全体での順位決定戦がおこなわれました。
本大学院の特性上、年齢や体力、運動経験がばらばらの方たちが所属しています。コース内でもはじめましての方がいれば、他コースの方とも同チームになるので、多様な人たちと交流できることはありがたいです。
日ごろ、どうしても似たような生活になりがちな院生にはとても.…。
したがって、゛多様なあつまり゛ということが今回のポイントになりそうです。

多様な身体のあつまり

スポーツの価値の1つには、人と人をつなげる媒介物になることがあげられるでしょう。少しお堅くすると「自己ー他者」を了解するともいえる価値が、そこにはあります。
スポーツを行う人たちは、実に多様な身体を備えています。
これまでの運動経験や生活、さらには文化が異なります。
いかにして、多様な身体がスポーツ内で交流するのか。
かなり壮大なテーマが見えてきます。
1つの足掛けですが、スポーツ経験による得意・不得意の視点からみてみましょう。
私たちはスポーツなるものを学校での体育や部活動、自主的な活動などにより経験していきます。特に、学校ではみんなで行うことからどうしても得意・不得意が浮き彫りになります。
不得意な場合どのような感情を抱くでしょうか。「やりたくないな。」
しかしながら、
今回「私、不得意なんですけど」と恥ずかしそうに参加していた方がいました。他者に誘われて参加したかもしれませんが、最終的に選択したのは自己であり、行うのは自己の身体です。
つまり、スポーツには、得意・不得意に左右されず、場へ足を運ぶ求心力があるといえます。この点に、スポーツは多様な身体をあつめることができるのではないか。さらに、身体は多様な他者との交流を求めるのではないかと考えることができます。

結びにかえて

大会での疲労が抜けつつある今日。
改めて、スポーツを行う身体について考えることができました。生涯スポーツや身体教育について哲学している立場からすると、大変、思慮深い大会になりました。
大会を開いてくださった運営の方々、ならびに当日のお手伝いしていただいた方々に感謝を申し上げます。
スポーツは行うだけではなく、支える存在も不可欠です。
このことに関しても機会がありましたら、議論したいと思います。

以上

集合写真


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