メディアは”有効”に使いたい

私が20代半ばの頃、初めてとある編集部に入ったときに持った感想は「フリーランスで生活している人ってこんなにいるんだ!と思った。

新卒で入社した会社に3年務めて、1~2年フリーターっぽいことをして編集部に入社した。その頃、「ノマド」というワードが出てきていたころで、長期的に見ても(結婚とか子育てとか)そうゆう働き方がしたいとぼんやりおもっていた。

実際に入社したときに「フリーライター」「フリーカメラマン」「フリーデザイナー」がたくさんいて、「本当に、自由に仕事して稼いで生活成り立ってる人いるやん!」と思って驚いた。

そして今、私も「フリーランス」になった。働き方としてはすごくいいけど私も年を重ねていてたまにしんどいなーと思う。とにかく情報量が今多い。

あの頃から10年がたち、「ライター」と名乗る人は山のように増えた。珍しい人種じゃない。ネットメディアも生まれては、消え、数を増やし、「更新」されたものを皆が眺めている。自分には関係のないことだ、と思いつつも、「情報発信」に対する憧れもなくなった。

「暮らしの手帖」という雑誌にこんなことが載っていた。

惑わされないで テレビ番組が芸能人の出産を伝えていました。結婚式から始まり、妊娠中のシーンや生まれたばかりのかわいい赤ちゃんを迎えるシーン。ストーリー仕立てで、「出産」がそこにいたるプロセスも含めて、「究極の商品」になってきた、と思ったものでした。 ~中略~でも、人の営みって商品なのでしょうか。
 大正生まれのおばは、戦前の”産めよ増やせよ”の時代の、大家族の長姉に生まれた人でした。母親を早くに亡くした一家には、おばの下に五人の弟妹がいて、彼女はごく当然のように母親代わりとなって、生涯を独身で過ごしました。~中略~ いつも明るい彼女は、ほっぺたがりんごのようにつやつやしていました。気ままで、ちょっと自分勝手なところもある人だったので、その明るさは、ムリして、とか、強がって、とかいうのではありませんでした。つまり健康だったのでしょう。
 彼女の好奇心の発露は、一人で出かける旅にありました。そして、小さな旅を予定していた朝に、ぽっくりと亡くなりました。傍らには、簡単な支度をまとめた旅行かばんがあったそうです。
 おばの人生には、結婚、出産はおろか、恋愛なんていうものの欠片もなかったと思います。マスメディアからの情報も、世の中の流行も、まったく縁がありませんでした。でも、元気でしあわせだったのです。
 マスメディアとそれから新たに登場したネットメディアは、今日も毎瞬間「人生を充実させましょう」「そのためにこれをしましょう」と、さまざまなメッセージを送ってきます。さすが商売だけあって、「あなたの人生にはこれが欠けています」と言われると、つい惑わされそうになりますが、でも、それらはしょせん他人の欲望です。だから、そうゆうものは、いったん、すべて無視しましょう。普通に生まれて、普通に生きて、普通に楽しい。そういう人生が、私たちにはあらかじめ約束されていると思うのです。

暮らしの手帖 2013早春62号 「すてきなあなたに」

誰かに認められたい!という気持ちは誰にでもあって、私にもある。
だけど、他人からの評価って別にそんなに重要じゃなかったりする。

メディアはうまく使うべきで、使われる側に回るのは辞めよう。


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