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「意味のないこと」の意味

斎藤幸平と養老孟子の対談がyoutubeに上がっていた。

「脱成長」を唱える斎藤幸平氏。週休3日制や、年収の上限を決めたり、資産に税金をかけるなどを具体策として挙げている。競争社会の渦に知らず知らずのうちに巻き込まれている自分。その可能性は十分にある。

この対談では、エネルギーや食糧、生活のほとんどを海外依存している我が国日本の危うさについて語られ、東京一極集中の在り方について考えさせられるし、地震の話とか、養老孟子さんの虫の標本の話とかも出てきてすごくおもしろかった。

最後に、結局養老孟子さんが「ばらばらに好きなことをやったらいいんだよ」と言っていた。


コテンラジオの深井さんも結局のところ「好きなことをやったらいい」的なことを言う。自分も好きなことをやっているだけだから。というような。https://coten.co.jp/services/cotenradio/

そして、昨夜たまたま再度開いた「天才たちの未来予想図」の成田悠輔さんの章で『「何の意味のないことに」精を出す』という見出しが目に入ってきた。

そこで私は、「何の意味もないこと」をやってみようかと考えようと試みた。のだが、まず浮かんでこない!!!

そして一晩越して思いついたのが

・町中にある棒をたたいてみる
・公園の芝生の草の本数を数える

この程度だった。結構考えた結果が上記の2つ。
この2つは、胸を張って意味のないこと!と言える。し、そもそも思い浮かばなかった。

「町中にある棒をたたいてみる」は2年生になる娘を小学校に送っている時「意味のないことをしようと思うんだけど、何があるかな」と相談した結果。「電柱をたたく、とか?」と答えてくれたから思いついたこと。実際に叩いてみたら結構面白かった。

電柱は硬かった。歩道と車道の間にあるガードレールは、硬いが、電柱ほどではない。横開閉する校門は軽い。両側に開く車が通れる門はカーンという音がする。素材に違いや、それがそこに使われる理由について考えることになった。

「意味のないこと」もこれがまた、youtubeにあげようとなると話が変わる。結果を自分に求めてしまう。出来栄えとか、人からどう思われるとか。競争社会のステージに上がってしまう。

「この意味のないこと」の追求については引き続き取り組んでいこうと思う。さすがに、公園の芝生の本数を数えるのは無理なのだが(実際に数えるなら、持って帰ってきて、重量で図るとかかな…なんて考えは広がる)

「野菜はスーパーに売ってるのに、野菜を作る」とか
「発表する場がないのに、ピアノを猛練習する」とか
もしかしたらそうゆうのでもいいのかもしれない。

「意味のないこと」はきっといつか役に立つ
「意味のあること」はその場で消耗されてしまう

もしかしたら、そうゆうことかもしれない。
し、そうじゃないかもしれない。


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