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ボトルキープ

昨日、寝不足で割と早く床に就いた。その所為か夜中の3時に目覚めてしまった。かといって完全な覚醒という感じでもなく、二度寝することもできずウツラウツラして朝を迎えた。
まあ、そういう事なんだろう、屹度そういう事に違いない。

我が家に70年ほど前の古い扇風機がある。
羽根から何から鉄でできた、重く厳つい三菱のペパーミントグリーンのアンティークファンだ。Occupied Japanの銘が何処にも見当たらないことから1952年4月以降の製品と言うことになるだろう。
タイマーこそ付いてないけれども、風量調節も首振りもできる。だからと言って、日常使いするかと言われれば、その気にはならない。
ファンガードに網など付いてないので安全性が極めて低い。誤って指でも突っ込んだ日には大惨事だろう。こんなものに指を持って行かれるのは御免被る。
また、こういうものを飾って眺める高尚な趣味も、私は持たない。その上デカい重い邪魔臭いで物入の奥で埃を被っている。

この箪笥の肥やしは、数年前にTさんから譲り受けたものだ。
彼とは彼是十数年来の付合いになる。彼は私より十も二十も三十も年上なので友人と呼ぶのは烏滸がましいが、気心の知れた仲であるのは間違いない。

そんなTさんが、ある日私の元に持ってきたのがこのオンボロだ。
「カッコいいだろ。だけど動かないんだコレ。治せる?」
通電はしているが動かない状態であった。こういう古い扇風機が動かない原因は、オイルやグリスの枯れや固着が割と多い。根気強く何度か注油し可動部分を指で動かしてやるといい。そうしている間に油が可動部に染み渡りスムーズに動くようになる。そうなったら、電源を差しスイッチを入れると再び動き出す。勿論それで駄目な重症ケースもあるが、幸いコレはそう言った軽症の部類であった。

動いたことを告げると、Tさんは嬉しそうに自宅へ持って帰った。
家では書斎に飾って、時には動かしそれを眺め、将又、酒の肴に一杯やったりしていたそうだ。
斯様に、Tさんのお気に入りだったこのポンコツだが「また、こんなもの持って来て」と奥様に大目玉を食らったのだそうだ。
そうは言われても捨てるには惜しい勿体ない、と言うことで何故か私にお鉢が回って来たのだった。Tさん曰く「要らなきゃ売ればいいよ」と。

実は先日、ある方から是非お譲りいただきたいと奇特な申し出があったのだが、その時どうしたものか、私はその申し出を断って仕舞った。急に惜しくなったとかそういう事ではない。自分でもよく分からないのだが、手元に残すことにした。使い道もなく、持っておいても仕方ないのだが。

そして昨日、私は前述通り二度寝できずにウツラウツラしていた訳だが、その朝6時ころ携帯にメッセージが入った。
それは、Tさんの甥っ子からのものだった。

――3月16日土曜日午前3時5分、T逝去

ああ、そういう事なんだなと思った。
虫の知らせと言うのだろうか、その寝苦しさから変な時間に目覚めたのだろう。実は私が気付かなかっただけで、Tさんは私の夢枕に立っていたのかも知れない、そう思ったのだ。

厄介で邪魔くさく古い小汚い扇風機。そんなものが今となってはTさんの形見である。
数十年か数年後か将又明日になるか分からないけれども、私が三途の川を渡るその時まで持っておこうと思う。
いざその段になったら、私はそれを持って川を渡るのだ。そうして、向こうでTさんを見つけたら、突っ返してやる。
それがいい、そうしよう。

棚を端から正して行かん杉並の宗安寺

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