マレーシアのイスラム勢力の公共領域における影響力
イントロダクション
こんにちは、こんばんは、おはようございます!Renta@マレーシアから国際関係論について考える人です!今回は、マレーシアのイスラム教がどのようにマレーシアの世論を形作っていくか見ていきます。
というわけで、今回のnoteのメリットは以下です。
公共圏・対抗公共圏という概念について知ることができる
マレーシアにおける公共圏の状態について知ることができる
それでは、始めていきます。
公共圏と対抗公共圏
今回のnoteを理解するために必要なのが、公共圏という概念です。
コトバンクでは、「政治・経済権力から独立し,誰もが参加できて自律・合理的な議論が可能な、世論形成のためのコミュニケーション空間」と定義されています。
世論形成の場
政治や経済の影響力から自由である
この2つが公共圏の特徴です。
公共圏と並んで紹介される概念として、公的領域と私的領域があります。この2つはまさに政治と経済に対応するのです。つまり、公的領域では政府や法などの政治が、私的領域は消費や営利活動などの経済が繰り広げられる空間なのです。
ちなみに、公共圏のアイデアを提唱したのはドイツ人哲学者のユルゲン・ハーバーマスです。ハーバーマスは17~18世紀ヨーロッパのコーヒーショップにおいて貴族たちの熟議によって、上記のような公共圏が生まれ、近代的な精神もそこで高まったと主張しています。
ハーバーマスは19世紀以降、福祉国家や資本主義の拡大によって公共圏が公的領域と私的領域に飲み込まれつつあることを嘆いており、公共圏の復活を目指しているのです。
ただし、ハーバーマスの公共圏の概念には限界もあります。それは、公共圏への参加可能性が限定的であることです。前述の通り、ハーバーマスの公共圏の背景は近代ヨーロッパの貴族たちです。つまり、自由主義的であり、教養がある市民であることが公共圏の参加資格です。
逆に言えば、そのような資格を持たない人間は公共圏に入ることができないというのが、ハーバーマスの暗黙の前提です。しかし、世論形成の場である公共圏において、教養がなかったり自由主義的でなかったりするだけで、排除されてしまっていいのでしょうか?
むしろ、多様な意見がある中でいかに社会全体の意見をまとめていくかが世論形成の肝であるはずです。
このような観点から、政治学者であるナンシー・フレイザーは対抗公共圏を唱えました。公共圏なので世論形成の場ではあるのですが、様々なバックグランドを持った市民たちの参加資格が認められているところが異なります。
ハーバーマスとフレイザーの比較は以下の表のようにまとめられます。
今回はマレーシアの世論形成を見ていくので、フレイザーの(対抗)公共圏の方が合っています。
イスラム社会における伝統的な公共圏とその性質
さて、最近のnoteで何回か言及しているのですが、イスラム教は政教分離というものがありません。言い換えれば、公的領域と私的領域の区別が曖昧なのが、イスラム教の特徴です。
これは何故かというと、コーランやイスラム法に私的領域から公的領域まで教えや戒律が書かれているからです。加えて、イスラム教は行動主義の宗教です。つまり、信仰心は行動でしか測ることができません。だから、イスラム教は原則的には、コーラン及びイスラム法の遵守によって回るのです。
しかし、イスラム教が成立したのは7世紀初頭のアラビア半島です。ということは、時と場所が違えばイスラムの教えと合致するかどうかわからない状況が現れます。例えば、コーランには飛行機に関する記述がありません。もし飛行機のある要素がイスラムの教えに抵触しそうならどうするか。イスラムの教えを現代に合わせて解釈するが答えです。
つまり、伝統的なイスラム社会の公共圏においては、どのようにイスラム法を解釈するかが世論形成にあたります。だから、重視されるのはイスラム法学者や教団などになります。
具体的には、ウンマというイスラム教徒たちの共同体があります。その中からウラマー(イスラム法学者)が出てきます。ウラマーはマズハブという学派を形成します。ウラマーの中でも、レベルが高く宗教体指導者とみなされる者はムフティーと呼ばれ、統治者にアドバイスができます(ファトワー)。
このように伝統的なイスラム社会では、イスラム教徒たちの共同体をベースとして、イスラム法の解釈やそれによる行政のチェックが公共圏で行われるのです。
現代マレーシアの(対抗)公共圏
上記の伝統的なイスラム社会に対して、現代マレーシアは世俗化されています。だから、少し図式が異なります。
具体的には、「イスラム教を始めとする宗教や民族をコントロール下に置きたい国家」に対して、「マレーシアのイスラム化を進めたいイスラム勢力」が世論形成を図っているということが、現代マレーシアの公共圏で起きています。
まず、マレーシアは世俗国家なので世俗法である憲法がイスラムの教えより優位にあります。これは、マレーシアにある宗教がイスラム教だけではないので、統治上当然かもしれません。
加えて、報道、印刷物および出版法第13条1項では以下のようにあります。
また、同法第13条A第Ⅱ項では
とされています。この法律を背景として、オペラン・ラランと呼ばれるジャーナリズム弾圧事件が起きました。この事件では、100人以上のジャーナリストや活動家が逮捕されました。
オペラン・ラランは最近の出来事ではないので、現在はそこまで規制が厳しくはないと思います。しかし、現在でもファトワーという「イスラム教の教えに関する質問に対する回答」を刊行できるのは、政府に認可されたイスラム法学者(ムフティー)だけです。
つまり、現代マレーシアでは公的領域(政府)がイスラム教の公共圏を飲み込んでいっているとう流れがあります。もちろんこれに対する流れもあります。つまり、公共圏が公的領域を飲みこむということです。イスラム教の文脈で言えば、マレーシアのイスラム国家化です。言い換えれば、前節で見た伝統的なイスラム社会にマレーシアを近づけるということです。
公共圏から公的領域への流れは、ダァワ運動と呼ばれる草の根の布教運動に代表されます。マレーシアのマスメディアは規制があって、イスラム教の教えについて詳細に書くことができません。だから、地元のモスクなどに集まって説教を行ったり、イスラム国家を目指す運動をしたりするのです。
まとめ
マレーシアのイスラム教は1つの公共圏を作っています。そして、ダァワ運動などを通して、マレーシアのイスラム化という世論形成に寄与しているのです。具体的には、与党のUMNOは漸近的なイスラム化を80年代から進めています。これは、野党のPASがより過激なイスラム化を志向しているためです。そして、これらのバックグランドにはイスラム化を望む公共圏があります。
ハーバーマスが言うように、公的領域の拡大によって公共圏がなくなってしまったのではなく、むしろ公的領域と公共圏は互いに作用し合っているのがマレーシアの現状です。最後までお読みいただきありがとうございました!
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