見出し画像

権限無くして責任なし。でも影響力は存在する立憲君主制

こんにちは、こんばんは。おはようございます!Renta@マレーシアから国際関係について考える人です!今回のテーマは立憲君主制です。実は、私が留学しているマレーシアも王様を戴いています。同時に、マレーシアは民主制を採用しており、選挙を通して与党・野党が決まります。それでは、いわゆる立憲君主は皆お飾りなのでしょうか?今回のnoteは、立憲君主制一般の性質を通してこの疑問に回答しようと思います。

イギリス王室と憲法

イギリス憲法について

立憲君主制は「君主の権力を憲法によって制限している政治形態」のことを指します。最初の立憲君主制はイギリスで生まれたとされています。

イギリス憲法というと、「イギリスには憲法がないのではないか?」という疑問も生まれるかもしれません。この疑問には、「イギリスには統一的憲法典はないが、憲法はしっかりと存在する」と回答できます。

この回答を明らかにするために、まず憲法とはそもそも何かを述べます。憲法は英語でconstitutionです。constitutionの動詞形であるconstituteは形成するとか形作るという意味です。つまり、constitution(憲法)とは国を形作っているもの、国家の構成要素のことを指します。これを固く言えば、国家体制や国体です。つまり、憲法とは国家の構成要素を指します。

統一的憲法典とは、そのような国家体制が1冊の文書に文字化されたものを指します。日本国憲法は統一的憲法典を持っています。それに対して大日本国帝国憲法は、憲法典と皇室典範を並立で運用していたので、統一的憲法典を持っていたとは言えません。

イギリス憲法は「我が国は古代から王様の権力を抑え、民主主義を高めてきた」という歴史を大事にするものです。それを行政・立法・司法の分野にそれぞれ適用したものと捉えることができます。

イギリスの憲法(国家の構成要素)は、以下から構成されます。

  • 判例:大昔からの裁判の判決

  • 憲法律:国家運営の大原則

  • 憲法習律:国家運営のための日常的な原則

  • 憲法的法律:憲法と同じ扱い(つまり改正はあまりしない)である法律

  • 議会先例集:憲法に関する参考書

  • 歴史的文書:イギリスの国体を象徴する文書

判例はもちろん司法裁判の先例集のことです。といっても、とにかく先例墨守ということではなく、判例と個々のケースの事情を考慮してequityの視点から情状酌量を行うことは当然あり得ます。判例が重視されるのは、王や独裁者によって恣意的な裁判が行われないようにするためなのです。

憲法律はイギリスが立憲君主制を維持するために、特に大事な原則です。例えば、「王は君臨すれども統治せず」といったものです。これが守られないと、立憲君主制になるわけがないので憲法律なのです。憲法律はただ理論的に重要なのではなく、歴史的に守られ続けてきたので誰も破ることができない慣習の域に達しています。

憲法習律は日常的な統治の規則です。これを破ると直ちにイギリスの立憲君主制がなくなるわけではないが、守らず放っておくと統治がいずれ立ち行かなくなるものです。例えば、議会が毎年召集されることが憲法習律に入っています。というのも、法律では議会の招集は3年に1回でも良いからです。といっても、3年も議会を招集していないと現代では政治が立ち行かなくなります。その責任は誰も取れないので、憲法習律で議会が毎年召集されるのです。

憲法的法律は、法律なのですが憲法と同じ扱いを受けている法律のことを指します。具体的には、王位継承法や議会法です。といっても改正手続きは厳しくなっているわけではありません。憲法的法律は憲法律や憲法習律と関係しているので、整合性がない法改正ができません。

議会先例集は、憲法運用の参考書のようなものです。統一的憲法典がないし、法律のどの部分が憲法にあたるのか分からないので、歴史的にどんな意思決定がなされてきたのかを調べる必要があります。また、英国憲法そのものの参考書も重要です。例えば、バジョット著「英国憲政論」やダイシー著「英国憲法序説」を全部読み込んだうえで、批判できないと政治に参加する資格はないとイギリスではみなされます。

歴史的文書は、国家の構成要素を象徴するものです。イギリスで有名なものではマグナ・カルタがあります。マグナ・カルタは「裁判なしで人を殺してはいけません」ということを示したものです。しかし、現代のイギリスではそのようなことは法律に書いてあるので、わざわざマグナ・カルタを適用する必要はありません。では、なぜマグナ・カルタが残っているかというと、歴史も国家の構成要素だからです。現在のようなマトモな裁判が行われていなかった時代が存在したのだ、ということを忘れないためにマグナ・カルタは歴史的文書として、イギリスの憲法になっています。

立憲君主の3つの権利

立憲君主制は、君主の権力を憲法で抑制するものなので、イギリス王室も上記のようなイギリス憲法の統制下にあります。逆に言えば、立憲君主は絶対君主と違って、勝手に法律を制定したり恣意的な裁判をしたりできません。戦争を自分の意志で起こすことももちろんできません。それらの権利は国民が持っています。では、立憲君主が何もできないかというと、そうでもありません。

バジョットの「英国憲政論」では、君主は「国家の尊厳を代表する存在」とされており、「大臣が権力を代行する代わりに政治的責任を負うことなく、国家最高の儀礼を行う存在」だとされています。一般に、権力や権限には責任が伴います。つまり、権限という政治的意思決定の実行を行うための能力や地位を与えられる代わりに、結果には責任を持たなければならないのです。もし、経済政策に失敗したら政権交代が起こるべきです。それが権限と責任のニコイチな関係です。

しかし国王が権限と責任を持ってしまうと、失政した途端国王が辞任することになります。王は英語でkingでありkindと同じ語源です。だから、王は国民統合の象徴であり、政治的主体以上の存在です。だから、国王が失政によってホイホイ交代されては国が安定しません。実際に、国王を革命で殺してしまったフランスは、「王政→民主政→帝政」のループを2周してしまいました。

だから、君主の権限を憲法で抑え込む立憲君主は国家の安定に寄与します。そして、バジョットによると、立憲君主は3つの権利を持つとされています。大臣に対して、警告する権利・激励をする権利・相談を受ける権利です。もちろん、最終的な意志決定を行うのは大臣たちです。しかし、国王は自分の王としての権威を行使したり、政治的なしがらみがない立場からの発言をしたりすることで、政治を正しい方向に導くことができるのです。

立憲君主が政治的影響力を持った事例

上記のような立憲君主の権利は、イギリス以外の立憲君主にも当てはまると考えられます。その例として終戦時の昭和天皇が挙げられます。

原爆が落とされソ連の対日参戦が決定した日本では、鈴木貫太郎首相が連合国側からの要求を飲んで和平するか、より良い条件を求めて本土決戦をするかで悩んでいました。そこで、御前会議(天皇陛下の前で行う閣議)で大臣たちの決を採りますが、まさかの3対3で決まらない。そこで鈴木貫太郎は、昭和天皇に意見を求めます。陛下は、これ以上国民を苦しませたくないということで、和平を選択されました。もちろん、和平を意思決定を実行する権限を持っているのは大臣なので、昭和天皇に政治責任はありません。また、選挙で選ばれたわけでもないので、昭和天皇はしがらみがなく全体的な判断ができます。その条件がまだマシな終戦に繋がったと言えます。

まとめ

立憲君主は憲法によって、権力が抑えられている君主制です。だから、君主に責任を負わせません。よって、君主は国家の統合の象徴であり続けられるし、しがらみなく判断を下せるという側面があります。次回は、マレーシアの立憲君主制が機能した事例を紹介しようと思います。最後までお読みいただきありがとうございました!

この記事が参加している募集

世界史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?