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国際秩序のモデルで見る世界史その5~アメリカ主導の国際秩序とその挫折~

イントロダクション
こんにちは、こんばんは、おはようございます!Renta@マレーシアから国際関係論について考える人です!今回のnoteは、国際秩序のモデルを使って見る近代現代史その5です。
今回は冷戦後のアメリカ主導の秩序がテーマです。
今回のnoteを読むメリットは以下です。

  • 冷戦後のアメリカの外交の概略が掴める

  • 現在の米中対立のきっかけが分かる

ジョージ・ブッシュの新世界秩序

冷戦終了時の米国大統領ジョージ・W・ブッシュ(以降「ブッシュパパ」)は新世界秩序という冷戦後の世界秩序を提案しました。その例として、湾岸戦争を挙げることができます。1990年6月にサダム・フセイン率いるイラクがクウェートに侵攻しました。同じ年の11月には国連安全保障理事会(以下「安保理」)にて安保理決議678が採択されました。よって、安保理の常任理事国であるアメリカ・ソ連・中国・フランス・イギリスの協調が成立し、共同でイラクのクウェート侵攻に干渉することになりました。これが湾岸戦争の始まりです。新世界秩序において注目すべきことは、冷戦で45年間対立してきた米ソが協調することができたということです。

そして、新世界秩序の注目すべきところはアメリカ主導だということです。つまりアメリカの価値観である「民主主義」や「自由」を広めていくというのが新世界秩序です。 アカデミアでも似たような話が出てきます。フランシス・フクヤマという学者がヘーゲルの歴史哲学を使って、民主主義の勝利と歴史の終焉を予測しました。 彼は歴史が弁証法によって進むと考えており、対立するイデオロギーや政治体制たちが衝突を繰り返すことによって、1つのイデオロギーや政治形態が最も栄えるものとして残ると予想しました。そして冷戦によって民主主義が勝利をおさめ、他に競争力がありそうな政治体制やイデオロギーがなくなったことから、イデオロギーの対立の弁証法による歴史は終焉したと述べました。 そして残りは優れた政治体制である民主主義が世界中に広まっていくだけだとフランシス・フクヤマは予測しました。
ブッシュパパの新世界秩序と湾岸戦争の開始はそれを象徴するものと言えるかもしれません

クリントンの民主主義の共同体

ブッシュパパは冷戦を終わらせた立役者ではありましたが、1期しか大統領職を務めることができませんでした。次に大統領になったのは民主党の立候補者ビル・クリントンです。彼は2016年にドナルド・トランプ大統領と大統領の座を争ったヒラリー・クリントンの夫です。 

もともとクリントン大統領は、ブッシュパパが新世界秩序などという外交にかまけすぎて、国内問題を疎かにしているということを軸にして当選しました。だから最初は経済政策を主に行うつもりだったのですが、今や世界で唯一の大国となってしまったアメリカが自分の国に引きこもるということはできません。また共和党のアドバイザーのヘンリー・キッシンジャーなどはクリントンの外交を「バンドエイド外交」と呼びました。つまり問題が起きたところをひたすら応急処置をしていく外交で、大きなビジョンがないと批判したのです。このような国内外の要因でクリントンも外交政策を打ち出していくことになります。彼の外交政策は民主主義の共同体を広めるというものです。 ブッシュパパの新世界秩序に似ているところはあるのですが、ブッシュパパはなんだかんだ言って同盟国及び友好国との結束に重きをおいていました。それに対してクリントン政権は民主主義と市場経済という理念に基づく自由な共同体の拡大を目指していました。彼の外交政策のバックグラウンドには、ウィルソン大統領とカントがいます。ウィルソン大統領はクリントンと同じく民主党の大統領で、国際連盟を提案しました。また、プロイセンの哲学者カントの『永遠平和のために』という論文がクリントンの外交政策の理論的バックグラウンドになりました。また民主主義同士は戦争をしないという統計的なデータもある程度集まってきていたので、アメリカが世界中に介入して民主主義を広めていけば、世界だけではなくアメリカの国際的な安定にも繋がると考えたようです。そして実際にNATOを東方拡大します。具体的には1999年にハンガリー・チェコ・ポーランドを NATO に向かい入れることになります。次に大統領になったのがジョージ・H・W・ブッシュです。彼は前に出てきたブッシュパパの息子です。なので、以降ブッシュジュニアと表記します。

ブッシュジュニアとテロとの戦争

ブッシュジュニアの時代にはアメリカは単独行動的になります。具体例として98年のイラク空爆や99年のコソボへの人道的介入に対して、特別な関係を持つアメリカとイギリスは積極的でしたが、中国とロシアは不干渉という国際法上の観点から介入に消極的でした。そしてフランスがその4国の間をとりもつという形 をとっていました。ですがブッシュジュニアはそのような状態にしびれを切らし、力と恐怖に結びついたバランスの体系を志向します。ブッシュジュニアは以下のような言葉を残しています。

「中国は『現状維持』に甘んじることなく、中国に有利になるようにアジアの勢力均衡を変革しようと狙っている国家なのだ」

細谷雄一著「国際秩序」p.314

このような大国間の不協和音だけでなく9.11テロもブッシュジュニアを襲います。先ほど述べたようにアメリカはどんどん単独行動的になっていたので、ブッシュジュニアは9.11に対して国際協調に基づいたテロ対応ではなく、アメリカの圧倒的なパワーによるテロ殲滅と民主主義の拡大を考えました。
しかし、アメリカ大陸からユーラシア大陸ど真ん中のアフガニスタンやアラビア半島などにいるテロリストたちを一掃するというのは困難です。というのも、テロリストたちは守るべき領土を持たないのでどこへでも逃げることができるからです。そもそもテロリストの目的は、アメリカを倒すことではなく不安を駆り立てることなので、わざわざ米軍と戦う必要はありません。ということでブッシュジュニアはテロ対応の泥沼に突っ込んでしまい、アジアやヨーロッパでの相対的なパワーを落としてしまうことになりました。

オバマ大統領とアジアへのピボット

この現状を何とかしようとしたのがオバマ大統領です。彼は「アジアへのピボット」というキーワードを提示しました。まずオバマ自身がアジア太平洋に縁を持つ大統領です。ハワイ・カリフォルニア・インドネシアという環太平洋世界で育ち、アジア人やムスリムの友人と共に育ちました。オバマ大統領は初めは中国と友好的な関係を結ぼうとしました。中国を「責任あるステークホルダー」と呼び、2009年には米中パートナーシップの強化を行い、また国務長官のヒラリーが訪中し、米中戦略・経済対話を開始しました。国際秩序のモデルで言うと、コンサートの体系をアメリカと中国の間で作り上げようとしたのです。しかし、米中関係が揺らぎバランスの体型へ回帰することになります。そのきっかけとしてはリーマンショックが挙げられます。リーマンショックによって、アメリカをはじめとする主要先進国は軒並み深刻な経済的ダメージを受けました。しかし、中国はそれに対してあまりダメージを受けなかったので成長を続けることができました。日本が中国にGDPで抜かれたのもこの時期で、アメリカやイギリス・イスラエルなどで活躍する戦略家のひとりであるエドワード・ルトワックは、リーマンショックの前と後で中国の外交官たちの態度が全く違うことを指摘しています。リーマンショック前は、それこそ責任あるステークホルダーのように先進国の外交官に対して、協力的に振舞ったり相手をイラつかせないような仕草をしていたのですが、リーマンショックで露わになった先進国の脆弱さ、そして21世紀アジア最強だった日本を経済的に追い越した事で自信を持ったのか、傲慢な態度が目立つようになったとエドワード・ルトワックは指摘しています。
実際に中国は海軍力を増強してアクセス拒否の能力を獲得しました。これに伴い日本のアジアでの役割が注視されています。例えば民主党の鳩山政権で揺らいでいた米中関係を回復し、辺野古基地移設が決定しました。加えて日本は南西方面の哨戒監視を強化し動的防衛力という概念も導入しました。 

もちろんオバマ大統領は完全に対中路線にアメリカを持って行くことはできませんでしたが、日本との関係回復や中国への見直しを始めたことで、2010年代後半の米中関係の布石を打ったということになります。

まとめ

冷戦が終わり、世界はアメリカのものになると思われました。しかし現在アメリカと中国はNo.1争いをしており、ロシアもアメリカ主導の世界秩序への反発を隠しません。これは中国やロシアが悪いという話ではなく、アメリカ自身が招いたことでもあります。90年代後半や9.11あたりから単独行動に走り、中東でリソースを消費してしまったのです。だから、トランプ以降のアメリカは中国を始めとする国々の挑戦を受けることになります。現在アメリカが行っている外交がどのような帰結を迎えるのか注視していきたいと思います。
トランプ大統領やバイデン大統領の政策評価はまだ難しいので(トランプ再出馬の可能性があるため)、「国際秩序のモデルで見る世界史」シリーズはここで一旦終了です。
最後まで読んでいただきありがとうございました!


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