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テスト期間ってなかなかしんどいよね。【2023.11.03】
もしも世界から言葉が無くなったら、
— 明円卓(ミョウエンスグル) (@sugurumyoen) November 3, 2023
あなたはどう注文しますか?
『言葉のない喫茶店』11/5(日)まで表参道で期間限定オープンしています!店内は全てジェスチャーのみでやりとりをしてもらいます
僕もずっとお店にいます!感想等教えて頂けたら嬉しいです(見当たらない時はDMをお願いします!) pic.twitter.com/1frHyWnTMe
なんか面白そうなのでシェアします。
確かに言葉が無かったらどうなりますかね?
やっぱり不便だなと思うのかも知れません。
逆に言葉がないからこそ伝わるものがあるかもしれません。
それを自分の身を持って改めて感じてみる。
そんな試みはやっぱり大切なのかもしれません。
それでいうと健康もそうかもしれないですよね。
健康なうちは気が付かないけれど風邪を引いたり怪我をしたりなんだりしたら、あぁ健康って大事だなときっと思うのです。
やっぱり何かを大切にするのにまず、「それが無かったらどうか」を考えてみるのがいいのかなと個人的には思うのです。
話は飛んで、明日テストです。
全然「今回はいけるぞ感」が無くて、いや、むしろヤバいぞ感ばかりでかなりのストレスがかかっていました。
そのうちあんまり手も動かなくなってくるし、現実逃避した時間もありました。
でも冷静になって考えてみたら、これはやっぱり自分の考えが作り出している状況なのかなと。
テストの結果が悪い=終わりみたいに捉えているとやはりもう失敗できない感が凄くて苦しいよなと。
それよりも「まあ、今回ダメでも次頑張れば」とか「テストが良くなくても別に自ら課題を課して提出するので」などきっと取り戻そうとできることはあるのだなと感じました。
失敗を怖がっているのだなと気がつきました。
これまでそんなに大きな失敗はないかもしれないと思い出す。それだ。
盛大に失敗してやりましょう。
盛大に失敗させてあげましょう。
転ばない方法ではなく起き上がる方法を。
でもそんな環境周りに無い。
少ないかもしれない。
それならこれから増やしていこう。
僕は受け入れますからね。
もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!