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めぐる感情と思考。【2023.09.28】

「感情と社会」の授業。
今日は「恥ずかしい」という感情について。

中国語で理解できた内容をざっくり書き出すと、恥ずかしい・気まずいという感情は「客観的に自分を見て受け入れられる社会的な自己を保てなくなった時」や「その社会的な部分と私的な部分という境を超えた又は超えようとした時」に起こるというものであるということです。

そしてその状態が時として、良くないものだとみなされたり、過度に悩まれて対人恐怖症や、発展して引きこもりなどの社会問題につながる要素の1つなのではないかと考えられる状況にあります。

ですがその恥ずかしいという感情は「表現」に昇華されることもあるといいます。

例えば、シューゲイザーという音楽ジャンルはそれにあたるのではないかと思います。靴(shoe)を見る人(gazer)という意味で、下を向いたまま轟音ギターをかき鳴らすというものが特徴です。歌詞も内向的であったりという傾向もある模様。
見た目とエネルギーの大きさのギャップが個人的に好きなポイントです。

そして本文のまとめには、「恥ずかしさ」というものは人間の基本的な性質・一つの感情に過ぎない。同時にこの感情により、人々は自省への扉を開くことができて、人々を離れさせるのではなく共通点として私たちを結び付けてくれるものであるというものがありました。

内向でお馴染みの(?)僕ですが、「いやー恥ずかしいよね」みたいなことを接点にネットワークを作っていくのも一つの手なのかなと感じました。



討論の時間には「怖気づき」は自分を卑下する感情なのか自愛から起こる感情なのかみたいなテーマがあったのですが、個人的には自分を卑下しているとも思うし自分を愛しているという二面性があると思いました。
例えば、舞台に出る際に「怖気づき」が起こったとして、自分の自信不足や不安などは卑下の表れといえて、傷つきたくないという自分を守ることは自愛といえるのではないかと思うからです。


でも傷つかないようにしすぎるとそれもまたどうなのかなということが最近考えることです。なのでいったん自分中心から離れて、逆に苦しいことでも何でも来いというモードで行動してみようと思います。



今日何しようか?ってばかり考えていては何も進まないのかもしれない。
未来は今日の積み重ね。もう何度自分に言っている。でも現実は今日で手一杯なのです。ほんとに自分のためになる時間の使い方をしたい。やっぱり一回レールからまた外れる必要があるかもなとかも思いました。でもそれは今の自分が考えられる自分のためのこと。未来の自分が見たら自分のためになっているということもあると思います。

色んな事が分からない。

枕元から謎の10元が出てきたことはもっと分からない。

#留学生のひとりごと日記






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