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【短編】いくつもの嘘とピレネーに置き配



地方の適当な大学に何の考えも無く入った俺には入るべきサークルを見いだせなかった。
春の桜は俺を歓迎するものでは無く、ただ孤独を知らしめた。

今までの学生時代は暗く辛いものだった。ほぼボッチで女子と話す事など皆無に等しかったから。入試をパスした俺はどうにか外見だけはフツメンと化した。
実の姉という悪魔に金でコーディネートを習い美容院に付き添わしたのだ。
挙動は不審だが何とかなったと思いたい。

ある日人数合わせの飲み会に無理やり参加させられて隣に座ったのが彼女だった。
笑いの絶えない宴会の席になかば仏頂面で油揚げの味噌焼きを食べていた彼女を(渋い)と思った。

出会いは油揚げのネギ味噌焼きだった。

少し恥ずかしかった、(いやだいぶ頑張ったが)
彼女の横の空いた席に滑り込んだ。

「…あっ、あの良かったら少し話しません?無理やり参加させられて…ちょっとノリについてけないってゆうか…」

ゆっくりこっちを向いた彼女は言った。
「…記録、33分」

「?!ぇっ?何?何の記録?」

ニカッと笑い彼女は答えた。ちょっと可愛い!
いや、だいぶ可愛い!女子に耐性皆無の俺にはレジスト不可能だった。そして期待の返しは…

「陽キャに喋りかけられても無視する記録。」

…変な人に話しかけてしまった、しかも言葉通りに取ると俺はどうやら陰キャ認定されている。
挽回しなければ!
「…なっ何飲んでるんですか?それ?」彼女の手には何やら薄い黄色い微炭酸のドリンクが見えた。
どうでもいいから話の糸口を探って俺が陰の者でないと説明しなければキャンパスライフも陰陰滅滅だ。

「オロポ。知らない?オロナミンCとポカリ混ぜんの、〝モクテル〟って流行ってるよ?」

 ?オロポ?何か聞いた事ある、あっ!
「サウナでオッサンが飲むヤツじゃん!それ!」

「いいじゃん!ノンアルなら何混ぜたって!そんなんだから陰キャなのよ!」
何故か侮蔑の視線を感じる…確かに少し陰寄りなのは認める!中学生の時の趣味は永谷園の浮世絵カード集めだったし、高校では三国志にどハマリして世間様
(一般のクラスメート)と埋められない溝を作ってしまい彼女も出来ない人生を生きて来た。
しかしそれは陰キャが陽キャに劣っている事ではないと言いたい!

「…何か思ってんなら言えばぁ〜陰キャ君❤」そして彼女はオロポを人差し指でクルクルかき回した。
「Mock(似せる)とCocktailでモクテルって訳なの造語よ」とまた意地悪そうに笑った。
クソッ!(可愛いぜ…)女子と面と向かって話すなんて滅多にないんだよ!俺は机のジョッキを手に取り決心した。一大決心だ。

「そ〜だな!何混ぜてても俺は陽キャだから気にせず一気するぜっ!」小さめのジョッキのソレを勢い良くのどに流し込んだ!(何だ?この味?)
「…あっ!それはあたしがとっておいた…」

「……とっておいた…何?」半分空けると味覚がやっと脳に届いた様だ。

「そば湯と甘酒(ノンアル)とコーラ混ぜた」

何で居酒屋にそば湯があるの?意外と本格派なの?
第一波には何とか耐えたがこんなモン飲むつもりだったのか?鼻からそば湯スペシャルが出そうになった時に後ろから肩を叩かれた。それは視えてはいないが細くしなやかで柔らかい。

「やぁやぁ!可愛い後輩たちよ!我等のサークルへの参加感謝しているよ!私の事は気軽に部長!と呼んでくれたまえよ!」
そう言って俺の横に座った。

「嫌がっていたわりにナンパしている何て…いやはや何とも隅に置けないなぁ」と部長は眼鏡を上げた。

この人!部長らしきこの人がムキムキマッチョの人達に指示して無理やり俺を…
その清楚な出で立ちにそぐわない程のピアスが耳にきらめいている、なのに下品に見えないのはその話し方や所作に高貴さを纏っている様な…
見惚れてしまった、違う違う!

「ちょっと待って下さいよ!えっと…」
「部長と呼び給え」
「…ぶ…部長!」俺の言葉を遮り続ける、
「わかったみなまで言うな」
そば湯スペシャルの作者はニヤついてやり取りを見ている。
「いや!俺、このサークル何の集まりなのかも知らないんですって!部長!」
部長は鋭い視線を眼鏡越しに向ける、
「なにっ?それなのにキミは私を部長と…キミは私が好きなのか?」
話の通じない人が増えた。
「あたし知ってる!」オロポでそば湯が小さく手を挙げた、
「文藝部ですよね?」
うむっ、と部長は頷きながら人差し指を立てた。
「…実はさっき(陰キャ)と聴こえたので参上させて貰った、陰キャの生態について少しばかり興味があってな」そう言って口の端だけで笑った。

すると
「あ〜ん!あたしナンパされ中なのにもう年上の部長にアタックするなんて陰キャ卒業じゃないの?」とみんなに聞こえる様に彼女は話すのだ。
(モテてるのか?モテ期か?)と一瞬悩んだが、2人の眼を見てわかった。
彼女のカマボコ眼の下の愛らしい涙袋と、部長の長い揃った睫毛が細く揺れる。
痙攣している横隔膜より口腔内に吐息が送られ外に漏れる。

「…っぷ!ははっ!いや〜スマンスマン!」
「…っぷぷ!フフッ!ヤダ!何て感情?」
そうね、嘲笑を誘う感情だね。俺はどんな顔してる?それでキミはノンアルだよね?

部長は店員さんにビールを注文しながらこちらに向き直る。
「別のユニットなんだ、文藝部って何か暗そうだろ?だから文藝部なのに陽キャの様に振る舞う陰キャのサークルなんだ!」
部長は理由のわからない事をさも当然の様に言ってのけた。
そして瓶のラガービールをそのまま飲み干して
「思考実験でもある!」と真剣な顔で続けた。
「…ここに集めた奴等は互いに面識がない筈だ!」俺達はみんな顔を見合わせた、なるほど、誰も共通点は無さそうだ。

「何、簡単な事さ、互いにペアになって嘘 つきあって欲しいんだ、あっ!もちろん生活に支障が無い範囲でだが…」そこで部長のラガービールは無くなった様だった。

「どうかな?色男クン、目の前の彼女とペア組んでみては?」ラッパ飲みしたのにきれいな正座を崩さない部長の凛とした威厳に当てられたのか、俺は笑われた事何か忘れて聞いてしまった。

「嘘ってどの程度です?絶対支障きたしますよね?君もそう思うだろ?」するとニヤリと部長は笑った。
「ふぅぅんwところで名前もまだ聞いてないなんて好都合とは思わんか?」
「フフッwじゃ〜あ〜、あたしの名前は瑠音!瑠音さんって呼んで欲しいっス!」
「…っ!なら俺は太史慈…いや、字(あざな)の子義!シギ君でお願いします!瑠音さん!」
三国サーの血を止められなかった。
(三国志を愛する人)

部長に2人が食い付く形になってしまい、してやられた事に気がついた…何とも食えないひとだ。

「話が早くてなにより…どれ1つ練習課題をやろう、◯◯が☓☓だったら?更にはどうなるか?との例を色々考えて欲しいんだ。それと同時に自身が作った虚飾の存在ならどう答えるか?とかね」
部長は次には歯を出して笑った。
「思考実験だよ〜w」

ここまで来たら辞められない、おおかた文藝部のネタ探しに使われるのだろうが乗りかかった船。
瑠音さんを見るとそば湯スペシャルの残りを俺に差し出し
「じゃあ乾杯と行きますか?シギ君!」
「…いやそれは勘弁、部長〜!スイマセン!ビール有りますか〜?」瑠音さんはオポロで3人はグラスを合わせた。


部長は酒豪だった。
やっぱりと言うかおぼろげながらにわかっていたが、どんなに小さな事でも優位に立ちたかった自分が居た。瑠音さんの前でカッコをつけたかったのかも知れない。結果俺はまあまあべろべろに酔ってしまい、慌てて取り繕った質問をした。
「あの〜思考実験って〜
〝シュレディンガーの猫〟とか
〝線路のあのどっちかが何とか〟っ〜ヤツですよね~?」
「…ふむ、2番目のやつはトロッコ問題と呼ばれているなだいたい…」
少し片目を伏せ意外な様子で目を合わす部長の真意は(それくらいは知ってるのか?)だと予測できた。
「答え無いんじゃ〜ね〜ですよね〜?」ちょっとは共感してほしい。瑠音さんもだよホント。

「…たとえば大人になったら飛べなくなるとかは?」
瑠音さんが突然呟いた。
「…ふむふむ、それは面白い事になるな」と部長は頷きながら俺を見た。
えっ?だって飛べなくなるのはマイナスじゃない?
「出来た事が出来なくなるんですよ?逆ならいいけども…」俺の頭はちょっと酔いが醒めてきた様だった。

「いいかい?一般的に大人になるとはどういう事を指すだろうか?年齢かな?」部長の生暖かい目が怖い。

「…まぁあの〜…行為済かどうかですかね?」
頭を絞っておそらくは正答を導き出した。
しかしこの会話が何の役に立つのだろうか?
俺の頭の中は???だった。

瑠音さんはニヤつきながら
「だぁからぁ〜!いい歳こいて飛べたらダサいって隠すヤツ出てくるじゃん?」少し声がデカい。部長が続ける
「気を抜くと尻が少し浮くとかあるかも知れないぞ!」
次は瑠音が
「そしたら各メイカーが浮かない様に重りの入った靴とか売るかも知れませんよね?」
急に立ち上がり部長は宣言した!
「その名も〝あっ!DTシンカー君〟だ!」ドヤ顔で言い放った部長に名付けのセンスは無かった。

「靴を脱いだらバレますよね?重さとかで…」
フフンッ!と部長は鼻で笑い、
「だからショットバーとか靴の脱がない所で女子をナンパするのだよ!全く…童貞のクセに…なぁ!シギ君!」
「靴履いたままヤルつもりかも知れませんよね?シギ君?」瑠音さん?
…ふむ、もし未経験者が飛べなくなるなら
「昨日から俺は翼の折れた天使さっ!」とか言うんだろうな、気持ちはよく分かる…ってイジられてますよね?
「…デフォで俺が未経験となっている様な気がしますが?」
もうお母さんに電話したい。そしてドMに産んでくれなかった事を問い詰めたい。

瑠音さんが俺の膝に手を置く。
「シギ君、こういう議論の果てに いちご大福は生まれたのよ!多分、知らんけど」ドッキリしている内に誤魔化された気がするけど良い匂いがした。
「調子に乗り過ぎたようだすまない…あっ!DTシンカー君の権利はシギ君に譲るから許してくれたまえ。」と部長は笑った。
瑠音さんと見つめ合い恥ずかしくなった俺は
「…っ!それただの重い靴じゃないですか!」
と反論した。

それが出会い。

もしかしたら商業的にも面白いアイデアが湧くと感じた俺は、瑠音さんとたびたび連絡を取り議論を交わした。

何処か厭世的で他者に合わせたりしないだろう瑠音さんだか、俺には会ってくれた。

パンダの白黒が逆転していたら?

ゴキブリの動きがゆっくりだったら?

無音の夏が過ぎる。空気が止まる。何故呼吸できるのか?わからない程に2人だった。

思い出は思い出せず、経験だけ浮き彫りにする。

瑠音さんは俺の
アホみたいな議題に対して真剣に意見を交わした。
季節は初夏、それにしては暑すぎるクレームを何処に叫べばいいのか?

瑠音は綺麗な瞳をしていた。

日本人には珍しい薄いターコイズブルーのきらめきで俺に話す。
「ねぇ?タラコがさぁ?寄生生物だったら?」

彼女は可愛く笑っておしゃれなカフェで俺に問う。
今世界でこの質問してるの此処だけだよな。
何だが変な優越感が湧いてきた。

ところでこんなオシャレなコーヒーショップで注文するのが恥ずかしくて瑠音さんに注文頼んだのだが、俺はイキってデミタスコーヒーを注文した。陰の者が滲み出るのが哀しい。
自販機で出るヤツを想像してたのに店員さんは念押ししてきた。
理由は苦いちっさいヤツが出るのだ、だから。
チェイサーで飲むものらしいが知らなかった俺は恥ずかしい上追加注文も出来ない。
そんな俺に瑠音さんは

「あたしココア頼もうかな?シギ君は?」と優しさをみせる。
突き放されてる感と優しさが四畳半だ、俺は恥ずかし紛れに答えた。
「泳ぐタラコはヤバくない?」

「何で?カワイイじゃん?」
瑠音さんは笑った。
席についた俺達は泳ぐタラコの世界に思考を馳せる。
疑問が浮かぶ。

「じゃあ何でタラの内部に入るのかな?」  
いつもの様に仮定と嘘の議題が決まる。

「温かいし卵のフリしないとね」

「一応成長したらタラになるんだ」

「何にでもなれるかも知れないよ?なんなら人間にも…」
怖っ!タラコ怖っ!もう食えない。
「人間が1番だって思うからそういう思想が出るのシギ君、後さ、カイガラムシの話は要らないよ。」
そう言って瑠音は最後のストロベリーフラペチーノを吸い上げた。

「人間だからそれ飲めるんだぜ」小さな声で俺は嘯いた。

時折部長に会った。まあ所謂飲み会だ。瑠音さんは部長と抱き合いキャピっている、仲良いんだ俺は知らなかったけど寂しくない。多分…
だって文藝部の飲み会サークルだし、普通だし、女子同士だし、俺のハイボールは急激に減った。

部長は「みんな!また1つ結論が出たぞ!」と生ビール大ジョッキを掲げてバイキングの長の様に叫んだ!

「遅いゴキブリは可愛い!」

ざわつく人々からは?の嵐だった。
それに俺が言ったみたいで
〝ナンカアノヒトキモイ〟的な視線を感じる。
幼い頃から感じた変人のレッテル貼り。
(慣れてるよ)
俺の内心を察したのか瑠音さんが畳に絆された俺の左手に右手をそっと添えた。

大丈夫だよこんなの…
思わず手のハイボールを左に持ち替え右手に箸を持った。
(優しくされるほうが苦手なんだ…不味ったかな?)
暫く瑠音さんと視線を合わせられなかった。

「…まあ聞き給えよ皆の衆…」眼鏡をクイ上げると部長のレンズは煌めく。そういう眼鏡なんだろうきっと…
「我々人類が誕生しここまでの繁栄を教授できたのは何が原因かわかるかい?」

「…それは脳の発達ですかね?」誰かが言った。
「何故脳を発達させたのか?」
「それは道具を使う為かな?」口々に意見が飛ぶ。
「…フム、その通りだ、なら何故道具を使わなければならないのか?」伏せた目で

一同は一旦静まった。

「…弱かったからだ」

「強ければサメの様に進化する必要無い種のまま居れたはずだ」
「弱くて食べるものも無く腸を長く進化させて雑食性を得たのだ。コアラが有毒のユーカリの葉を食す様にね。ゴキブリの話に戻ろうか、生物にとって速さとは=攻撃力に直結する事は容易に想像出来るだろ?人間の遺伝子に刻まれた記憶には速い生物は〝怖い〟んだよ。生命の危機を感じてしまうと私は思う。」

なるほど、分かる。何故脳が異常とも言えるほどに肥大し進化したのかはこうして言葉にしないと
〝人間が地球を支配してるから〟的に漠然と思っていたが、何とも傲慢な話だ。見方を変えれば虫の方が人間より多いし、虫も
(地球は我等のものだ!)と思っているかも知れない。

「それに…」部長が熱弁する。
みんなが言葉を待つ中
「動きの遅い生物はカワイイ!瑠音!知っているか?このキーホルダー!」

のっぺり顔の平たい四つん這いのトカゲ?
ムムッ瑠音さんは
「何か見たことあるなぁ〜…あっ井伏鱒二!」
「そう!オオサンショウウオだ!その生命力からハンザキとも呼ばれるな、可愛いだろ〜?」
速いは怖い、遅いは可愛い。言葉遊びで詭弁でもあるのだが、一応の納得は出来る。
部長は何を目指しているのだろう?
教祖だろうか?



俺達は逢う度に嘘を吐き、なりきり、空想した。
クリームソーダの泡に銀河星雲と神経細胞を繋げ誰かの脳内で生活する自分たちを夢想したりした。

野良猫になった気持ちでうろつき低い視点から人間社会を観察したり、目隠しをして1日を2人で過ごしたりした。
このときは危なかった。
だって両方だぜ?
瑠音さんは
「しばらく忙しくなるんで同時にやる!」とか言い出してさ、かくして〝盲目の野良猫〟2匹の出来上がり。
ここはまあまあ人口の多い都市部で夜も人は絶えない。
ガラの悪いヤツにからまれたり、警察官からは職質されそうになったりと散々な目にあった。
だけど「何かお手伝い出来る事ありますか?」との善意の声掛けも多かった。世の中捨てたものでは無い。

俺の前では
「野良猫は喋れないしオシッコも外でするのが当たり前っ!」と開始前はいきがっていたのに、その優しい女性の声掛けに涙目でプルプルしていた瑠音さんは二足歩行で何処かへと誘われた。

…まあいいか、1つ貸しが出来た。と俺は内心ほくそ笑んだのだった。コイツも部長に報告する。


夏の静寂は時折鼓動を止める。

瞬間誰もいない景色に蝉が鳴く。

刹那の無音に己の存在を懐疑した先

蝉が鳴く。聞こえない。

瑠音が俺に笑いかける。不安からの安心。

永遠に此処に居たかった。

Please don't leave meとバラードが店内に流れる。

何にも始まらなくて何にも終わらなかった夏の日
俺達は確かに其処に居た。


「あたしもう賞味期限切れてるんだ」

瑠音さんの口がストローを離れて言った。
瞬間、蝉がけたたましく耳にねじ込まれる。不快だ、良く聴こえないな。

「…っえ?何て言ったの?」俺は無様に聞き返した。
「医者に宣言されてる。もう余命を過ぎたよ。」薄幸の美少女設定か?いや、それは平凡で面白くないかも?この時点で俺の普通はぶっ壊れていたかも知れない。

なるほど、変化球ね!自身がゾンビになったやつかな?「…ふむふむ、最近なにかに噛まれたとかは?」特別訝しげに俺は聞いた。
さしずめ無免許医だ。
「なら人間の内にしたいことある?」

瑠音に聞いた。

多分無意識に自分が今生で願う事を。

「…シギ君笑うからやだ。」笑わんよ、今の俺は相当笑いのハードル高いよ。
少し沈黙した後に真剣な眼差しで瑠音さんは言った。

「ピレネーの城に引っ越したくて…」と顔を赤らめるとモジモジした。

(…ここは不動産屋の受付か!)とツッコミそうになったが我慢した。シュルリアリスムの画家マグリットの城が浮いてるアレね。それと時計が溶けてるヤツしか知らんが不思議な絵だ。

これはいつもの嘘では無い!と直感した。
マジのヤツだ。頭はフル回転して正答を探そうとする。しかし(瑠音さんは変な人)という真実が邪魔をするのだ。理解し難いと探す範囲が膨大になるだろ?
同時に(可愛いなぁ)も邪魔をするし…

俺の答えを待たずに
「死ななかったらだけどね」とぶっきらぼうの言い放った。

「…逆に死んだら住めるんじゃないの?」
「マグリットの頭の中にしか無いよ?」
その言葉を聴いてキョトンと瑠音さんは
「シギ君?マグリットはこの世界で認識出来るじゃない?空想の世界はこの世のものだよ?」

当たり前じゃん?パン屋で商品選びながらトングカチカチするよね?当たり前じゃん!
そんなニュアンスで言われた様な気がする。

もう何の話か解らなくなってきたがどう言う趣旨か素直に聞くのは癪だ。
ならば乗れば良いのだ。
「…だけど家財道具も飛んで行くとなると高額になるだろうね、いや城だから何でも揃っているのだろうね」
俺は立派な城をウィークリーマンションと同一視した自分に慄いた。

「…そうだね。」つれない返事の後、続いた昔のバラードはやっぱり
Please don't leave me

その後、彼女と会えることには無く大学には物凄く人がいるんだとアホみたいな事を思った。

瑠音さんが文藝部飲み会サークル定例会にも姿を見せる事は無かった。
夏は終わり秋が過ぎ冬になった。
それでも俺の頭の中はぐるぐる読込中だった。
そのまま街を歩くと何時か瑠音さんと盲目の野良猫実験をした公園が目についた。
何だか記憶に追いつかれそうで足早にその場から離れた。

いくら外見だけ取り繕うとも勇気や優しさなんてものは簡単に身につかない事を知った。

もう好きになっていた人の悲しみや不安、その優しさからただ逃げたのだ。

あの時あの頃俺達は馬鹿みたいな話を仮定して議論しあった。
大体がそんな訳ない事を語りあった。

(そんな訳は絶対無い)と心の底で思っていたからこそ安心して馬鹿言えたのだと気づいた。

ならば瑠音さんが
「生きていたら」と言った時には
「生きれないだろう」とのニュアンスが多く含まれるのだ。
だから「そんな事言ったらそうなるだろ!」
「タラコは寄生生物なんだっ!」
「瑠音は死なないんだっ!」
強く主張しなければならなかったんだ。
オシャレな店の真ん中でそれこそ鼻汁垂らしてまでも君を救わなければいけなかったんだ。

俺は何時だって失ってから気づくんだ。大切なものを…
車の停車音が鳴った。なんとなく旧車の気がした。

「やぁやぁ!この年末の寒い中シギ君は何処に行くのかな?それにサークルへの参加率が悪いと幹事になるというペナルティーが…」
部長…

四角いい車の窓から部長が叫んだ。

「乗っていかんか?」
およそ女子大生が想像できる範囲にいない車だった、おそらく昭和のクーペだ。
ガン見する俺に部長は
「スタリオンって言うんだ!カッコイイだろ!」
と笑った。

「平べったくて丸いキャラが好きなのに車はカクカク何ですね?」と言うと
「四角くないと駐車場にピッタリ入らんのではイカンだろう?」
と変な理屈を絡め助手席を空け手招きした。
「寒いから早く乗ってドアを閉めるのだよ」

結局また流されてしまっている俺がいる。

誰かに助けてもらいたい様な情けない顔でもしてるのでは?と勘ぐってしまう。
「…あの、部長どこへ?」
ハンドルを握りながら
「待ち合わせの場所だよ、約束なんだが少し遅れるらしくてその間ヒマでな…そこでキミがぼんやり歩いていたという訳だ。瑠音くんが居なくなってからのキミはまるで抜け殻のようだったとみんな話していたぞ、確かにもうここには居ないからな…」
部長は遠い目で夕空を見ると少し涙を拭う仕草をした。
もう全部知っているのだろう。
俺が彼女にフラレてそのまま何処かに消えた事も…もしかしてその生命と一緒に…

しかし終わった事だ。俺は彼女の人生にほぼ関われなかった。その心に傷1つも残せてない。


しかし、誰かとも待ち合わせに参加なんて気まずい空気ゴメンだ、何と恐ろしい事を普通に言うのか?
犬が西向きゃ尾は東の様に。まるで彼女の様だと思った。

到着したのは飛行場だった。

すれ違う人々はもう一生会わないであろう事が大半だろう。ぼんやりそんな事を考えていた。

「相手というのは私のいとこでな、アメリカから帰ってくるのだ。実は病気を患っていて移植を勧めていたのだが〝それは他の人にあげて〟と命の選別に近い行為を酷く嫌っていた。」

「まるで自分には他の移植が必要な人より生きる意味がないと考えていた様で、決意も強く言い出したら聞かない頑固者でな」

部長はニヤリと笑って
「瑠音はラピュタの様にピレネーの城で帰って来るやもしれん」と言った。

「…知ってたんですか?余命と手術の成功を?」
俺は複雑な胸の内が喜びと悔しさに充たされている事を知っていた。
部長は言った。
「最初に思考実験って言っただろ?
【マキャベリアニズムにおける嘘の道徳性】が私の卒論テーマだ。」
「それから嘘を用いて彼女(瑠音)の自分への価値観を高めたかったのだ。顕示欲では無くね、キミという鏡がそれを引き出し自身の中に希望を見出したのだよ。騙して悪かったな、怒っているかい?」

マキヤベリアニズムはどんな非道徳な手段や行為も最終的には国家の利益なら許されなければならないという中世の考え方だ。
嘘を用いてとは?国家とは?

「…部長怒ったり俺はしてません!嬉しいんです、瑠音さんに謝れる事が!瑠音さんが生きている事が!」生きているから謝れる、やり直せる!

部長は携帯のストラップを外し俺に差し出した。
「お詫びと言っては何だがコレは自作のストラップで生命力の御守りとして作った瑠音くんとお揃いだ、前に言っただろ?半分になっても再生する説がある程の生物だ」

キモいオオサンショウウオの身体がほぼほぼ裂けていた。

「ハンザキくん月見夜桜七分裂け人形だ。」

「良かったら版権を譲っても良い。」

「プッ!…部長!コレはちょっと売れないのでは?先ず名前が江戸時代の小説みたいです!」思わず吹き出した、久々に笑った。
緊張からの緩和でも人は笑う。
それに部長は大真面目に言っているのだ。
だから面白い。
少し不満げな部長を見て俺は満足して聞いた。

「…あの、さっきマキャベリアニズムの嘘を用いてって具体的にどういうことでしょうか?」

「フム、それはなマキャベリアニズムの手段が=嘘って断定した場合の話だが、簡単に言うと嘘には騙される、又はそれによって操作される側の希望が何かしら在るはずだ。」
「言って欲しい言葉を相手が言って相対的に自身を理解する練習でもあった。支配者とされる側の交代劇が何度も無かったかい?」

「ではあの場合の国家とは?」

「…まぁ…マキャベリアニズムに拘る必要は無いのだが、」

「人が集まり子を成すのが国家だろ?」
「まぁ単純なあの娘を納得させただけだ。」
この人には敵わない。
何だか人を煙に巻くが何か納得してしまう。

ロビーに乗客が増えてきた。
長い話をしているうちに瑠音さんの便が到着していた様だった、アナウンスも耳に入らなかった様だ。

部長が指を指す。
「ほらっ!君のマグリットが近づくよ、気づいていない様だ、隠れて!早く!」

なるほどあの頃より少し痩せた瑠音さんが携帯を見ながらこちらへ来る。
揺れるハンザキくんがその証拠だ。

後ろから声をかけた。
「…ねぇ、ピレネーの城で来てほしかったよ」

振り返らずに彼女は言った。
「ふふっ!アレね意外と狭くってAmazonの配達も届かないからおいて来ちゃたんだ!」

「日本の宅配は優秀だから大丈夫だよ!」
「なんなら置き配にしたら良い」


まだしばらく瑠音さんと呼ぶ事にしよう。








































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