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まっちBOX Street 07 掌編小説

まっちBOX Streetという掌編について


1995年から2001年まで、福井県の無料自動車情報誌に連載していたものです。
当時のデータがあり、そのままの形で転載します。だから古い車やタバコ吸っていたり、スマホじゃなく携帯だったりしますが、そのままお楽しみください。
73編あるのでぼちぼち公開します。


No7 二十歳の夜

ハンドルを切るたびに、恭子が声にならない声を上げる。里美の操るインプレッサスポーツワゴンは闇を切り裂くように走っていた。
「ねぇ、もう少しゆっくり行こうよ」
「まだまだ序の口」
里美の声に、恭子はぎゅっとシートベルトをつかむ。でも、体の奥からわき上がってくる熱いものに、心臓がときめいている。
スピードが、快感に変わりつつある。ただ、頭の中の常識という奴がそれを認めようとしないのだ。
「……」
「え? なに」
「恭子。あんたもっとしっかりしなきゃだめよ。あたしが連れ出さなかったら、今頃、三田村に言いようにされてたよ」
成人式の夜。恭子のように地方の大学に行ったものも集まるということで、同窓会が開かれた。そこで言い寄られたのだ。
「あいつ、いい車に乗ってたでしょ。乗せてやるよなんて。でもね、あいつは親が金を持ってるだけ。あいつ自体は大したことないんだから。よっぽどまじめに働いてる奴の方がまし」
「ごめん」
「もっといい男いるんだから。なにも特別な夜じゃないんだから、気をつけなくちゃ」
 里美はばりばりのOLなのだ。ただの事務員ではなく、男性と肩を並べて営業をしていた。恭子にとっては、そのことがすでにすごいことのように思えるのだ。
「特に恭子はお嬢さんなんだからね」
「でも、あたしだって頑張ってるんだよ。バイトだってしているし」
「何かしたいことでもあるの?」
そういわれると、困る。生活は仕送りで充分なのだ。せめて自分の服くらい自分で買おうと思っているだけだ。
「就職組から言えば、やっぱり学生って遊んでるように見える。働いてると、自由な時間なんてないもの」
「でも、全部車につぎ込んでるって言うのもね。やっぱり違うんじゃないの」
「それはいえるかも。なんで働いてんのかなぁと思うこともあるよ。でも、とりあえず車のためだって言えるもの。まあ、どっちもどっちか」
ふたりは声を合わせて笑った。
 里美が、コーナーをすり抜けてゆく。ボクサーエンジンがうなっている。
もうすぐ、冬の海だった。

夜の海は、陽の光の下では見せなかった姿を持っている。暗い海は暗い空にとけ込み、波音だけが遠く、近く、響きわたる。それは、時の彼方の声のようだ。
ヘッドライトの向こうに、白く砕ける波が浮かび上がった。眺めていると、自分が小さな生き物だと思えてくる。
 仕事で落ち込むことがある度に、里美はここに足を運ぶ。恭子を誘ったのは、友達にそんな自分の一面を知って欲しかったのかも知れない。
里美は小さくため息をついた。恭子は、ドライブインの駐車場で海風を浴びている。
「ねえ、誰かいるみたい」
こっそり戻ってきた恭子がささやいた。
「おかしいの。歌を歌ってるみたい。結構いい声よ。ちょっとのぞいてみようか」
「やめておきなさいよ。変な奴だったら困るじゃない」
 「大丈夫。スーパーレディの里美さんがついてるものね」
 冗談ともつかない言葉を残して、ひらりと恭子は駐車場の闇のなかに溶けていった。
 「まったくもう」
 なんて世話の焼ける。言葉を飲み込んで里美は駐車場に降り立った。風が刺すように冷たかった。
 歌声は、駐車場の外れ、大きな岩の影から流れていた。風をさけてテントが張られている。安物ではなく、しっかりとしたテントだ。
 傍らにはバイク。それも、仕事で使われるようなスーパーカブが止まっていた。
 声の主は、テントの前でなにか料理を作っていた。ガソリンバーナーの青い光がちらちら見える。あたたかそうなダウンジャケットを着ていた。
 「けっこうお歳だよ」
 「ホームレス、じゃないね。でも、この寒いのにキャンプツーリング?」
 二人の声に、声の主は振り返った。初老の男性だった。
 「おやまあ、べっぴんさんがふたりも」
 初老の男はからからと笑った。
 「まあ、よければこちらにおいで。あんまり寒いんで甘酒を作ってたとこだ。ごちそうするよ」

 「このバイクで旅をしているんですか」
 里美がきいた。きれいなカップに入った甘酒は、体の芯から温めてくれるようだった。
 男はうなずいた。
 「ずっと仕事で使っていたバイクでね。まあ、派手なバイクよりもこいつがいい」
 「でも、山は雪とかもあるでしょう。こんな時期に旅しなくっても」
 「ところがスーパーカブには、スノータイヤがあるんだ。仕事用のバイクだからね。去年は、冬の北海道へこいつで行ったよ。冬走るっていうのもおもしろいと思ったね」
 里美はそんなものかと思った。人はいろいろだ。
 「銭湯へ行って、帰ってくると髪の毛がばりばりに凍っていてね。タオルが、ぼうっ切れみたいになるんだ」
 男は、目を輝かせてしゃべっている。
 「よく、凍え死にしなかったですね」
 里美の言葉に男はうなずいた。
 「死ぬかと思うこともあったよ。ぜんぜん進めない日もあった。派手に転倒して、青あざを作ったりね。もう帰ろうなんてしょっちゅう思ってた。でも、帰らなかった」
 「どうしてですか」
 恭子が不思議そうに尋ねた。
 「さあ、わからない」
 男が言った。本当に、分からないようだった。
 「楽しかったんだろうな。そんなことが」
 「どうして、旅をしているんですか。奥さん、心配してらっしゃるでしょう」
 恭子が身を乗り出して尋ねた。
 男は手のなかのシェラカップの中をじっと見た。その中に答えが書いてあるように見える。
 その横顔は真面目に今までを過ごしてきた男の顔だった。
 「うーん。子供がみんな成長して、家内の面倒くらい見てくれる。家内も、好きなことが出来るしね。お金の心配もない」
 男は、顔を上げた。微笑んでいた。
 「退職するときに考えたんだ。いままで、仕事だけだった。自分のために何をしてきただろうって。若いころにはしたいこともあったんじゃないかって。だから、これから始めようかと」
 「それが、旅?」
 「夢は忘れちゃったからね。でも、バイクで旅するのもいいなぁて。家内も分かってくれたし、仕事で使ってたこいつも譲ってもらえた。50なら安心だって」
 男はスーパーカブをみた。良く見るとくたびれたカブだ。でも、手入れが行き届いているように見える。
 「これから南に下って、春までには家に帰る。しばらくのんびりと家内と温泉でも行って、それから」
 男は背伸びしていった。
 「オーストラリア一周だな」

 「ごうかいなおっさんだったね」
 里美がエンジンをかける。インプレッサは、身震いして目覚めた。
 長い時間しゃべっていたような気がしたけれど、時計の針はほんの少し進んだだけだった。
 とおくに、男の歌声が聞こえてくる。
 「若いころ、どんな夢があったんだろうね。歌手になりたかったとか」
 恭子がつぶやいた。
 「里美は、どんな夢があるの」
 インプレッサがゆっくりと駐車場をでてゆく。街へ帰るのだ。
 「ある日、衛星放送を見ていたらラリーをやっていてね。なんだか、いいなぁって。夢というほどのものじゃないけど。だから、この車を買ったのよ」
 「ラリーか。かっこいいじゃない。やれば?」
 「そんな簡単に出来るものじゃないのよ」
 「そうかなぁ」
コーナーでぐっとハンドルを切る。とたんにインプレッサは意思のある生き物のように向きを変えた。そのまま、アクセルを開ける。コーナーに張りついたまま、加速が始まる。
いつもはわくわくする瞬間が、いまはなぜか味気ない。
 「あたしは、バイクの免許とる」
 恭子が宣言した。
 「本気? あのおっさんに影響されたな」
 「本気だよ。なにが出来るかわかんないけど、このままじゃやっぱり嫌だもの」
 本気だということは分かっていた。
 「そうだなぁ。あたしは、なにが出来るんだろ。なにがしたいんだろ」
 里美はつぶやいた。街の明かりが、戻りつつあった。


No7 二十歳の夜 1996年1月


こんな昔でも、スーパーカブの愛好家やキャンプが好きな人がいたんです。今も昔も変わりないなぁ思いながら、私も旅に久々出てみたいです。昔より旅も制約が多くて、今じゃ海岸でも自由にテント張れませんけど。


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