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まっちBOX Street 05 掌編小説

まっちBOX Streetという掌編について


1995年から2001年まで、福井県の無料自動車情報誌に連載していたものです。
当時のデータがあり、そのままの形で転載します。ですから古い車名が出てきますが、気になさらないでくださいね。
73編あるのでぼちぼち公開します。


No5 天国と地獄


気持ちのいい朝だった。
窓を開けると涼しい風が入ってくる。空が高く、ぬけるようだ。高校生がゆっくりと歩いて行く。女子高生のにぎやかな笑い声が聞こえ、電線ではスズメが唄っている。
ぐっすりと眠り、すっきりと目が覚めた。こんな朝は、そうそうあるものじゃない。
『ごはんですよ!!』
女の子の声に振り返ると、テレビの連続ドラマが始まっている。
「やっぱり、彼女ほしいよな」
優一はつぶやきながら冷蔵庫を開けた。

朝食はハムエッグにインスタントみそ汁。ひとり暮らしのわりには、まあまあの食生活だと優一は思う。降ろしたてのワイシャツに、お気に入りのネクタイをしめた。今日はそんな日だ。
なんだか絶好調なのだ。愛車レビンの輝きも、いつもと違う気さえする。
イグニッションキーをまわす。
「ん?」
セルモーターは『ぐうっ』と一回転しただけで沈黙した。
「おいおい、そりゃないだろう」
ぐっぐっというこもった音がするだけで、セルは回らない。4A-GZEエンジンは、目覚めなかった。
原因は単純。昨晩はテレビで野球を見るために少々あわてていたし、駐車場は照明で明るいからスモールを消し忘れたのだ。
あわてて、辺りを見回す。
まだ、出勤していない車が一台あった。こうなれば、なんとしてもバッテリーをつないでもらうしかない。
時計をちらりと見る。
八時半。まだ、会社へ九時までに余裕で行ける時間だ。まだ、ラッキーは続いている。
見覚えのある人が駐車場に入って来た。パンをくわえたまま、小走りで…
優一は悪い予感がした。

「それが遅刻の理由ってわけか」
カローラバンの助手席で、係長がおかしそうに言った。
「ええ、寝坊したからって断られたんですけど。考えてみたらブースターケーブルをもっていないんですよ、僕。だから、通りがかりの車を止めるわけにもいかないし、JAFを呼ぶしかなかったわけで」
係長は、ふうっと煙をはくと煙草を灰皿でもみ消した。
「まあ、打ち合わせの時間には間に合うだろうし、よかったよ。でも、悪いことは続くって言うからな気をつけろ」
「もう、大丈夫ですよ」
そうそう悪いことが続くわけがない。
車は眺めの良いバイパスを順調に流れて行く。この道路にしたってそうだ。昨日までは、工事でひどい渋滞だったのだ。風景を見る余裕なんてなかったのだ。
その渋滞を見越して早目に会社を出たのだが、今日は工事が終了したのか順調に流れて行く。このままでいくと、かなり早く客先に着くことになる。係長は鼻歌まじりに、遠くの山を見ている。
打ち合わせは午後からだから、係長ご推薦のトンカツ屋に行くことになるだろう。係長はいつも必ずおごってくれるのだ。
「なに、にやにやしてるんだ」
係長が言った。
「いえ、やはり今日はついているんじゃないかなぁと……」
その時、車ににぶいショックを感じた。
ぐっとハンドルをにぎる。急に車体がゆらゆらし始める。係長が眉間にしわを寄せながら優一を見た。
路肩にゆっくりとカローラバンをとめる。
「やっぱりついていないんじゃないの」
係長がため息まじりに言った。
「パンク、ですよね」
窓からのぞくと、右前輪のタイヤが見事につぶれていた。
「時間もスペアタイヤもありますから」
優一は、つぶやくように言った。

「こりゃだめだな」
係長はスペアタイヤを見るなり言った。
スペアタイヤはひどい代物だった。サイドに大きな穴が開いている。ようするに、誰かが運転したときにどこかに当ててタイヤが裂けたのだ。
それで、スペアタイヤと交換してそそのままになっていたらしい。つまり、カローラは初めからスペアタイヤをはいていたというわけだ。
はずしたタイヤの方がまだ、修理ができそうだった。
「あそこ、見えるか」
係長が道路の先を指さした。遠くにガソリンスタンドが見えた。そこまでは、なにもない。ふりかえっても、道路沿いには何もなかった。
「あそこまで、転がして行くしかないな」
係長の声がきこえた。
「まあ、ラッキーだったかもな」
優一は、手が真っ黒になっているのに気が付いた。新品のシャツには、汗と、黒い手の跡がついている。
優一はふかいため息をついた。

まったくなんという一日だろう。
優一は、夕暮れの街をゆっくり走りながら何度目かのため息をついた。街は、渋滞の時間だ。
結局、トンカツは食べ損なった。優一がタイヤを転がしている横を、係長がタクシーで抜いていったのだ。
なんでも、客が食事と打合せを一緒にしたいと携帯電話が入ったと、係長はタクシーの窓越しに説明していった。
優一が車を直して客先にかけつけると、係長は客を現地まで乗せていくと優一に宣言し、なんとかパンとミルクにありつけたのは、4時を回っていた。
「すまんな」
係長はいった。こういう日もあるのだ。しがないサラリーマンだからしょうがない。係長はそういう事を言ったように思う。
ちなみに係長の食事は徳上寿司だったそうだ。
車がゆっくりと進む。でも、じきに止まってしまう。それの繰り返しだが、今日はなぜかいつもより流れが悪そうだった。
こんな日に急いでもしょうがない。回りの車は殺気だっているようだったが、優一は焦らないことにした。
渋滞の原因は、大型トラックだった。どうやら、普通車に追突したらしい。それで、走行車線をふさいでいるのだ。
「大丈夫だったのかな」
普通車はかなりひどく壊れている。
事故見物も渋滞の原因のようだった。
「おっと」
見とれてたせいで、前の車に追突しそうになった。交差点が赤信号にかわり、流れが止まったのだ。
後ろで音がした。
いきなり、頭が後ろにふられる。ヘッドレストに頭がぶつかる。反動で、前のめりになる。シートベルトが肩に食い込む。
あわてて、ブレーキを踏む。
前の車に向かって進みだした車が止まる。
「やれやれ」
どうやら自分が追突されたらしい。前の車に当たらなかったのはラッキーだが、当てられたのでは笑い話だ。

事故現場の前に車を移動した。
当てたのは、マーチだった。見ていたおまわりさんが苦笑している。
降りてみて分かったのだが、どうやらほかにも追突事故を起こした車がいるらしい。呼ばれるまで、おまわりさんはくる気はないようだった。
「ごめんなさい」
マーチからあわてふためいて、女の人が降りてきた。どこかのOLらしい。けっこう美人だ。
「あまりたいしたことはなさそうだけどね。とにかく、車は直してもらわないと」
それほど被害はない。首に手を当てて、レビンのバンパーをのぞきこんだ。
「首、痛いですか」
OLが気にしたのは首のほうだった。
「保険やさんに電話しますから、とにかく先に病院へいきましょう」
「それより、腹へってんだけどなぁ」
「後で、なにかおごりますから」
そういったOLが、急に目を輝かせた。
「木村君? 木村君でしょ」
「え?」
「今野です。ほら、同級生の」
「ありゃ」
高校時代の同級生だった。あまりぱっとする子ではなかったけれど、社会人になれば変わるものだ。

むちうちはたいしたこともない。車の修理もそうお金もかからないだろう。かかったとしても、彼女の保険なのだ。
とにかく大変な一日だったと思う。
「ところで、これは天国だろうか。地獄だろうか」
優一は、隣で寝息をたててる同級生をちらりと眺めた。
窓の外には、洗濯された白いシャツがはためいている……。


No5について 1995年11月


中古車雑誌ということで車の車名を入れてますが、なくてもいいのではと思ったり。タバコも吸っちゃってますが…(^^♪
まあ、人生、運がよかったり悪かったり…

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