【小説】それゆけ!山川製作所 (#18 社内行事④)

飛雄馬の大健闘に熱の冷めない観客(社員)たちであるが、いまだ戦い続ける男がいることを忘れてはならない。
開始以来、目をつむり腕を組むスタイルを守り続けている選手。
営業部営業一課の『真面目人間』。
田中 正だ。

正直、スクリーンに映る彼の様子には少しの面白みも感じられなかった。

改めて言うが、観客(社員)たちは参加者が己と向き合い戦っている姿を楽しみに、この大会を観覧しているのだ。
まったく動きのない場合、それは静止画を見ているのと変わらない。
だからこそ、競技開始1時間は皆スクリーンなどそっちのけで食事や酒を楽しんでいたのである。

しかし、ここまでくると話は変わる。

今まで誰も破ることのできなかった黒川専務の大会記録を更新してなお、田中には少しの揺らぎも確認できない。
今となっては、そんな何の面白みのない田中の姿から目が離せなくなってしまっていた。

「化け物だ」
「伝説の始まりだ」

会場中からぽつりぽつりと声が上がる。
誰もが異常性に気づき始めていた。




競技開始から4時間30分が経過する。
すでに飛雄馬が脱落してから1時間以上が経過した。
いまだに田中の様子に変化は見られない。

この異常事態に、もはや声を発する観客(社員)は誰もいなかった。
実況であるはずのユキですら、4時間経過のアナウンス以降、一言も言葉を発していない。
人は信じられないものを目の当たりにすると、言葉を失ってしまうのだ。
そんな現象がこの『YAMAKAWA DOME』に詰めかけた約50,000人に同時に起こっている。

実況席に座る黒川専務でさえ、ずっと口を固く閉ざしたままだ。
因みに莉子はウトウトしている。




このまま永遠に競技が続くのではないかと思い始めた頃、田中を映し出すスクリーンは奇妙な音を拾い始めた。



「ズゥー……ズゥー……」



微かに聞き取れる程度の音。
それに気づいた観客(社員)たちは「まさか」「嘘だろ?」と口にし始めた。

「……黒川専務。ま、まさかこの音は?」

その奇妙な音は実況席にも届いていたようだ。
ユキは信じられないといった表情で、解説の黒川専務を見る。

「……間違いない。これはいびきだ。彼は……」

ここまで言うと黒川専務は自身の顔を両手で覆った。

「彼は……、寝ている!!」

この日一番のどよめきが起こる。


最も苦しむことなく時間を経過させる方法とは何かと問われれば、おそらくそれは、寝て過ごすということになるだろう。

明日のイベントが楽しみでなかなか眠ることができないのに、寝てしまえば一瞬で朝になる。
そんな経験をした人は多いだろう。
自身の精神状態に関係なく、一度眠ってしまえば、あっという間に時間は過ぎてしまうものなのだ。

田中の性格上、おそらく狙ってやったことではないと思うが、結果として彼は精神に最も負担をかけない状態で競技を行っている形となった。

「わたしも何度か考えたことがある。この苦しい時間をどうすれば楽に長く過ごすことができるのか……。もちろん寝て過ごすことも浮かんだが、すぐにその考えは消えたよ。皆も彼の異常性に気づいているだろう。寝てもなおブレーキペダルを踏む右足が少しも動いていないことに……!」

解説する黒川専務の声が震えている。
そんなエンジンストップレジェンドの様子に、誰もが田中の異常性を再認識した。

「田中選手!寝相がいいというレベルではありません!その姿はまるで、エンジンを切って寝ている外回りのサラリーマンのようです!」

「彼は人間じゃない!」
「人類の未到達地点だ!」
「神の領域だ!」

ユキも興奮を隠せない。
観客(社員)たちも、田中の神業を前に感情を爆発させる。


しかしここで、実況席に座る莉子だけはどこかひっかかりを覚えた。



(……エンジンを切って?)




そしてハッとする。
かつて莉子は、『アイドリングストップ』を『アイドリングしながらストップする』というとんでもない勘違いをしていた田中を見ている。


(ま、まさかエンジンストップを間違えて理解していることなんてないよね……)


急に背筋が寒くなり、体中から冷汗が吹き出してきた。


(い、いや、エンジンストップを『エンジンをストップすること』と勘違いしていてもおかしくない……)


時間が経つにつれて莉子の心は不安で満たされていく。
あれほどまでの執念を見せつけた飛雄馬。
そんな覚悟を見せつけられた後で、実は最初からエンジンを切っていましたなんて洒落にならない。
なぜか山川製作所の社員たちは、このエンジンストップ大会に驚くほど真剣なのだ。
競技方法を間違ってましたなんて、田中の今後の社会人生活に影響を及ぼしかねない。
莉子の顔色がどんどん悪くなっていく。

そんな中、タイムはついに5時間を突破していた。


(ま、間違いない!ペダルには足を押し返す力が常に働いている!いくら寝相がいいからって、ずっと一定の力を入れ続けることなんてできない!)


「ん?どうした浜川さん。顔色が悪いようだが?」


不安に掻き立てられた莉子の顔は、もはや真っ青になっていた。
心配した黒川専務が声をかけるが、莉子は気が気ではなく反応ができない。

「本当に大丈夫か?まぁ君の直属の上司が伝説となる瞬間を見ることができるんだ。緊張するもの無理はないと思うがね」

(やめて!!関係性を再確認しないで!!)

多くの社員を裏切る形となってしまう課長自体ももちろん心配であるが、直属の部下という事実は、自身に対する今後の社内での風当たりにも影響が出てきてしまうだろう。
莉子はこの一流企業でずっと働いていきたいと考えているのだ。
入社したばかりで躓くわけにはいかない。

「それにしてもいくら寝息が聞こえているからといって、ここまで社内で座り続けること自体、体に相当な負担がかかっているはずだ。念の為、一度レフリーに様子を確認してもらったほうがいいだろう」


田中の体を心配した黒川専務の進言に、莉子はぎょっとした。

おそらく、レフリーが車に近づき中を確認すれば、さすがにエンジンが切られていることに気づく。
そうなってはお終いだ。
何か解決策がないか模索ずるべく時間を稼ぐためにも、ここでレフリーを車に近づけさせるわけにはいかない。


「く、黒川専務!田中課長は日頃からお世話になっている上司です!私が様子を確認してきてもよろしいでしょうか!?」


後がない莉子は、ここでとんでもないことを言い出す。

いくらなんでもレフリーでない者が確認するなど考えられない。
しかも、この確認で異常なしと莉子が判断すれば、後々事実が明るみになった時、彼女自身にも非難が集中する。

しかし、とにかく時間を稼ごうと考える新入社員の頭では、そんな簡単なことすら理解できない状況であった。
それだけ追い込まれていたのだ。

「浜川さん、さすがにそれは・・・・・・」

実況者のユキは許容しかねるのだろう。
困ったように笑いながら莉子を見る。
しかし、黒川専務の考えは違ったようだ。

「いや、立川くん。上司を心配する莉子くんの姿は非常に美しい。ここは特別に許可しようじゃないか。立場や状況に関係なく、まっすぐに誰かのことを思える社員は私としても大歓迎だよ」




実況席から競技場へ移動する莉子。
フィールドに出ると、会場に詰めかける数万人の目線が突き刺さる。

(どうしよう!どうしよう!)

勢いで進言してしまったものの、車を確認してなんと言うべきかなど全く考えていない。
もちろん解決方法なんて思いついてもいない。

それでも今更やめるわけにもいかず、泣きそうになりながら一歩一歩進む。いつも困ったときに助けてくれる課長は、今は車の中で寝ている。
この場では誰も救いの手を差し伸べてはくれないのだ。

歩を進めるごとに気が飛びそうになる。

素直にエンジンが切れてますと言うべきなのだろうか?
いや、お世話になっている人を売るような真似はしたくない。
でも私にも今後の社会人生活がある。
こんな究極の2択は選べない。


(ああ、私は何をやっているんだろうか……)

莉子は、今日も普段通り出社した。
いつもより人が少ないなとは思ったが、自分には関係ないと思い仕事にとりかかろうとした。
すると、同じ部署の先輩が突然莉子にアイマスクをかけたのだ。
彼女は混乱したが、「大丈夫だから」と連呼する先輩を信じ、黙って従ったのだった。
体感で1時間ほどだっただろうか。
彼女がアイマスクを取ると、そこは『YAMAKAWA DOME』の控室。
よくわからないまま気づけば実況席に連れられ、競技の解説者ということになっていた。

(なんでこんなことに……)

突然始まったエンジンストップ大会。
最初こそ付いていけなかったが、時間が経つにつれて会場の雰囲気にも慣れた。
まぁまぁ貴重な体験ができたかなと思い始めていたのだ。

その矢先にこの事態。
もうどうしたらいいかわからない。


まもなく車に到着してしまう。
今までの社会人生活が走馬灯のように流れた。
もう心が限界だ。



莉子が全てを諦めかけた時だった。




「ドゥルン!ドドドドドドド」



「あぁっとここでエンジンが始動してしまったぁ!」

「記録は5時間1分35秒。伝説が誕生したな」

黒川専務の読み上げた記録に観客(社員)たちは感情を爆発させ、会場のボルテージは最高潮にまで上がる


「へ……?」


一方状況が理解できていない莉子。
しかし、彼女目からは自然と大量の涙があふれ出ていた。


スッキリとした表情で車から田中が出てくると会場中が拍手で包まれた。
そして大泣きしている莉子と田中の目が合う。

「どうした浜川さん。そんなにも喜んでくれているのか」

「か、課長〜〜!!」

莉子は駆け出し、田中に勢いよく抱きつく。
多くの観客(社員)の目があることなど関係ない。
部下と上司の抱擁に会場も暖かな空気に包まれた。


田中は莉子の頭を優しく撫でる。

「応援してくれてありがとう浜川さん。少しは上司として恥ずかしくない結果を出せることができたかな?」

「ぐぅ〜〜・・・・・・!がじょ〜〜!!」

ボロボロ泣く莉子は田中の胸に顔を押し付け声をあげる。



こうして感動に包まれる中、大会記録を大幅に更新するという最高の形を持って、今年度のエンジンストップ大会は幕を閉じた。
確実に後世まで語り継がれるような、伝説の大会となっただろう。




誰もが感動に胸を熱くし、心が満たされていた。

(……言えねぇ!……課長が勘違いしてエンジン切ってると思ってたなんて言えねぇ!)


ただし、莉子を除いて。




5時間1分(New Record!)。
営業部営業一課。『真面目人間』。
田中 正(タナカ タダシ)。


優勝。


<END>



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