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「あなたの町でなぜ『地域おこし』が進まないのか?」-脱構築から考える


はじめに

今回の内容は地域おこしに携わる皆さんだけではなく政治や自治体の立ち位置について言及をしています。

「なんだ政治批判か」

と思われそうですが、私の思いとしてはそうではなく、「なぜ地域おこしが進まないのか?」という素朴な疑問を日々の生活から感じた「違和感」を元に客観的に眺め、「現状の実態」、なぜ町おこしが進まないのか?の原因をお伝えすることが目的です。

「なぜ15年も経って町おこしが進まないのか?」

2009年から町おこし協力隊制度が始まって既に15年。

それでも直近で総務省より報告された人口推移の予測から2050年に800近い自治体が無居住化(消滅)すると報告されています。

なぜ「町おこし」は進まないのか?

これまでは私自身今までは「何とかしないといけない」、「自分の力が足りない」と自己否定に苛まれることもあった。

町おこしの制度を元に町をよりよい方向に「構築」しようとするから、「自分が足らない」のかと「自己否定」に陥る。故に建設的な視点を忘れ、構築しない視点、「脱・構築」の視点から町おこしがなぜ進まないのかを考察してみた。

例としての広島県と地域おこしが進まない原因

神戸にいる際に、移住者の問い合わせNo.1は静岡や長野、関西圏近くでは和歌山であり、移住説明会への申し込みはNo.1は私の故郷「広島」とあった。

私自身仕事をする傍ら広島県が主催する町おこしの学習イベントに参加、アイディアを出し、実行するなどして少子化を通り越して衰退と過疎化が進む故郷で町おこし活動を行ってきた。

故に、広島は危機感を持っていてしっかりと地域おこしの地域のプレイヤーを育成していると思っていた。

しかしながら、一旦否定的な視線から物事を冷静に考えると、町おこしが進まない要素が2つ見つけた。

1つは、説明会もNo.1で地域プレイヤーの育成やサポートにも力を入れているのに、街中でそれに関する話を聞かない。

広島市内は都市であり、過疎化の心配もないと思っている方も多いだろう。

しかし、2050年に広島県北の多くの自治体、沿岸の中山間地の人口も減少し、衰退していく。

全国を見回しても出生率の全国平均は「1.26」。父と母から1人の子供しか生まれていない。つまり世代を追う毎に人口は2分の1に、半減している。

そんな世が続く中でまだ自分の都会であっても、大阪、名古屋、東京の大都市圏に人が流出し、現在転出で広島はワースト1を直近で3回もとっている。

しかしながら、「広島やばいよね」、「広島やばいよねと思っているけどどうしようもない」という雰囲気は街の中にない。

地域おこしに携わっている関係各所やプレイヤーたちは「何とかしなくては」と思っているものの、人口比からして町おこしに関わっていない多くの人たちが「やばい」と思っていない。

「危機感」を共有していないが故の当事者意識の欠如

1つ目の原因は県、市、町のそれぞれのカテゴリの自治体において、住民全員が「危機感」を抱いていないから町おこしは進まないと今回気づきました。

人口減少は「日本」の課題であるはずで、日本国民全員に影響あることなのだが、地域おこしや自治体関係者の一部しかその危機感を抱いていない。何よりもその危機感を知事や市長、町長が住民に認知・共有していないことがその原因。

たぶん選挙が絡むので「不安要素」「マイナス要素」になる「危機感を煽る」行為をすると、政治が上手く行っていないと責任問題になるからかもしれない。

しかしながら、この地域プレイヤーと一般住民の分断が地域おこしが加速しない主な原因であると思う。地域に入って古民家カフェを経営はするが観光協会や自治体の観光課と繋がっている人も意外と少ない。

住民全体が「危機感」を持たないと、私もそうだが私だけが何かをやっていて、「あぁ、誰々さんが今日も頑張ってくれている」、「わしらにはできん」と地域に関わる人と地域に関わらない人との隔たりも埋まらないし、行動も促せない。

全体が本気で「まずい」と思った先に「何かできることはないのか」が始まり、町が動き出すのではないだろうか。

危機感の共有が出来ないままではいつまでたっても、自分自身が「当事者」であるという認識が持てず、「私には関係無い」という住民が衰退していく町の中に跋扈する状態が続きます。

地域おこし体制が付随して生み出す弊害

この危機感の共有が出来ない仕組みは自治体にも原因があり、付随して更なる弊害を生み出しています。

勿論、地域おこしに携わる部隊は危機感を認識しています。

しかしながら、その取っている手法が更なる弊害を生み出しています。

それは、行政が委託会社に任せて、地域のプレイヤーを育てること。

行政は動いていますが、地域を活性化させる大枠は自治体が作成し、プロポーサルで公募しますが、自治体が具体的な解決策を考えることを放棄して、いつまでたっても依頼主で、成果は委託会社次第。これでは責任感を持つことも、またアイディアを生み出す力もつきません。

何より、地域のプレイヤーを育てるよりもまず先に危機感の共有をすることが先決であるにも関わらず、「地域おこしに興味がある人」と一部にしか地域の課題を訴求していません。

結果、危機感をいつまでも持たせない仕組みも地域おこしが進まない原因の一つと言え、自治体に地域の課題を解決する課題解決能力がつかないままです

もう一つの原因「停滞感に発する無気力、真面目さ」

今回のテーマは本当に「日本の課題」と言えます。そしてこの課題を生み出しているのが歴史的な背景と歴史的背景から生み出された「日本の教育」が生み出した弊害と言えます。

地域おこしが進まない原因の一つは全員が「地域の将来(大都市)がどうなるか」を知らずに「危機感」を持てていないこと。

広島市は大丈夫と思っていても、広島県内の多くの自治体が衰退する。
他県に逃げるか、広島市内で暮らすか。その結果、広島県内は広島市を除いて大きな空白地帯が出来ます。その結果、県内観光者の多い地域はどうなるか。少子化と合わせて恐ろしい未来が私には見えます。
是非皆さんもご自身の住まわれている県と自治体の関係性をgoogle earthと総務省の「我が国の長期的な人口推移」と見比べてみてください。

話は脱線しましたが、自治体の中には「危機感」を既に共有し、動いている自治体もあると思います。

しかしながら、危機感を情報として伝播するだけでは「地域おこし」はまだまだ加速しません。

その理由が本章のタイトルにある「停滞感に発する無気力、日本の教育から生み出された真面目さ」が原因です。

それぞれ私が感じたことをお伝えしたいと思います。

一つ目は例え「危機感」を共有されたとしても、既に「上がらない賃金」、「少子高齢化」、「人口減少」などの「負」のキーワードが日々のニュースの中で報じられるにも関わらず、誰も動こうとしない。

その原因はこれまでの「希望を見出せない日本が生み出す『閉塞感』」が地域課題に対する「無気力」や「無関心」を生んでいるからです。

高度経済成長に繋がる日本の敗戦後は「日本は戦争では負けたがここから頑張るのだ」という負のどん底から這いあげる「勢い」がありました。結果、総務省の発表している資料にあるような人口爆発&経済成長が起こり日本は先進国の仲間入りをしました。さらにその弊害として公共施設・医療制度も充実し、寿命が1.5倍まで伸び、高齢化が生まれ、その中で生産性が上がらないので長時間労働でプライベートの時間を削られ、更に賃金が上がらないので交際すること結婚することにも消極的となり晩婚化が進みました。

人口爆発と高度経済成長の終焉後はバブルの崩壊を機に不安がずっと日本を覆いつくしています。就職氷河期、終身雇用の終焉、年金問題。「失われた30年」は「不安な希望の無い30年」と言い換えて差し支えないと思います。30代の方は物心ついてからずっと、60代の方でも30歳以降からはずっとこの不安の中で生きているので、どれだけ「希望の無い中」で生きて来たか。

この日本を覆う「先行きの無い濁った未来」、「選挙に行っても意味が無い」、「政治では変えられない」と追い打ちがいくつもあり。微かな期待をまだしていますが、「期待しても無駄だという思考」さえあると思います。

この閉塞感故に、「危機感」を共有しても変られない。「何かしても無駄だ」と思いがちです。まだ「自分が何かできる」、「自分の町を救うことが出来る」という「許可」と「承認」が伴う「当事者意識」の芽生えを閉塞感が押しつぶしているからです。

日本の教育が生み出す弊害

この当事者意識の芽生えを生み出す副次的な要素が、日本の教育が生み出すもう一つの弊害です。

日本の教育は「真面目に指示されたことをこなす」ことを主体としています。「指示された」、「教えられた」ことをする。そこには個人の責任は存在しません。それさえきちんと遂行することが出来ればよい成績をとれ、良い大学に進学し、良い企業に入れるという高度経済成長期の終焉に生まれた価値観がまだ社会の全体を覆っています。

この結果、「意見を言うこと」は憚られ、「課題を自ら発見する」という自立的な行動をとることは評価の対象に入りません。
この教育を通して沁みついた「主体性の無さ」、「議論せずに遂行する」、「言われたことをすれば評価される」という思考が大学を卒業して入庁した人に染み付いたままです。

故に企業でも、自治体にもこの「指示されたことをする」、「そこに自分の意見や思いは介在させなくてもよい」が大勢いて、閉塞感と合わせて、危機感で煽っても「指示」ではないので、自ら地域おこしに飛び込むようなことはしませんし、熱意を持つ人も稀というのが現状です。

この文章は私の感覚でこういう人が多いと書き綴っただけで理路整然としていない部分、材料が不足、もしくは言葉が足りていませんが。皆さんの感覚とのずれもあり、解消は難しいかもしれません。可能であれば皆さんの感覚で補って理解していただければ幸いです。

ではどうすれば「地域おこし」が加速するのか?

前章でかなり社会的な日本人の在り様を記述しました。
これを読んでもう「何もできないって言いたいの?」と思われた方もいらっしゃると思います。

しかし、日本人の多くがそうであるというだけであって、そうではない人もいます。それが「地域おこし」に関心がある方。「何か人の為にできないか」と思っている人です。

こういう視点においては自治体が地域のプレイヤーを育てることは「意欲ある人」を対象に育成するのでマーケティング的には正当と言えます。

しかしながら、もう一度大元に立ち戻ってそれを約10年近く続けてきた広島はまだ全国ニュースで紹介されるような自治体の成功事例を取り上げられていませんし、転出ワースト1です。

全員に危機感を促しても、全員が動ける訳ではない。

意思がある人に訴求しても結果は見ての通り。

出来ることは一つ。

全員が動ける訳ではないが、現状確実に欠けている「危機感」、「県」が「市」が、「町」がこの先の将来で大きく衰退していくという事実を共有することはまだしていないですし、出来ていません。

何よりそこら辺を歩く方がそれを認識してさえいません。

危機感の認識が無いのは勿論、行動として周知もありません。

知っているのは興味関心がある人だけです。

そして、「危機感」共有した上で、「自分たちの県が廃れて言い訳がない、だからここから成長するぞ!」と閉塞感を打ち払う戦後の大号令の様な指針の共有を行う。これをすることにより危機感は共有され、全員が当事者となり、たぶん「で具体的に何したら?」という文句不平を言う人が生まれます。

「何したら」と疑問に思えるだけ、「自分にも何かしら求められている」と当事者意識が芽生えるだけで現状を変えることができます。

「できる」という言うけど行政じゃないと無理なのでは?」、「私たちに何もできないんじゃないの?これ?」と言われそうですがそうでしょうか。

リンクの資料だけでも個人で訴求する材料になるのではないでしょうか?
前述したように日本人は「自ら課題を発見」しません。他国からは「学ばない」と言われています。

「地域おこし」に携わる人は知っている「かも」しれません。
それ以外の方は知らないと思います。
中には「知ってる知っている」という人もいます。
が「知っている」という人ほど「日本の人口減るんだからどうしようもできないよね」と知っていながら危機感を放置しています。

そんな知っているが放置している人はあてになりません。

知っている人が危機を共有して、地域おこしが進むような体制をとっていないから地域おこし協力隊が始まって15年。

「過疎化から脱却した」という町がニュースで流れないし、「私たちがまだ地域おこしどうしたらいいのか」と考えているのですから。

最後に

繰り返しになりますが、今回の内容は地域おこしに携わる皆さんだけではなく政治や自治体の立ち位置について言及をしています。

「なんだ政治批判か」

と思われそうですが、私の思いとしてはそうではなく、「なぜ地域おこしが進まないのか?」という素朴な疑問を日々の生活から感じた「違和感」を元に客観的に眺め、「現状の実態」、なぜ町おこしが進まないのか?の原因をお伝えすることが目的です。

実態をどう捉えるかで、思考と行動は変わります。

私たちは町おこしする際に「下地づくり」をしたように思いますが、「関連する極一部」の方としか認識の共有をしていません。

「町」を起こす、「自治体」を興すのが「地域おこし」です。

しかし、「興す」。再び盛り上げる前に、まず地域がどれだけの「危機の中にいるのか」を共有し「人々を長い閉塞感から呼び起こす」ことから始めるべきではないでしょうか。


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