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アダルトチルドレンだった私が完璧主義から抜け出せた方法ー頼ることが苦手なあなたへー

はじめにー完璧主義の苦しさー

アダルトチルドレンだと気づいて苦しんでいる方、
渦中ではないけれど、よりよく生きていくため「自分軸の生き方」を身につけたいと試行錯誤している方へ。

この記事では、どのようにすれば「完璧主義」から抜け出せるのか、元アダルトチルドレンの私が、経験談を交えながらお話ししていきます。

まず始めに。
あなたは、次のような自覚がありますか?

  • 小さい頃、スポーツや勉強でいい成績が取れると、親や周囲にほめられて嬉しかった

  • いつも全力投球で頑張っているので、苦しくなることがある

  • 熱心でない人を見るとイライラする

  • 疲れたり行き詰まったりしていても、周りに助けを求められない

  • 完璧でないと認められないと思う

  • 失敗することがとても怖い

  • 挑戦したいことがあるが、どうせうまくいかないと思うから踏み出せない

多かれ少なかれ、感じるところがあるのではないでしょうか?
(ちなみに、当時の私は5/6当てはまっていました・・・。)

「完璧主義」が苦しいのは、自分自身を見えない鎖で縛りつけてしまうからなのです。

すると、心のゆとりや柔軟な考え方が奪われてしまいます。

そして、
誰かに助けを求めたり頼ったりすることができず、どんどん苦しい方に追い詰めてしまいます。


「完璧主義」思考に陥る原因

では、完璧主義になってしまう原因はなんでしょうか?

それは、幼い頃に「完璧主義」が良いこと=完璧でなければいけないという思考を植えつけられてしまったことが原因です。

最初の問いにあった「小さい頃、スポーツや勉強でいい成績が取れると、親にほめられて嬉しかった」が典型的なものです。

「ほめれて嬉しかった」経験は、プラスの感情であり、一見何も問題ありません。

しかし、アダルトチルドレンは機能不全家庭に育つことによって生じるものです。
幼い頃から、両親の不仲に悲しい思いをしたり、ケンカが絶えない家庭で怖い思いやストレスを感じていたりします。
また、親から十分な愛情を感じられなかったり、過干渉や圧迫を受けることで、自己肯定感が育ちません。

そのため、
「スポーツができること、成績がよいことで、親や周囲が評価してくれる」
ことは強烈なインパクトを残します。

当然、ほめられようと一生懸命頑張るようになります。

しかし、裏を返せば、「できないければ愛されない」、「完璧をめざなさなけばいけない」という思考ができあがってしまうのです。

本来、子どもは、親から「無条件に愛される」存在です。
愛情で満たされることで、大人や他人との信頼関係を築いていきます。

スポーツができるとか、勉強ができるとかは、その子の個性のひとつでしかありません。

「条件づき」でしか愛されなかったという心の傷が、あなたの「完璧主義」思考を作ったことを、しっかり受け止めることが必要です。

私の場合

①優等生を演じた少女時代

私の家庭は、典型的な昭和の3世代家族でした。

これまでお話してきたように、家庭に安らぎはなく、わずか3歳頃から祖父母の面倒・介護をし、6歳頃からはご飯の支度をするようになりました。

「お姉ちゃんなんだから」の言葉にどんどん不満が募り、また、ケンカばかりしている両親の仲裁をしなければいけない日々に、うんざりしていました。

ところが。
私は、親や祖父母にとって、「自慢の娘」「自慢の孫」であるように演じ、努力してきました。

習い事のお習字も、感想文などの文章を書くことも、確かに得意で好きだったから頑張っていたのですが、裏を返せば「賞状を持って帰ったり、よい成績を取ると、家族が喜んで円満になるから」だったのです。

私にとって賞状やよい成績は、自分を認めて・ほめてもらえるツールだからこそ価値があるので、どれだけ回数を重ねても、自信や誇りになることはありませんでした。

②仕事ができる自分へのプライドと孤独・闘病

社会人として夢だった仕事に就いた私は、大学以降は実家を離れていたこともあり、自由な時間の使い方や生活が可能になっていました。

ところが、自分では気づかないうちに、ガチガチの「完璧主義」思考ができあがっていました。

まだ若く、仕事が面白かったということもありますが、土日祝日もなく、サービス残業もして、とにかくバリキャリの自分=アイデンティティのように思っていました。

仕事ができる自分を周囲が認めてくれ、時に頼りもにしてくれることに、人生で初めて誇りを持てました。

仕事に一生懸命取り組むのは悪いことではありません。
また、より良いものを目指して努力するのも素晴らしいことです。

しかし、「完璧主義」であることは、じわじわ心と体を締めつけていきます。

私は、自分自身に対してはもちろん、周囲に対しても完璧を求めるようになりました。

私がこんなに頑張っているのに、あの人はなんであんなに適当なのか。
頑張らなくても同じ給料が出るのは不公平ではないのか。

不満は、仕事にプライドを持てば持つほど強くなり、頑張っても報われないという孤独感を生むようになりました。

そして、20代半ばの若さで、ストレスが原因だと思われる大きな病気を抱えてしまいました。

病気は、その後完治するまでに5年ほどの闘病を要しました。

結果、誇りを持って取り組んできた仕事のペースやスタンスを、落とさざるを得なくなってしまったのです。

「完璧主義」から抜け出した方法

①幼い自分との対話・・・原因と向き合う

今から5年ほど前の40歳。

私はやっと死産の心の整理がつき、残された人生は自分のために、もっと楽に生きたいと思うようになりました。

同時に、「完璧主義」思考が自分を苦しめていることに気づきました。

いろんな書籍や発信者のアドバイスから学ぶ中で、
まずは「幼い頃、条件づきでしか愛されなかった心」が原因であることを認めました。

そして、幼い日の記憶を呼び起こし、気持ちを見つめ直すことにしました。

具体的には、幼い自分と対話し、何が辛かったのか、何が嬉しかったのかを書き出しました。

どんな小さな気づきでもいいので、何度も何度も書き足しました。

明らかになったのは、常に親や家族の目・評価を気にしている自分でした。

そして、「完璧にできるのがよいこと・中途半端にしたり劣っているうちは認めてもらえない」という思い込みでした。

反対に、「賞が取れて偉いね」「入賞の景品の図書券で、好きな本を買ってあげるから行こう」などと声をかけてもらったこと、その時の誇らしい気持ちや嬉しさは、リアルなまでに思い出すことができました。

②他者評価に一喜一憂しない

次に、「他者評価」=「自己の価値」ではない!ということを意識して行動するようにしました。

社会や職場では、仕事ができたり利潤を生むことができる人ほど評価されます。
私は、そういう「出来る人」こそが価値のある人だと思ってきました。

その結果、ガチガチの「完璧主義」思考ができあがり、少しも幸せになっていないのです。

どれだけ他者から評価されても、また他者評価を追求しても、自分を好きになれたり認めたりはしないのです。
やっと腑に落ちました。

そこからは、自分を認めることを意識しました。
「こんなラッキーなことがあった、ついてるよ」
「オシャレだねってほめられたね、やるじゃん」
「今日のご飯は美味しかった、幸せだったな」
私は今でも、夜寝る前に1日を振り返って、どんなよいことがあったかを考えるようにしています。

また、「今日は頑張ったから早く帰ってゆっくりしよう」と、自分が幸せだと思える時間を大切にしています。

今では、人は人、私は私と考えられるようになりました。

そして、
仕事は好きでやりがいはあるけれど、身体を壊してまでするようなことじゃない、
ここからの人生は、自分の経験をひとりでも多くの人の助けになるよう、発信していきたい、と思っています。


最後に

読んでいただき、ありがとうございました。

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