心の葬式。④

こんばんは、焼却炉です。先日電車に乗って座席に座っていたら、隣のお姉さんがものすごくもたれかかってきて、降りるときひやひやしました。今日も心の葬式を挙げていきたいと思います。

高校の時の友人たち。

いや、友達の葬式挙げすぎじゃない???

自分でもそう思う…。でも挙げずにはいられないんだなこれが。

皆悪い子じゃない、むしろこの前葬式挙げた友達二人に比べれば全然いい子。でもなんかもやもやする。

一番心にひっかかっているのは高校三年生の時。別に大した高校じゃ全然ない、自称進学校みたいな箸にも棒にも掛からぬレベルのところだった。試験前になるとメンタルがバグってウィダーインゼリーしか受け付けず、この勉強に飽きたら別の勉強をし、ストレスで真っ暗な部屋の中泣いていたあの頃。知られるのはみっともないことだと思って特に誰かに言うこともなかったし、平静を装っていたのも事実だった。試験がつらい、受験がつらい、そう言える友達がほんの少しうらやましかった。

私は推薦受験を考えておらず(というか周りの先生に指定校推薦の枠に貴方が来たら他の子が枠を取れなくなるから一般で頑張ってくれと言われたしそもそも行きたい大学がその推薦の枠になかった)一般受験での合格を目指して日々格闘をしていた。事の発端となった友達の一人はAO入試での合格を目指していた。その子の方が受験が近づくプレッシャーを味わうのが早かった。

成績に関わる定期考査のことだった。こういった定期考査が今後の試験の出来を測るものだと思っていたからこっちも気が気じゃなかった。ストレスからくる吐き気と戦いながら、ウィダーインゼリーしか食べ物は受け付けないし、一点でも多くとらないといけないプレッシャーで心は疲弊というか死に切っていたし夜になると涙も止まらなかった。それでもまぁその中で頑張ったこともあって高水準をキープしていた。

そのあとからだった、話しかけられても避けられるようになったのは。他の友達は事情を知っていた。知らないのは私だけだった。

「事情があるからそっとしておいてあげて。」

何か傷つけるようなことをしてしまったのか、不安で仕方がなかった。また夜に泣いた。

その子の合格発表の日。晴れて合格したその子は、私達のところに来て合格を知らせると共に、こう言ってきた。

「嫉妬してたの。私だって頑張ってるのに、なんで(本名)はあんなに簡単そうに高得点取るんだろうって…。勉強してなさそうに見えるのに…。だから話すの辛くって、避けちゃってた。ごめんね。」

他の友達も口々に仕方ないよ、許してあげて、そう言ってきた。
その場の雰囲気にのまれて、謝ってくれてありがとうと言った。

でもずっともやもやしていた。
休み時間もノート片手に暗記するところを必死に覚えていたし、その子が好きな推しを見ている時間、私は全て勉強の時間に充てていた。自分の地頭は悪いわけではないけれど、それ以上に費やした時間と、すり減らした心を知りもしないのに、私の頑張りを何故踏みにじられるのだろう。なぜ周りの友達はそれを許せと言ったのだろう。何故私が加害者扱いなのだろう。

今はそういうこともないから、縁を切る予定は特にないけれど、君たちを反面教師にして、見えない部分の努力を考えられる人間に私はなるために頑張るよ。

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