やりたいことがなかなか言えない人

21年間を振り返ると、短いながらも確かに言えることは、一生懸命本心を隠してきた人生だということだ。
自分の気持ちを話すのがとにかく苦手で、やりたいことがあってもあきらめてばかりだった。
なぜだか、本心を話すと否定されるに決まっていると考えていた。
自分の夢のこと、好きな人のこと、苦手な人のこと、趣味、何から何まで人に言うのが怖かった。
たとえば、小学生の時、モデルや女優になりたいと思ったことがあった。
それでも周りになりたいといったことがなかった。
言ったらきっと否定されるか、もしくは陰で笑われるのではないかと考えたからだ。
私は薄々感づいていた、かわいいといわれている子とわたしでは周りの扱いが違うこと。
男子ではなくむしろ女子の方が露骨だった。
はっきりと「ぶす!」といわれるわけでもなければ、容姿を理由としたいじめにあったわけではない。
でもなんとなく、周りのかわいい子とわたしはちがうっていうことを自覚してね、とでもいいたげな対応をとられていると感じた。
なんで小学校のときに抱いた夢を周囲に言えなかったことにここまで未練たらたらかというと、そんな自分に1番ショックを受けていたのは自分だったからだ。
そこから、お笑い芸人や小説家、漫画家、歌手、アイドル、色々な夢をもったことがあったけれど、それを誰かに言えたことはなかった。
いつだったか、母親に過去形であるという体で言ってみたことはあったが、それでも茶化したような言い方しかできなかった。
しかもそれも冗談っぽく言ったら言えるだろうなと思えた夢に限りだ。
冗談でも言ったら馬鹿にされるかもしれない、冗談や笑いに逃げれないかもしれないと思った夢たちは奥底のほうに沈めて見なかったふりをした。
そんな夢こそ言いたかったのに。
自分でも言うだけならタダだし、他人に否定される筋合いがないことであると自覚していたからこそ、複雑な感情を抱いていた。
自分でも自分のことを無理かもしれないと諦めていることがなによりも悲しかった。
自分を信じてあげられない自分に失望していた。
そんな自分に対する苦い気持ちの積み重ねが記憶にべったりとこべりついていて確かに傷になっている。思い出すと今でも心がギュッと掴まれたような感覚を覚える。
違う例を挙げれば、私は好きな人のことを友達に話したことがない。
中学生までは、学校でも注目されているような典型的なモテる人が好きだった。
でも、そんなこと誰にも言えなかった。
そんなモテる人を自分が好きだと言ったらどうなるか、きっと馬鹿にされるであろうと思った。その名残もあって未だに気になる人や好きな人ができても友達はおろか家族にも言えない。
また、趣味や好きなこと、休日の過ごし方なんかを聞かれるとぞっとする。
自分を知られるのが怖い、否定されるのが怖いというセンサーがここでも働いてしまうのだ。
徹底的に自分という人間を隠してしまいたくなる。
そんな今までの人生は、楽しい時よりつらい時の方が多かった。
この辛い時というのは、楽しいことが待っている前の我慢や努力が故の辛さではない。
ただただ自分を認められない辛さ、苦くて苦しい気持ちが永遠と続いてしまうんじゃないかと思えてしまう辛さだ。
自分に素直に生きていけない、自分を信用できないというのは周りからは見えにくいし、誰かがどうこうできるものでもないので孤独な痛みだ。
でも、今、そんな自分を自覚して抜け出したいと思っている。
10年後でも20年後でも楽しく生きれて幸せだと思えるようになっていたい。
どうか、あんな10代20代前半だったけど、人生楽しいな、幸せだなと思えますように。
本当にお願いします。


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