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ネグレクト経験者〜今も尚闘い〜

こんばんは。
今日はネグレクトについてお話します。

よく聞くけどネグレクトって?

ネグレクト(英: neglect)は、セルフケアができない弱者の世話をする責任がある保護者が責務を怠たることによって加害者となる行為。  児童虐待、障害者虐待、高齢者虐待、患者虐待のひとつ。

子供に対するネグレクトは育児放棄(英語版)(いくじほうき)、育児怠慢(いくじたいまん)、監護放棄(かんごほうき)とも言う。

また、ペットの飼育放棄(英語版)(しいくほうき)に対しても指すことがある。

保護者が特定の宗教的理念に基づく治療拒否や非科学的なモノを信じるなどし、適切な医療を受けさせないことは医療ネグレクトと呼ばれる。

日本では2012年(平成24)4月施行の民法改正で親権停止制度が導入され、子供に科学的医療を受けさせない親に対して、家庭裁判所による親権停止が可能になった

英語のNeglectの「怠慢・粗略」「無視・軽視」[3]から生まれた用法である。Negligenceは運転者のネグリジェンス・機長や船長のネグリジェンス・危険物管理者のネグリジェンスなどというように、全ての分野における義務不履行や(職務などの)怠慢を意味している。


Wikipediaより引用


自叙伝を書くに当たりネグレクトも欠かせないワードになってくるので、記事を書く事にしました。

「子供に対するネグレクト」です。

子供=私 。

ある出来事をキッカケに私は母から無視されるようになり、兄達のご飯はあっても私だけない。などなど、、色んな事が度々ありました。


母に褒められたくて、テストで良い点数をとっても何かの賞をとっても無視され褒められる事は1度も無かったです。

そして

「あんたを産むはずじゃなかった。仕方なく産んだ。後悔してる」


と。

子供ながらに傷つき自分を責めるしか無かった。


この言葉は今でもたまに言われています。

ある出来事については自叙伝の方で書きますが、その時の私はただ母に抱きしめて欲しかっただけなのに

「気持ち悪い…」


とボソッと言われ、目の前が真っ暗になりました。


それからの母の態度は受け入れ難く、「全部私が悪いんだ」と考えることで精神を保つようになり、その考えは未だにあります。

父がいた頃は父が救ってくれ、その後は兄達が救ってくれたものの、母の私への態度は変わりません。

兄達がいる時、娘がいる時、そしてお金が欲しい時だけは 「優しい母親」 を演じている。

憎んだこともあったけれど、やはり母親。
嫌いになれないという苦しみがあります。

嫌いになれたらラクなのに。


しかし自分がそういう経験をしたからこそ
我が子への態度や愛情表現の仕方をきちんと出来ているのも確かです。


ネグレクトを受けた子供は自己肯定感も低くなると言われています。まさに自分がそう。
子供の頃の経験というのが如何に大事かを思い知らされますが、変わる力を持っているのも自分。

自分との闘いの日々です。

母と和解する事は無いとは思いますが、どこかで期待している自分もいる。

バカです、はい。(笑)


唯一の救いは、孫である 娘は可愛がってくれている事ですね。。。


ネグレクトかな?と気づいたらどんな些細な事でも、こちらに連絡してほしいです。


相変わらず語彙力ないので、うまく伝わったか分かりませんが(笑)

自叙伝は1ヶ月に1回程の頻度で更新していきたいと思っておりますので、あたたかく見守って頂けたら嬉しいです。

最後まで読んで頂きありがとうございました☺️


頂いたサポートは医療費や交通費、癒される物の購入に使わせて頂きますので、宜しければサポートよろしくお願いします。