【1分で読める小説】シロクマ文芸部「梅の花」『春待ちこがれ』
「梅の花のほうが好きだわ、わたし」
何と比べて、とは彼女は言わなかったけれど、その視線は蕾のままの桜に注がれている。
「長い間咲いているんですもの」
その言葉の割に、彼女は桜から視線を逸らさない。いつ花開くのかじっと待っているようでもあるし、そわそわしているようでもある。ほんの少し諦めも交じっているようにも感じるけれど、はて、何に対する諦めなのか。
「とても暖かい春がありまして、この姿でお会いしたことがあるんです。一度きりですが。……とても綺麗で、聡明そうなお方でした。見惚れてうっかり転びそうになったわたしを支えてくださったんです」
ふふっと笑った後、自身の花弁と同じ薄紅色の小さな唇から、何度目かの溜息が零れ落ちた。
「触れたのはそれが、最初で最後でした。いつもわたしが消えた後にあの方は姿を現すのよ」
彼女は少し不貞腐れたように眉間の皺を寄せて見せる。
「会えなくとも、姿を見られるだけでいいのですが、あの方、すぐに散ってしまうでしょう?」
結い上げた髪の後れ毛が、少し寂しそうに風に靡いた。
同じ桜に生まれてれば良かった? と聞くと彼女は首を横に振った。
「思ったこともありますが、やっぱりわたしは今の姿が気に入っているので。わたしはわたし、あの方はあの方ですわ」
コロコロと笑いながら袖を揺らす。彼女の唇と同じ色の着物は、彼女のために誂えられたかのよう。
「お茶に誘っていただきありがとうございました。そろそろわたしはお暇します。今年もあの方に会えなかったのが残念だけれど、また来年を楽しみに待ちましょう。その時はまたこちらにお邪魔してもよろしくて?」
頷くと、彼女は「それでは」と姿を消した。
縁側から見える八重咲きの梅。
最後の一輪がぽとりと零れ散った。
了
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