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梅咲く頃に、心さもありなん

仕事上がり。

おはようございます。仕事が夜勤なので、夕方5時から6時頃が「おはよう」の処理です。

思うこと、思ってきたこと、書きたいことがたくさんあったけれど、難しくなって疲れてしまった。

気づいたら梅の花が咲いてたくらいの静かな動きがいいな。


皆さんは春はお好きですか。

春が好きです。

新年度を迎えようとする2月のこの時期は忙しい人もいるようですね。花粉症がそろそろつらい、なんて話も聞きます。卒業や入学入社で不安や緊張が大変、なんて人もいるでしょう。

個人的な話をしますと、この時期楽しみなのは「梅の花」です。

近所に梅の木がたくさん植わっているんです。歩いているだけでそれが「ほろり」として見える。立ち止まって眺めている散歩の人なんかもいるんですね。

いつのまに梅の花が好きになったのだろうと考えると、最初に気づいたのは高校生の頃。学校からの帰りにいつもとちがう道を歩くと、梅畑があったんです。

当時は花の種類をよく知らなかったので、はっきり「梅」とは思わなかったのですが、妙に心が落ち着きまして。高校生の頃は家の中でも学校の中でも心がヒリヒリしていたので、学校が終わった帰宅の時間、ひとり駅まで歩いて帰る道ではどこか安らいでいました。限りなく「無」の時間に、空を眺めていることが多かった気がします。

そこにふと「梅」が参入しました。

桜は日本人ならば幼い頃からどこかで見聞きして、なかなか知らないでいることが難しい花ですが、桜の木は背が高いので、花を間近で見るよりも、桃色の花の房を見上げることが多いように思います。「ピンクのふわふわの塊」。そんなイメージがあって、桜が満開の頃よりも、桜の花びらが風に散って地面に降りしきる時に、その中にいながら見る光景が好きでした。

桜に比べると、梅の木はずっと背が低いです。枝の生え方もなんと言いますが、幹から横に枝分かれして房状に広がって、花の重さで少ししなだれるような桜に比べますと、トゲトゲと天に向かう稲妻のように生えていますね。うまく説明できませんけれど。花もいくつもがひとかたまりに咲くのではなく、枝に点、点と、「ぽつり」「ぽつり」と咲いているように感じます。背は低めだけれど、天に向かって尖って枝が伸び、花がぽつりぽつりと咲いている。鋭い力強さと奥ゆかしい美しさの同居のような出で立ち。

高校生の当時、私は携帯電話を持ち始めたばかりでした。当時の機種はガラケーのみで、写真の画質は今よりずっと低く、画像のサイズも小さいです。当時の写真を今の端末で再生したら、きっととてもぼやけて小さく映るでしょう。

当時、下校の安らぎの時間に、携帯のカメラで最初に撮りたくなった花が梅です。近づいて見るのも、写真に撮るのも簡単です。視界にさりげなく入り込み、自然とそう導いてくれたささやかな花です。

当時の画像のデータは消失していますが、初めて撮ったその梅の花は、記憶の中で当時の心の背景のまま、薄らぼやけた淡い感じを保って残っています。

今も携帯のカメラでふと視界に入り込んできたものを撮っています。今年も梅は撮るでしょう。同じ場所で撮ったものが毎年更新されていきますが、携帯の端末を買い替えたり、またその年の季節の天候や、心の趣でも見え方が変わってきます。思い出補正というもので、当時の記憶に付属した心情が、その時の写真に淡いフィルターをかけています。

今年も近所にぽつり、ぽつりと梅の花が咲いてきました。梅の花を愛でて庭に木を植える人や、梅の花咲く公園に出向く人がどれだけいるでしょう。ともあれ、梅の花を見つめる時は、誰も時が止まっています。

そういう時間が待ち遠しく、写真のように記憶に残る光景として、私は日々を楽しんでいます。


4日ぶりのnoteはこのようになりました。

何を書き出すやら、自分でもおたのしみ。



2021年2月14日 処理

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