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【短編小説】K地区にて⑥|修羅場
長い間この仕事をしていると、いろいろな場面に出くわす。
印象に残っているものだと、【トイレにはまって身動きが取れなくなった人に助けを求められたこと】や【ヤクザの仕事納め?にでくわす】なんてことも経験した。すべて配達中の話だ。
今回も印象に残る体験になった。
***
人も車も見当たらない静まり返った平日の午前中、叫び声が聞こえている。
女の絶叫が。
声にならない声で何かを言っている。
まさか何かの事件じゃないよな?と思い、俺はバイクを止めてあたりを見渡した。叫び声は遠くにも近くにも感じて、いまいちどこから聞こえるのかわからなかった。
「……」
とりあえず見える範囲では事件とか事故は確認できなかったので、すぐにバイクのアクセルをひねった。
仕事中だし、面倒ごとにはなるべく関わりたくないという心理ももちろんあったけど。
営業所にもどり、ベテラン社員のRさんに雑談がてら午前中の出来事を話した。
「それはたぶん、〇〇ー××(ここでは番地は伏せさせてもらう)のM下さんの家だね」
噂好きのRさんは得意げに言った。
Rさんが言うには、M下さんの家は年を取ったお父さんと三十歳くらいの娘の二人暮らしらしく、娘さんは心を病んでしまい引きこもっていると。
その娘が、ときどき感情を抑えきれなくなり大声を出していることは近所の人ならみな知っているらしい。
「M下さんの娘さん、最近見かけないけどね」
最後にそう言ってRさんは立ち去った。喫煙所にでも行ったのだろう。
***
それから一週間ほどたってのことだった。その日は配達物が爆発的に多かった。
もうすっかり日は沈み、真っ暗闇のK地区の住宅街を自前のライトを使って配達にいそしんでいた。
「電池代くらい支給しろよ。まったく……」
ひとりごとをつぶやきつつ、バイクの荷台から次の配達物を手に取って、顔を上げた。
そこでなにげなく目線に入ったジュースの自販機に何か違和感を覚えた。
薄暗いなか、ぼんやりと輝く自販機の前に、巨大な黒い何かがあった。
いや、居た。
女だ。
自販機の大部分を隠してしまうほどの巨漢で、腰まで伸びている髪はぐしゃぐしゃだった。自販機のほうを向いて、なにかぶつぶつ言っている。
二秒ほど固まってしまったが、配達に夢中で気づかなかっただけだと自分に言い聞かせ、見えていないふりをしようとした。
ん?待てよ?
自動販売機より身長でかくないか?
気づいた瞬間、女がふり向く。
俺はぎょっとして二秒ほど固まってしまった。
「あ”あ”あ”あ”あ”ぁああぁぁ”」
女はこちらをみて、声にならない声で絶叫した。その形相は、この世のものとは思えないほど歪んでいた。
やばいやばいやばい。こっちに近づいてくる。とにかくこの場を離れなければ。
バササッ
あわててバイクをUターンさせようとして、配達物が手から落ちる。
あ、やばっ……
ガララララ
突然、数件先の家の引き戸が開いた。
M下さんの家だ。中から出てきた七十歳くらいのおじいさんが、家の裏側へ向かうところだった。
すると女はピタリと止まり、M下さんの家の中に突進するように走り去った。
俺はひとまず安堵し、さっさと配達を終わらせることにした。
次に会ったらどうしよう、という課題は先送りにして。
***
「Rさん!M下さん家の娘さんなんですけど!さっき——」
「ああ、M下さんの娘さんなら、さっき再配達で久しぶりに見たわ」
「やばいですよね」
「だいぶ綺麗になってたよね」
「え?」
「でかくないすか?その……横にも、縦にも」
「五年くらい前から知ってるけど、やせてるし、背も低いよ」
「え……髪は長いですよね?」
「肩くらいだったかな?そんな長いかな。ねぇ、さっきから誰の話してんの?」
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