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正確に考えを文章にするのって難しい

四日前から一応毎日1000字程度noteを書いている。

今まで特に日記をつけたり、エッセイを書いたり…ということはしたことがないこともあり、少々文章を書くということに苦戦している。


日本語として正しく書くことができているかということや、言葉選びなどにも頭を悩ませているが、一番苦労しているのが「自分の生の感想をそのまま文章にすること」だ。


今のところ、このアカウントのnoteはエッセイなので、自分の感じたこと思ったことを書くわけだが、その時についつい文章として、エッセイとして、いかにも”それらしい”ような感想を書こうとしてしまうのだ。


例えば料理をしたことを書くとしよう。
このとき自分は一元的な(楽しい⇔楽しくない)感情ではなく、極めて複雑な感情を持つ。

「楽しいのは楽しいけど、別の用事もあったので疲れているので面倒くさい気持ちもあった。作ったのは自分の好物だったが作り終わったときにはクタクタだった。」とか、一言で片付けられない、様々な要素がある。

文章を書くときはそういう様々な感覚の中から、自分が強く思ったり他の人に伝えたいと思ったことをそのバランス感覚を維持して(かなり厳しく)選び取る必要がある。
これが難しい。


先の例でいうなら、様々な感覚感情を丁寧に選び取って書く必要があるが、なんとなくそれだと文章が収まらない。いくつもの要素をうまく共存させて書くのは難しいし、ついどうなのかハッキリ書きたくなる。

「ちょっと面倒くさい気持ちもあったけれど、楽しい気持ちではあって出来上がったときは達成感があった!」とか書くといかにも”それらしく”話もまとまる。
しかし「作り終わったときにはクタクタだった。」のが本当の感覚だ。

「ちょっと面倒くさい気持ちも~」の文章はそれは少しではあるが嘘が混じってしまっていて、生の感想ではない。(そういう風に実感として思ったのなら全然構わないのだけれど。)



こういうように生の感想に、文章を”それらしく”するための噓が混じってしまうのを自分は本当によくないと感じる。

しかし無意識にそういうような嘘を混ぜ込んでしまう。健全ではない。

また、時間経過してしまった出来事について書くと、記憶ごと”それらしく”都合の良いものに変えてしまったりもする。

本当に難しいのだけれど、この”それらしく”書こうとしてしまうのを無くしていく努力(考えたことをなるべくメモに取ったり、それらをなるべく早く文章にまとめるなど…)を続けていきたいと文章を書き始めて強く思うのだった。






今日はここまでにするが、この文章の中にも”それらしく”するための嘘がないかちょっと自信がなくなってきてしまった…



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