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読書と無力感と小さな野望

最近になって本を読むことが増えた。

子供の頃はあまり本を読むことに時間を割いていなかったと思うのだが、一応ある程度の読解能力はあるらしく、多少難しい文章でも時間をキチンと取れば読んでいくことができる。

国語力の育成は半分くらい学校教育がしてくれていたと思うので、これに関しては(あまりいい思い出のない)学校にも感謝しなければならないと思った。



読書慣れしていない自分だが集中できると一時間以上読み続けたりもする。
自分はよく新書を読む。小説は今のところほとんど読まない。

新書は様々なテーマを扱っている。その中でも哲学、社会学、政治…よくこのあたりを読んでる。

様々な分野の専門家の思考や知識を得ることができるのは楽しい。
たった一冊読むだけで世の中の物事を様々な角度から眺め直すことができるような感触を得る。

ただ、そのような楽しさの延長にある種のむなしさを感じることが少なくない。

というのも、
本を読むと今世界ではどのようなことが課題になっているか、ということも知ることができるのだが、それに対して自分は無力だと感じることが多いのだ。


”どんなことが課題になっているか”は大抵本の後半に語られているため、前半をきちんと読んでいれば、”なぜそこで論じられていることが未解決問題になっているか”は理解することそれ自体はできる。


だがしかし、(だからこそというべきか)それに対して自分は何ができるのだろうか…と思ってしまうのだ。
何しろここまで案内してくれた専門家ですら決定的な答えを出すことができていない難しい問いである。

所詮自分は本の知識を読み込んだだけの素人である。ただの一般人。おまけにお金も社会的な地位もない。
そこで語られた問題に対して、ほとんど何もアプローチできないだろうなと感じることは少なくない。
そのため時折自分の無力なことに落ち込んでしまうことがある。


とは言っても一方で当然そんなに重く考える必要はないのだろうとも思う。
本で得た知識や考え方を自分の生活に取り入れて、自分の半径数メートルの領域でいつもと違うアクションが、それが小さくとも、生まれればそれで十分だろうとも思う。


ではなぜ無力感に落ち込んでしまうか、と考えるとやはりスケールの大きい問題に対してでも自分はどうにか取り組みたいという意識があるからだと思う。

無力感の先にそんな心があるとは。

何だか変な感じだが、これは自分の心の底に隠された野望だ。
確かに今では知識や経験、行動力など様々不足していると思う。なので今すぐ何かを動かすことはできないだろう。

しかし、本で扱われるような難解な問題にさえ、今この瞬間から地道に、例え結果が得られなくとも、力の限り体当たりしてやるぞ、とふつふつと思っている。


そのために今日も明日も本を読む。よく休んで英気を養う。そういうことを続けていきたい、といろいろと書いてみて思うのだった。


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