外国人は、客であって客ではない

京都の八坂神社で、インバウンド客が国宝の鈴を乱暴に鳴らしていたのを注意した日本人女性に対し、外国人のガイドが当の女性へ逆ギレして口汚く罵り、大騒動に。このガイドはドイツ人で、8年程日本に住み、日本語が堪能で何と奥さんは日本人とのこと。この騒動、奥さんはどう見ているんでしょうね。京都ではこの他にも舞妓さんをつけ回したり、勝手に撮影したり、民家の私有地を歩き回り、観光バスの迷惑駐車も含めて、そりゃもう大騒ぎ。

日本語をかなり知っていて、ある程度以上は日本に関する知識もあるとおぼしき外国人のガイドですら、こうです。言わんや旅行でちょっと日本に来ただけの、日本のことも文化もろくに知らない大多数の外国人が、日本人にとっての迷惑行為を働くのは、むしろ当然と言ってもいいくらいでしょう。

問題は、インバウンド客が落とす(敢えて言えば)お金を狙って、無制限に国内に呼び込もうとしている政府や観光業界・運輸業界なのではありませんか? 特に、コロナで長らく苦しかった観光業界は必死でしょうが、モノには限度があります。一気呵成に観光客が増えれば現場に軋轢が生じるのは火を見るより明らか。こうなる前に予め「制限」をかけておくというアイディアは、関係者の誰も持たなかったのでしょうか。

本当に、日本の政治や行政は物事を起こす前段階でのシミュレーションが苦手ですね。というかロクにシミュレーションをしない。で、騒ぎになってから慌てて対応策を考える。その間、現場は大混乱のままです。こういうのを【泥棒を見て縄をなう】と言うのですよ。「泥縄政治」はもう沢山です。

インバウンド政策も移民政策も間違いだらけです。昔、交通戦争が激しかった時代には「狭い日本、そんなに急いで何処へゆく」という有名な交通標語がありましたが、今の時代では「狭い日本、外国人には限りある」とでも言いたいところ。これは人種差別でも何でもなく、文化的にも国民性的にも日本は諸外国とは根本的に異なっていることを、日本国民は自覚すべきです。

だから、受け入れる外国人の数には当然限りがある。何故ならあまりに異なっているから、数多くの外国人を一気に国内に入れてしまうと混乱が起き、日本に住んでいる肝腎の日本国民に、様々な【迷惑】が生じることになるのです。京都で舞妓さんを追いかける外国人は、舞妓さんはタレントか何かと勘違いしているのかも知れません。民家の私有地を歩き回るのも、その一帯をテーマパークか何かのように、勘違いしているだけなのかも知れません。

よく、「日本の常識は世界の非常識」とばかりに、したり顔で日本人の(世界的な)常識のなさを馬鹿にする、リベラル系の知識人とやらがいますが、ここは日本です。日本人にとっての「外国人の非常識さ」に合わせてあげる必要は一切ありません。観光客だろうと移民希望者だろうと日本人の幸福を阻害する者は日本に来させてはいけないし、まして住まわせてはいけない。

京都など有名観光地のインバウンド客も、川口周辺のクルド人も、あちらこちらに集まっている中国人も、全ての外国人達に【人数制限】をかけるべきだと思います。日本人から見て「レベルの高い」(=民度が高い)外国人は他に比べて多めにしても良いかもしれませんが、「レベルの低い」外国人は厳しく制限するべきでしょう。日本の国を、日本人が暮らしにくい場所にしてはいけません。これは「区別」であり決して「差別」ではありません。

客として訪れたなら、そこでは自分勝手な行動を慎む【郷に入っては郷に従う】感覚は、日本人なら当たり前です。それを理解出来ない外国人は、日本には必要ありません。政府はこんな当然の事くらい対応して貰いたいものです。啓蒙・告知という努力の必要性を説く人もいますが、告知することで相手がきちんと理解し協力してくれるとは限りません。世界は兄弟ではない。

日本人はどこか、同じ人間同士、犬養毅元首相のように《話せば分かる》と考えているふしがありますが、これは日本人同士の話でしょう。「レベルの低い」外国人にはこれは通用しません。わかり合える人達も中にはいるでしょうし、わかり合う努力が不要だとも思いませんが、話せば分かる人達はごく一握りでしょう。日本人同士だってわかり合えない人達は大勢います。

外国人は10位のレベルに振り分け(ランク分け)して夫々に人数制限をかけるべきでしょう。観光だけでなく移住・国籍付与・帰化などに対しても。富士山でも、静岡側ではいよいよ人数制限が。絶対に必要な措置ですよね。

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