見出し画像

子育ては「たくさんの手」で

こんにちは、ALP港南台です。
世の中にはいろいろな子育て論が溢れています。
そして発達障害の特性のある子どもへの接し方・導き方にも、いろいろな考えやアプローチの方法が溢れています。

どれも正解のような気がして、実践してみたりしましたが、現実とそぐわなかったり、余計に落ち込むことになってしまったりと、ずいぶん振り回されてきたと感じております。

特に母性神話、愛着障害やプライバシーに配慮しすぎた家族単位での子育てなどによって、心細い思いをしてきました。

母性神話は美しい愛のように語られるので、専業主婦が当たり前だった頃ならそれをモチベーションにできたかもしれません。
しかし女性の社会進出が進んだ現在は、「自分のことは二の次」といった母性神話を持ち出されると、自分に欠陥があるような気分になってしまうこともあるのではないでしょうか。

母性神話による罪悪感

子どもは愛おしいし可愛い、自分の命に代えても守りたいと思います。
それでも、いろいろなことを我慢しないといけないという気持ちになったりもします。

しかし母性神話の前では、我慢と感じること自体に罪悪感を感じてしまいます。

子どもが風邪を引くのも母親の責任、と言われたこともありました。
子どもが咳き込んでいると自分も胸が締め付けられて眠れないし、自分が具合が悪い方が余程楽だと思うのにです。

ただでさえも、楽しいとばかり言っていられない子育てで、発達の特性が強く出ている子の子育ては並大抵のことではありません。
そこに母性神話や愛着障害などの概念を持ち出されると、母親としてはどんどん追い詰められてしまいます。

それに加えて家族単位での子育てとなると、孤立化が進み視野も狭くなってしまいます。

「~べき」の呪縛

発達障害という言葉にネガティブなイメージが強いせいか、いろいろな困りごとに対して特性として受け入れることができない人が多いように感じます。それ故に、困りごとを親子関係のせい、接し方の問題と受け止めてしまっているように感じます。

多くの人が「親とはこうあるべき」「子どもとはこうあるべき」などといった「~べき」に縛られすぎているように感じます。

発達の特性が出ている子の子育ては本当に大変で、命を守るだけでも精一杯というところがあります。

スーパーにちょっと買い物に行くだけでも普通の何倍もの労力を要します。
何をするにもヘトヘトになってしまうのです。

それなのに親のしつけが悪い、などと何かと責められることが多く、親自身も自分を責めているので追い詰められていってしまいます。

「親が何とかするべき」の「べき」を手放して、ほんの少しでも誰かに預けたり、誰かと一緒に子供と接することで、気持ちの余裕にもつながるのではないでしょうか。

地域で子育てができる場所へ

まだまだ「子育ては親の責任」という風潮が強いため、子育てが孤立しやすい状況です。

沢山の「~べき」を手放して、沢山の人との関りの中で子育てができれば、どんな困りごとにも笑って対処できると思うのです。

私たち自立援助ホームが地域の中でそのような機能を果たせていけたら、と願わずにはいられません。もちろんそのための行動もしていきます。

私たちのところに気軽に立ち寄っていただくことで、愚痴を言いあったり情報交換をしたりしながら、がんじがらめの「こうあるべき」を手放すお手伝いができればいいな、と思っています。

子育てを抱え込んでしまうと、どうしても追い詰められやすいものです。
子育てはたくさんの手でする方が良いし、楽しみも増えるのではないでしょうか?

閉じられた世界での子育てではなく、開かれた「地域での子育て」が実現したら。
私たちは、そんな子育てをできる社会を実現したいと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?