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「やりがいのある仕事」という幻想から脱出しよう

日々こなす仕事に疲れてしまい、どこか別の場所に新たなやりがいを求めだすことは、誰の人生にも一度は訪れることがあるでしょう。もしくは、普段は楽しく仕事に取り組めているけど、それが何故なのか不思議に思い、調べてみたい人もいるかもしれません。

そもそも、何故ひとは仕事にやりがいを見出したいと思うのでしょうか。そしてそれは正しいのでしょうか。もし正しくないとしたら、何を自分の軸に据えて生きていけばいいのでしょうか。

私はそういった悩みをもって本書を読んでいました。覚えておきたい項目を書き残しておきます。

人生の何かにやりがいを感じればよい

この主張を裏返すと、かならず仕事そのものを切り出して、そこにやりがいというものを感じなくともよい、ということです。

例えば、人生の中で楽しいと思う何か趣味があって、それを行うためにお金が必要だとします。そのお金を稼ぐために仕事をする場合、仕事というのはあなたが楽しみたいことのために必要で、生きがいに確かにつながっていると認識できます。

ですから、仕事そのもの自身が楽しくないと、どうにもきまりが悪かったり、自分の価値が毀損されている気がする、という感情は勘違いなのです。社会規範として、仕事こそが人間の価値だと押し付けられていただけとも言えます。社会から幻想を強制的に見せられてるわけですね。

人生で楽しめることは何か。そして、それを実現するために、たまたま仕事という要素が必要で、そこで仕事に求めることは何か。そういう順番でものごとを考えるのが良いのでしょう。要は「楽しくそこそこ稼げる」で仕事については満足し、奥深い人生についてはまた別に味わうことです。

残念ながら、触れるもの全てが楽しいものという世界はどこを探してもありません。一般に、仕事の中にだって楽しい部分もあればそうでない部分もあります。生活でもそうです。

例えば、健康を維持して楽しく生きていくには、歯磨きは欠かせません。では歯磨きに直接的なやりがいを求めだそうと言っている人がいたら、もう少し広く考えたらどうかと、つい言いたくなるでしょう。

つまり、仕事にだけやりがいがあって、それを追い求めるのは幻想ということです。次に、この幻想から脱出する話をします。

やりがいは自分で見つけて育てるもの

自分の情熱を捧げられるものをずっと探しているのに見つからない、そんな人は少なくないでしょう。探し方には、二つの流派があります。

情熱は自分の外にあって、見つけた瞬間にこれだと分かるもの
情熱は自分の中にあって、時間をかけて育てていくもの

本書は後者の立場をとります。その根拠として、情熱が生まれるにはある程度の手ごたえが必要だとしているからです。いわゆる心理学でいう「フロー理論」では、適度に難しい課題に挑戦しているとき、人は無我夢中になることが知られています。この時こそが、情熱が生まれ、やりがいを感じているのです。

したがって、触れた瞬間にHappyになれるといった、そんな麻薬みたいな即効性のある仕事を探すのはやめましょう。そんなものはどこにもありません(あったとしても麻薬のような違法な行為)。ここではないどこかを求めて妄想の世界をさまようのではなく、目の前の世界を見つめ、じっくり腰を落ち着けて自分のペースで何かに取り組む。そうやって、自分の内面を掘り下げ、やりがいを感じられる対象を育てていくのです。

まとめ

・仕事だけが人生じゃない。そう感じるのは社会規範を押しつけられてるせい。
・人生は仕事以外にも広く深く冒険しがいのあるもの
・やりがいや情熱は、外から見つけるものではなく、自分の内側で育てるもの


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