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支援者じゃなくて、プレイヤーになろう

前からそろそろ行きたいと思っていた仙台へ。
仙台市役所のスタートアップ支援の状況が気になっていたのと、以前SOU-MU関連でお声がけくれたMAKOTOの竹井さんにこれからやろうとしていることを聞いてもらうのが主目的だったけれど、思いのほかいろんな出会いがありこのタイミングで仙台に行ってよかった。

自分がとらえている起業支援の世界は小さすぎないか。大きすぎないか。感覚がずれていないか。それを確かめる旅だった。

仙台市役所でスタートアップ支援課の白川さん、今井さん、財前さんが対応してくれ、仙台のスタートアップ支援と社会起業支援の現状を聞かせてもらった。この数年で積み上げてきたものが着実に広がりを見せていることを感じた。

京都でのSILKの取り組みや、でかいうつわでしようと思っていることを共有をする中で、創業支援についてお互いにない視点を補い合うことができたと思う。感謝!

竹井さんはかっこよかった。
数年前に会った時に取り組んでいたことは手放して、シリアルアントレプレナーとして東京と地方との情報格差(ローカルキャズム)の解消について新しい事業に取り組んでいる。
ほぼ10年先輩だけれど、事業の立ち上げ方がしたたかでユニークで実験的な動きが速い。

なにかを成し遂げようと思うと10年はかかる。もう1回チャレンジするなら今。田中さんは40だからあと2回大きなチャレンジできるね。

そうニコニコと話す竹井さんにエネルギーをもらった。


迷え!

これはふらりとはいった飲み屋の大将にかけられた言葉。
長い間修行して自分の店を開業した。順調にお客さんがついたと思ったら東日本大震災。ようやく活気が戻ってきたと思ったらコロナ。明けたと思ったら家族の介護。「自分の人生ってこんなもんかと思った」と寂しそうに話す姿が印象的だった。
話してるうちに仲良くなって行きつけのスナックに連れられた。
よい出会いだった。

翌日は石巻にはじめて足を運んだ。
「今日暇だから」と声をかけられ1時間ほど話し込んだボランティア案内の芳江ちゃん。
当日の自分の話、亡くなった友人夫妻と残された子供の話。
現場で起きていた集団心理、絶対に大丈夫などということはこれから先の未来においても絶対にないということ。
当時のまま残された門脇小学校に身を置いていると、自然と涙がでた。

死んだらだめよ。「あのときこうすれば助かっていたかもしれない。自分にできたことがあったのではないか」と周りの人の心に一生ぬぐえない傷をつけてしまうのだからね。

芳江ちゃんの明るく話すけれど涙ぐんだ目が印象的だった。
「ちょっとこの話はしたくないんだけどね」と最初言っていたことも長い時間話す中で伝えてくれた。
そんな風に人に話すことで過去を思い出し続けることは彼女にとって辛い時間に決まっている。
それでも、「大阪に帰ったらあなたが先導避難者になってね」と想いを託そうとしている。

仙台ではいろんな人の人生に触れた。
人生で思い切ってチャレンジできる期間はそれほど多くない。その機会に恵まれない人もいる。明日が必ず来るとは限らない。

仙台もこの1年くらいぼんやり行きたいと思っていたけれど、今だから感じたことがある。いつでも行けたのにいまいち動きださなかったし、今回ふと行こうと思った瞬間動いていた。
自分にとって動きたいタイミングが今でその環境がめぐってきたのだろう。

支援者じゃなくてプレイヤーになろう

竹井さんがかけてくれた言葉。
支援の仕事を否定しているのではなくて、そこに主体性があるのか、新しい価値を生み出そうとしてるのかを問うてくれている。自分の仕事や人生を自分でハンドリングできているかということ。

10年前は支援する人が少なかったから支援者をやった。今は支援する人が増えてプレイヤーが少ない。ならプレイヤーをやろうと思っている。

8年前にSILKに関わり出したときにも考えたこと。そのときは分からなかったけれど今は分かるようになった。

今うちがやろうとしていることを理解してくれて、そのうえでいろんな提案をくれて視座をあげてくれた。

29歳で税理士になって10年ちょっとが経過した。

先月のアドベンチャーワールドの研修から、今回の仙台、今週末の東京、来週の博多・鹿児島まで少し現場から離れていろんな人と話をしよう。

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