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天国から届いた手紙


僕には、母親が2人いる。

1人は、中二のときに他界した、産みの母。


もう1人は、義理の母「K子さん」だ。

僕が 社会人1年目のとき、親父と再婚した人。

ちょっとガンコな親父と一緒に、かつて僕も住んでいた青森の実家で、なかよく暮らしている。


K子さんは、明るくおおらかで、どんな人にでもやさしい。僕が高校生で、はじめて会ったときも、そうだった。

再婚のニュースにも、さほど驚かなかったし、K子さんのような人でよかったなと思った。

その後も、年に1、2回帰省したときには、いっしょに食卓をかこみ、ビールや日本酒を飲み、長い時間 話をした。

ただ僕は、
K子さんを「お母さん」とは呼べなかった。

そしてK子さんも僕を「心太郎くん」と呼び、
母親として接することを僕に強く求めなかった。

父との馴れそめも、お互い聞かないし、話さない。
大人どうしの、心地よい距離の会話が、ずっと続いていた。



父が、K子さんと再婚してから、5年。

僕は27歳になり、当時お付き合いしていた人との、結婚を決めた。


僕にとって、いちばん心が動いた文章、それは。

僕の結婚式、当日の朝。

義理の母、K子さんからもらった、ちょっと不思議な内容の手紙だ。


***

チェックアウトの人たちでごった返す、朝のホテルのロビー。

着替えをすませた父が、僕に白い封筒を手渡した。
中には、2通の手紙が入ってる、とのこと。

1通は、父親からの手紙。

母を早く死なせてしまったことで、僕に苦労をかけたこと、無事に育ってくれた感謝が、まっすぐな言葉で綴られていた。


もう1通は、K子さんが書いたもの。

その手紙を手にしたとき、

僕が感じたのは、申し訳なさ、だった。


再婚をしてから、僕とはまだ、
10回も会っていないであろう間柄。

もし僕が、K子さんの立場なら、書く内容に困るに違いない。父が無理に書かせてしまったのではないかと、心配したのだ。

三つ折りになった縦長の便箋を、恐る恐る、開く。

流れるような立派な筆文字で書かれた手紙は

こんな文章から始まっていた。

―――――――――――――――

心太郎、結婚おめでとう。

いがぐり頭で、まっ黒になって駆け回っていたあなたが、中学を卒業、そして社会人となり、いまこうして結婚の日を迎えられたことを、この上なくうれしく思っています。今まで、本当によく頑張りましたね。

これからは、私たちがそうしたように、二人で話し合いながら、乗り越えていきなさい。辛いことも、楽しい思い出になるはずです。

―――――――――――――――


ありがたい。

…でも、あれ?どうしたんだろう?

僕にとっては、違和感だらけの文章だった。

中学の卒業について触れていたが、K子さんに初めて会ったのは、高校生のときだ。

「心太郎」と呼び捨てにも、「〜しなさい」だなんて、やや説教じみた言われ方をしたこともなかった。

なにより、親父とK子さんが、どう困難を乗り越えてきたかなんて、全く聞かされていない。

K子さんが書いたとは思えない、不思議な文章。


しかし、この後に続く、言葉で。

この違和感の背景にあった大きな想いに、
一生忘れられないような、衝撃を受けることになった。


―――――――――――――――

お互いに感謝し

「ありがとう」とその都度言葉にしなさい。

そして態度でも、ちゃんと示しなさい。

お父さんはいつも私の写真の前で

それを私にしなかったと、

手を合わせながら、詫びていますからね。


自分自身と、そして相手のことを大切に。

いつもいつも、天から見守っています。

母より

(代筆 K子)

―――――――――――――――

最後のかっこがきは、うすい鉛筆の文字で、控えめに書かれていた。



***



手紙の意味に気づいた、瞬間。

どんな想いで、K子さんがこの手紙を書いたのか、
その背景に、ぐるぐると考えが巡った。


僕が聞きたいことは、天国にいる母の言葉ではないかと考え、こうしたのではないだろうか。

仮にそう思っても、再婚相手である自分が、亡き母の言葉を想像し、書こうと決断するには、僕の心に踏み込む、かなりの勇気が必要だったのではないか。

いや、仮にそう考えたとしても。現在の妻であるK子さんはどんな心境でこの文章を書いたのだろうか。

母の仏壇の前で手を合わせる父を、K子さんはどんな気持ちで見つめていたのだろうか。


きっとK子さんは、自分の伝えたいこと以上に。

父や僕たちの、亡き母を大切に思う気持ちを
一番大切にしながら、言葉を綴ったのだろう。

僕以上に、僕の大切なものを、
大切にしようとしてくれたのだろう。


バージンロードでも、花嫁の手紙でも。感動しぃの僕が、奇跡的に泣かずにいられたのは、朝、一日分の涙を流しきったからかもしれない。




言葉の背景に存在した、広大な、愛の空間に包まれた感覚。

もしくは一粒の言葉をかみしめた瞬間、バンッ!と弾けて、はてしなく広がるような、大きな愛情の渦の中で、漂うような感覚。


そう、あのときの感情を、

「愛の小宇宙」

と、名付けたら。

ちょっと、恥ずかしすぎるだろうか。



***



さきほどは割愛したが、手紙の中には、こんな言葉も書かれていた。

「人は、思い描いたようになれるのだそうです」

noteを書くにあたり、ひさしぶりに見たこの言葉に、問われたような気がした。

僕はこれから、どうなっていきたいのだろうか。


家族、キャリア、やりたいこと、いろいろな項目があるけれど、いま、一つあげるなら。

心が温かく、前向きになれる。
一生、心に残るような言葉を紡げる人になりたい。

世界を、もっとやさしく変化させられるような、
企画が実現できる人になりたい。


それはきっと。

自分と向き合い、そして相手以上に、相手のことを思いやり、一文字一文字、丁寧に。

勇気を持って言葉を届けようと考えることでしか、実現しないのかもしれない。


あの日、あの手紙を書いた、お義母さんのように。


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