見出し画像

森見登美彦/夜行-アートとパラレルワールドのお話

こんばんは。

小説を書けるようになるために一ヶ月に数冊は小説を読むことにしたしんたろです。小説よりもビジネス書なんかを読むことが多いです。


さて。


今日は森見登美彦さんの『夜行』という本を読みました。直木賞、本屋大賞のダブルノミネートというからすごいですね。


僕の中では森見登美彦さんはファンタジーを書かせるととっても素敵な世界観を作り出せる人だとと思っています。

『夜は短し歩けよ乙女』『四畳半神話体系』『有頂天家族』など、どれも大好きな作品です。

じゃあ、夜行はというとファンタジー要素よりも少しホラーの要素が入ったような作品でした。


この本を読んで感じたことを書いていきます。ネタバレには気をつけましたが、気にされるかたはこの先は読まないことをおすすめします。


ざっくりあらすじ

文庫本の裏から抜粋します。

10年前、同じ英会話スクールに通う僕たち6人の仲間は、連れ立って鞍馬の火祭を見物に出かけ、その夜、長谷川さんは姿を消した。10年ぶりにみんなで火祭に出かけることになったのは、誰1人彼女忘れられなかったからだ。夜は、雨とともに更けて行き、それぞれが旅先で出会った不思議な出来事を語り始める。尾道、奥飛騨、津軽、天竜峡。僕たちは、全員が道中で岸田道生という銅版画家の描いた「夜行」と言う連作絵画を目にしていた。その絵は、永遠に続く夜を思わせた。果たして、長谷川さんに再会できるのだろうかーーー。怪談×青春×ファンタジー、かつてない物語。


怪談×青春×ファンタジーと紹介されていますが、個人的には「アート×パラレルワールド」という部分に興味を惹かれました。僕がこの本を読んで考えついた最も大きいことがこれだったからです。


アートとパラレルワールドの密接な関係

この物語では、岸田道生という銅版画家の描いた「夜行」がパラレルワールドの出入り口の役割を果たしています。きちんとした描写はないですが、そういって問題ないでしょう。


こういう構成の小説って他にあったなぁと考えていたら、村上春樹さんの『騎士団長殺し』も絵画とパラレルワールドが密接に繋がっていました。

だから「アート×パラレルワールド」という発想は森見登美彦さんだけのものではないです。そしておそらく村上春樹さんに触発されたわけでもない。

何が言いたいかというと、小説というパラレルワールドを書く人にとって、アートもまたパラレルワールドと密接に関わっているということは自明なのだと思いました。


作中にこんな表現があります。

このように車窓の景色を眺めるとき、自分の目に映る景色のひとつひとつに言葉を投げかけてごらんなさい。常日頃はぼんやりと眺めているだけの景色を、ありったけの言葉を尽くして説明しようとしてみるんです。肝心なことは自分を追い詰めること。もはや何の言葉も出てこなくなるまで、ひたすら風景のために言葉を尽くす。そんなことを続けていると、やがて頭の心が疲れきって、ついには何の言葉も出てこなくなる。目の前を流れている景色に言葉が追いつかない。その時、ふいに風景の側から、今まで気づきもしなかった何かがふっと心に飛び込んでくる。私が『見る』と言うのは、つまりそういうことなんですよ

アートとは何かに全身全霊を捧げることであり、それがゆえにパラレルワールドを生み出す。


岸田道生の言葉もまた興味深いです。

現実の世界というものなんて言うものはどこにもない。世界とは捉えようもなく無限に広がり続ける魔境の総体だと思う。きっと田辺君なら分かってくれるだろう。僕の描く夜の風景が魔境なら、胸を騒がせる西行の桜も魔境なんだ。僕らは広大な魔境の夜に取り巻かれている。「世界はつねに夜なんだよ」と岸田は言った。

もしかしたら超一流のアーティストは、現実とは異なる世界を作り出しているという手触りがあるのかもしれないと思いました。


おわりに

夜行という銅版画をイメージするときに、僕はクロード・モネの『印象・日の出』という絵画が頭にありました。夜行が夜の世界なのに対して、日の出は朝の世界なのにです。

おそらく過去に『印象・日の出』を実際に美術館で目にしたことが僕に何か作用したのだと思います。

そして『印象・日の出』の世界は今もなお、どこかに存在しているのではという感覚に捉われました。

僕はパラレルワールドにはいかなかったけど(たぶん)、人をどこかに迷い込ませた名画なんかもたくさんあるんだろうと思いました。


僕はこの本を読んで、美術館に行きたくなりました。アートが好きな人にはぜひ読んでもらいたい一冊です。特にアートとパラレルワールドの関係性に思うところがあれば教えていただきたいです!




この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?