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ついに解決!電車でお年寄りに席を譲るべきか問題!

|話題が絶えない日常の問題

いつの時代になっても
永遠のテーマとして語り継がれる問題というものが
世の中には、たくさん存在する

例えば、あるバスの中で、1人用の座席に男の子が座っていたところ、
途中の停留所からお爺ちゃんが乗車してきて、他の座席がすべて満席だったことから、男の子の座席に向かって無理やり身体をねじ込んで、座席を奪おうとする出来事が、実際にあったことが、ネットニュースで報じられていた。

ニュースの中では、男の子のお母さんと、問題を起こしたお爺ちゃんが口論になっている様子が、動画で公開されていて
賛否の議論が巻き起こった

さて、先程のトラブル例ではバスの車内だったが、

「電車でお年寄りに席を譲る譲らないの問題」は

紛れもなく、冒頭で述べた、
永遠のテーマとして語り継がれる問題…
のようにこれまでの人生でずっと考えてきたが、

ついに、
この永遠のテーマと思われたてた問題の解決策を思いついたので
ご紹介するとともに、一度、実践してみて欲しい

「電車でお年寄りに席を譲る譲らないの問題」とはなんぞや?

まず、この問題を万が一、"知らない"という人のために、
かんたんに概要を説明しようと思う

もし、電車の中で、自分が(若者という設定)席に座っている時に、
途中の駅から、お年寄りが乗ってきて、
自分の座っている座席の目の前に面と向かい合って立たれた時に、
お年寄りに席を譲るか?それとも譲らないか?
身体の弱いお年寄りだから譲ってあげるのが当然だと思っていても、
世の中には「ワシは、まだ老いとらん!」といって
機嫌を損ねてしまう人もいるという…
こうなると、どっちが正解か?どんな老人ならOK?の見極めが難しく、
それが永遠のテーマとして取り上げられるようになったのだ

お年寄りに席を譲るべきかどうか?という、倫理学の※1トロッコ問題のように語り継がれてきたこの問題に、

いろんなメディアや、普段の友達同士の会話の中でも、
いつも正解が出ない話題の代名詞として紹介されている光景を、
嫌というほど目にしてきた。

現に、僕も長年どっちが正解なのかなと、
話題に上がる度に、その時々の自分の正義感の度合いや、気分などで、
どっちつかずな立場で考えてきていたと思うが、

ある日いきなり、
この問題の最適解が
天から降り注いできて

僕の中でもこれしかない!という
ベストアンサーをひらめいたのである

|まずは選択肢という固定観念を壊す!

電車の席、お年寄りに譲るか否か問題で
まず考えるべきことは、正解をわからなくさせる悩みの根元になっている
"2つの目線"がある

目線①:席を譲らなかったら、本当は譲ってほしいお年寄りの方や周りから厳しい目線を浴びせられるかも
目線②:席を譲ったら、別に譲って欲しいとは思ってなかったお年寄りから、「ワシはまだ若くて元気だから譲っていらん」と断られて、気まづい空気が流れるかも

これらの目線が瞬時に働き、
結局、これまでとってきた行動は、
「静かに目を瞑って眠っていることにするのが正解」
みたいな大喜利みたいな答えが、選ばれてきたのだ。

朝の通勤電車の中とかで、
横並びの席にぎっしり並んで座ったサラリーマンたちが
前のめりに首が垂れながら眠っている光景を目にすることがあり、
これはもう"バッテリーが切れたペッパー君ではないか"と
心の中でツッコミを入れてしまったのだ
あまりに滑稽だったのだが、
先程の理屈から、今思い返すと、これは、
「お年寄りが目の前に来ても席を譲らないぞ!」という
暗黙のアピール
の可能性もあったのではないか?
という結論に至って僕の中だけで納得してしまった。

|「譲る」「譲らない」「〇〇」!3つ目の選択肢とは?

さて、話を戻して、

さっきの①②の"2つの目線"は、誰しもが、あるあるネタのように共感していると思うが、
この問題には、そもそも選択肢が2つしかないことが、まず大きな落とし穴で間違っていることに気づいたのだ

つまり、選択肢が
「譲る」「譲らない」の2択しかないことが間違っているということで

どうしても話は"譲った時"、又は"譲らなかった時"の
お年寄りの反応にフォーカスされがちだったのもあり、
そもそもの前提部分が間違っていることに気づけなかったかもしれない

それでは、前提部分のなにが間違っているか?
電車の席には、座る人の名前が書かれてるわけでもないし、
電車に乗ったからといって座るのも、座らないのも基本は自由であることは
ふつうに考えたらわかると思う

この「座るのも、座らないのも基本は自由」の考えが
何故か、「席を譲る譲らないの問題」の時には忘れてしまっているのだ(マジックにかかったかのように見えなくなってしまっている)

そうなんだよ!

席は誰が座っても良いんだよ!

裏を返せば

"席は誰も座らなくても良いんだ!"

これが僕の発見した解決策

つまり3つめの選択肢とは

「席を空ける」

なのである

それをどうやって実践として応用するかをシミュレーションしてみよう、

もし、自分が電車で席に座っている時を想像してほしい

・お年寄りが乗って自分の座っている席の前に立つ
・席を立ってどうぞと声をかける
・座ってくれたらそのままハッピーエンド

で、肝心なのはここから!

・もし断られたら?

じゃあ誰か座るまでこの席は空けときましょうか?」と提案してそのばを去る
・自分もお年寄りも立って空席にしとけば次の駅あたりで乗ってきた状況を何も知らない座りたい人が
「お、空いてるラッキー」と思って座る

それだけ? 

はいこれだけ 笑

でもこれでよくない?

「必ず誰かが座らないといけない」という先入観から

「座らないのも別に自由じゃん」という考え方にアップデートすれば
誰でも実践できるし誰も傷つかない

これは絶対役に立つうえに、もっと広まったら少しだけかもしれないけど
少しだけほっこりした社会になるかなと思ったので
それナイスなアイデア!と思ったらスキ♡かシェアしてほしい!
(僕はただの一般人で人望もないし、そこまで世間様の役に立つような生活をしてきたわけではないけど、なんかこの電車の席の話は、広がってほしいなと思ったので、少し熱く主張してみた!  あとは誰かのシェア頼み!)

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※1:トロッコ問題について、詳しく書かれてるnote記事があったので参照してください→円(えん)@コミュニケーション編集者)さんです

外部リンク貼ろうかと思ったけどせっかくnote.muに検索機能付いているから
他のnoteユーザーの記事から抜粋したほうが相乗効果高まるんじゃね?
と思ったのでこれからもそうしていこ

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2019年4月8日:譲らなきゃ良かった?電車のひとコマ


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