見出し画像

夏 第449回 『魅惑の魂』第2巻第3部第129回

 鏡の中の彼女は、自分に観えるよりもはるかに彼方を観ていた。彼女の眼には永遠が見渡せる灯りとなる炎があった。そして彼女は、彼方に観える永遠の愛に向って微笑んだ。彼女は髪を結っていた腕を下ろし、子どもの方に振り返って、心配そうな少年の顔を見た、そして昨夜ことを思い出して、彼の顎の先を掴んで、明解な言葉でこう言った。
「昨日の坊やは踊ってたんですってね、わたしもとても嬉しい! じゃあ! こんどは歌ってくれないかしら!」
 彼女は彼の驚いた顔を見て笑った、眼で愛撫しながら彼の鼻の頭にキスをした。それからテーブルの上のバッグを手に取るとて、こう言って出かけて行った。
「さようなら、わたしの蟋蟀こおろぎさん!」
※「わたしの蟋蟀さん」の箇所はオリジナルでは、Au revoir, mon grillon! となっている。フランスにはこの題名の童話らしきものがあるようだが、翻訳者には確定的なものはわかっていない。

 向こうの部屋から彼女の陽気な調子の口笛がマルクに聴こえていた。(彼は口笛を吹くことを軽蔑しながらも、彼女が羨ましかった。なぜなら彼女の口笛は彼が吹くよりもずっと巧みに吹いていたのだから…)
 彼には怒りさえ生まれた! 昨晩にあれだけ心配したのに、この陽気な様子、これはいったい… 彼女が彼から逃げだしているようにも観えた。以前に聞いたことがあった。「女って永遠の気まぐれなのさ、真面目に相手していたらこっちが馬鹿を見る… 「la donna mobile…」
※ イタリア語、直訳すると「女は移動機器」となるが、それでは意味不明。移動可能な機器に引っ掛けて、「女は気まぐれ」とでもとれば良いのかもしれない。

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?