しんすけ

文学や音楽が大好きです。でも社会に出た二十代からの仕事は電子工学を主にしたものでした。…

しんすけ

文学や音楽が大好きです。でも社会に出た二十代からの仕事は電子工学を主にしたものでした。応用面で統計力学を用いて半導体の強度に関する調査が主たる仕事でした。その関係で三十代からはプログラミングにまで手を伸ばすことなってしまいました。

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夏 第1回 ロランの『魅惑の魂』から

第一部  シャッターが引かれ明かりが薄くなった部屋で、湯上りの白い服に身を包んだアネットが、ベッドに腰掛けて微笑んでいた。洗ったばかりで梳かれたままの髪が彼女の肩を覆っていた。開けた窓には、八月の午後の止まってしたような金色の暑気が横たわっていた。それを見なくても、太陽の下に眠っているブローニュの庭は脱力を感じさせていた。アネットはそこから至福を迎えられる自分を想っていた。いくつもの時間を、彼女は横になったままで、動くことも考えることもしないでいた。考える必要などなく、動か

    • 不器用な先生 724

      前回  幸太郎が曽根君を観ながら言っていた。 「安心して良いよ。貧困対策については具体的な話にまで進んでないからね」  最初は幸太郎の言葉の意味をしばらく考えていたような曽根君だったが、安堵の表情に変わり始めていた。 「じゃあ先生も『貧困と飢饉』をテキストにすることに賛成してくれたんだ」  このみが笑った。 「先生からは、賛成も否定も聞いてないけど、今日は最初からテーマも私たちに任せる予定みたいだったけど」 「それに先生も、『貧困と飢饉』を読んでいて、結論に疑問も持ってい

      • 夏 第420回 『魅惑の魂』第2巻第3部第100回

         立ち上がって開けたくもあったが、その前に息が切れてしまうのではないだろうか…。  それから先の彼女にはもう何も聞こえなかった。彼は帰って行ったのだろうか?… それを確かめる前に彼女は起き上がってドアまで近づいた。足音を立てないようにしながらも眩暈を感じているような気がしてた。そしてドアの近くまで来たとき、床板が軋んだ。アネットは立ち止まった。それから数秒が経過したが、何も動いてはいなかった。だがアネットは気づいた。ドアの後ろでフィリップが待ち伏せしているらしい。そしてフィリ

        • 不器用な先生 723

          前回  須田君の「要所要所で違う対処」という言葉に納得しながらも、それを受け入れるかはまた別問題のようだった。 『貧困と飢饉』を拾い読みしていたらしい池田君が、呟くような声を出した。 「救済対策が一つの方法で済むはずはないとは思うけど。貧困も飢饉も様々な事例があるんだから…」  そこにはそう言い切れないもの、満たされないものが潜んでいるのが、観えてとれた。 「救済対策は行政が考えれば良いことで、わたしたちは方向さえ示すことができれば良いんじゃないかな。それがわたしたちの理解

        • 固定された記事

        夏 第1回 ロランの『魅惑の魂』から

          夏 第419回 『魅惑の魂』第2巻第3部第99回

           夕方になるとフィリップがやってきた来た。その日の彼女はここまでの時間を恐怖の中にいることになってしまった。そのために自分の中のドアを閉め続ける力も失いかけていた。自分に襲いかかる情熱の無慈悲さを考えさせられて、それに直面すること拒否したかったからだ。彼女にとって情熱の灯りを胸に縛り付けたままで生きていくのは、もう不可能だった、彼女は自分にそれを言い聞かせていた。そして僅かであってもその力が残っているうちに、灯りを除いてしまわなければならなかった。しかし十分な力が残っていただ

          夏 第419回 『魅惑の魂』第2巻第3部第99回

          不器用な先生 722

          前回  ショートメールの差出人として、大岡充恵とあった。しばらく考えていた。それがかっての岡田充恵と気づいたとき、記憶の悪さを怨む前に夫婦別姓が認可されていない現状に怒りさえ覚えていた。  ぼくから文理出版あてにメールを昨晩に出しておいたがその返事だった。宇野ゼミの山本君を文理出版で不定期に働かせてほしいとのメールを出しておいたのだった。 岡田充恵のメールには感謝の気持ちが見えていた。文理出版のほうも不定期で働いてくれる人材を求めていたのだから、それは当然だった。しかしその

          不器用な先生 722

          夏 第418回 『魅惑の魂』第2巻第3部第98回

           だが彼には解らなかった。自分の欲情の奴隷になることを、彼女の本能が反抗しているのを理解できない彼には、それは女の手練手管としか見えないのだ。彼が思ったことを言うことはなったが、彼はその感情を面にしていた。アネットにはそれが読み取れたから、そこを立ち去ろうと身構えた。焦ったフィリップは、通行人の眼に入らないように苦心しながら、アネットの腕を掴み握りしめた。そして激高したものを押し殺すために言葉を和らげた声で言った。 「それは嫌です、ぼくは諦めたくない、これからも君に会い続けて

          夏 第418回 『魅惑の魂』第2巻第3部第98回

          不器用な先生 721

          前回  幸太郎の表情から考えていることがまとまらない、そうしたものが観えていた。  このみがそれを、面白そうに見詰めていた。いつもなら思った考えが完全にまとまらなくても、言葉が飛び出してくる幸太郎だからだ。ぼくもそれを思ったが、いまは軽口を面にする場面でないことも確かなことだった。  簡単に思いついたことを口するだけでで、事が先に進むことはまずありえない。そこに思考を重ねて理解可能な寸前になったと判断できる段階で、ようやく口にしたものが聴き手を理解の際に近づける。  噺の

          不器用な先生 721

          夏 第417回 『魅惑の魂』第2巻第3部第97回

          「愛するということがよく解ってないんじゃないですか? だからそう思うんでしょう」 「わたしは知ってます。だからわたしは逃げたんです。あなたを憎みそうでしたもの」 「そうなんだ! だったらもっとぼくを憎んでほしい! 憎むことは愛の一つ表現ですからね」 「わたしは違う」彼女は言った。「それはわたしには耐えられないことですもの」 「あなたは、幸福な恋に浸れるのだから、苦しい恋に耐えられないほど弱くはないはずです」 「ええ、わたしはそんなに弱くはありません、フィリップ。 わたしが欲し

          夏 第417回 『魅惑の魂』第2巻第3部第97回

          不器用な先生 720

          前回  幸太郎が読み終わった後は、しばらく沈黙が続いた。  飢饉で食料不足となった地域に他所から食料を運び入れようとすることは多々あるが、それが結果として万全となることは極めて限られる。だがそうなることは解っていても、多くはまず補給を考えて行動するだろう。  しかしセンは、それではいけないと言っているように受け取られるからだろう。その気持がしばらく声にならなかったに違いない。  それはぼく自身も『貧困と飢饉』をはじめて読んだときに感じたことだった。  いったいセンはどう

          不器用な先生 720

          夏 第416回 『魅惑の魂』第2巻第3部第96回

           フィリップがアネットが戻ってきたことを知るには、時間はかからなかった。彼女が一人で家にいるはずの時間に彼女に会うことを、彼は考えた。しかしアネットはそれを警戒していた。彼はそのドアが、いつも閉じられていることを気づかされた。憤りが生まれた、それに今では他の気晴らしも増えたにはずなのだが、アネットを思う彼の情熱が衰えることもなかった。アネットの抵抗は彼は激怒させたが、それで簡単に引き下がるような男ではなかった…  アネットが街に出たとき、数歩先で彼を見かけた。彼女は青くなった

          夏 第416回 『魅惑の魂』第2巻第3部第96回

          不器用な先生 719

          前回  このみと池田君が、心配そうな表情でぼくを観ていた。自分たちで進めようとしたものが、ぼくに気持にそぐわないのではないかと、思っているのだろう。  池田君の言葉に中にあった下記には、ぼくも少しだけだが反感を感じた。   抽象的に認識を語って《理解力》を探索するのはゼミだけにして…  ゼミでは抽象的な論議をすることが多いのは確かだが、それは論理を純粋化するためのものであって、求める先には具象も存在してる。何れは五人全員がそこに行きつくことを疑わないから一切の口だしを

          不器用な先生 719

          夏 第415回 『魅惑の魂』第2巻第3部第95回

           当時の議論の闘いは極端なものになって暴力的とも観えるほどに変化していた。ノエミは男たちのその争いに嫌悪と退屈を感じていたが、それを克服して身を投じることが必要だと理解できるように変化していた。彼女は社交の機会があれば、夫が掲げる機知に富んだ提案を、周りの眼を気にすることなく支持し始めた。優雅な彼女から飛び出してくるのは、ユーモアであり、笑顔の熱情、パリっ児の機転、そして熱烈な真剣さなのだった。それは少々世間を騒がせることになったが、結果としては多くを楽しませた。さらには若い

          夏 第415回 『魅惑の魂』第2巻第3部第95回

          不器用な先生 718

          前回  幸太郎を含めた三人は、曽根君の心遣いに感心してるようだった。 「曽根君と言えば、彼が昨日言ってた本は手に入りましたか?」  池田君が幸太郎に聞いていた。 「ええ、午前中に図書室に行ったら、一冊だけ残っていたから借りてきたけど、司書で馴染みの人が不思議そうな顔をして、ぼくに聞いてきましたね」 「この本は、政治経済学科の人に人気があるんだけど、哲学専攻の前島さんも読むことがあるのね」  それを聞いていた須田君が幸太郎に話しかけてきた。 「それってセンが書いたものじゃ

          不器用な先生 718

          夏 第414回 『魅惑の魂』第2巻第3部第94回

           ノエミは、自分を優位な方向に向けられると気づいたときに、取るべき態度を知っていた、それを誇りにして安心してはならない、それをよく知っていた。彼女は時間を無駄にはしなかった。今日まで試練を経験し、自分が犯した過ちも理解できるまでになっていた。男を引き留めておくには、愛だけでは十分ではなく、男のプライドと知性を媚びて煽てなければならないことが、判っていた。そしてフィリップが今の彼女に驚かされることもあった、彼が現在も身を投じている論戦に関心を持つために、彼女が苦労しながらも調べ

          夏 第414回 『魅惑の魂』第2巻第3部第94回

          不器用な先生 717

          前回  このみとの談笑の最中に、須田君、池田君、それに幸太郎の三人がやってきた。時間を見ると、後五分ほどで一時になるところだった。三人は待ち合わせてやってきたに違いない。  三人は机にの上のパンや飲み物を見て驚いていた。 「これを用意したのは、先生がですか?」 「そんなことにぼくが、気が回る訳はないよ。このみ君が用意してくれたものだよ」  三人が感心した眼でこのみを見詰めていた。だがこのみが笑いだした。三人をを観ながら何かを堪えていたようだ。 「持ってきたのはわたしだけど

          不器用な先生 717