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初夏、完敗した爽快感

文章を書くのがあまりにも久しぶりで戸惑い、それでもなお伝えたいことがある喜びをいま感じている。焦らず少しずつ、ここに書き残していこう。

前の投稿から長い月日が過ぎた。仕事はますます忙しくなり、自分なりに迷い、工夫してこなしていた。だが振り返ると、強烈な喜怒哀楽を思い出すことが難しく、もはや起伏がなかったようにも思える。やはり自分の脳は頼りなく、記憶よりも記録がいい。

わずかな記憶の中でも印象強く残っているのが、「悔しい」と思った瞬間だった。初めて上司から高評価を貰ったことでも、友人に合コンをセッティングしてもらった(嬉しかったがまだ実現していない)ことでもない。ハッピーよりも「悔しい」が勝るのは、負けず嫌いな自分らしいなあと思う。

何が悔しかったのか。

そもそも人は、自分と天と地の差がある天才には嫉妬をしにくい。運動音痴な自分が、オリンピックの選手たちの活躍を見て「悔しい」だなんて1ミリも感じない。手が届きそうで届かない、自分と似ているが自分に無いものを持っている。相手に自分自身を投影して、その差に歯がゆくなるものだ。

今回は、自分と似た人に「完敗」した体験談をお伝えしたいと思う。きっかけは、もはや半期に1回は参加している恒例のビジネスコンテストだ。

「他人の助けとなるのか」

はじめに伝えると、自分のアイデアは書類審査で落ちてしまった。期限の2週間前にふと降りた着想を、徹底的に煮詰めることもなく、優秀なチームメンバーを募ることもなく、漫然と形にしたものを提出したため、結果に納得している。

面白いのはそれから数週間後だ。

突然メールが届いた。
「ビジネスコンテストに参加していて、ぜひチームメンバーになってほしい。まずはアイデアを聞いてもらえないか。」

ちょうど同じビジネスコンテストに参加している人からの誘いだった。過去に自分が登録したマッチングツールから、経歴などの情報を見たらしい。突然の連絡に驚き、次に嬉しく感じ、まずは話を聞いてみることにした。

その判断は実に正しかった。

自分が理想とする、誰もが対等な社会を実現するため、彼のアイデアは実現すべきだと直感的に感じた。深く人々の痛み、悩みに根差しており、実現すれば誰かを救えてしまう。大げさでなく、命さえ救える可能性がある。

更に聞いてみると、彼自身の体験でなく、知り合いの経験に基づいて着想を得たというのだ。

身近な誰かを救いたくて生まれたアイデア……。
その瞬間、何とも言えない感情が心の中で広がった。あとでよくよく振り返ると、それは「悔しさ」に間違いなかった。

今回のアイデアだけでなく、これまでいったい、自分のアイデアは何だったんだろうか。誰かの根本的な課題やペインを、解決できるような代物だったのか。自分がとにかくワクワクすれば良かったような、自分本位なものだったのではないか。

他人を救えるようなアイデアを生み出すための視線の深さ・広さを目の当たりにし、自分のこれまでの挑戦が実に「お遊び」であることを知ってしまった。この痛みだけでも価値のある体験だったが、メンバーとして参加する過程で、さらに多くの差を知ることが出来た。

「世界を飛び出す」

「行動力」が自分の強みだなんて思っていた自分が、ただの過信であることを思い知ったのも、大きな学びだった。

チームリーダーの彼は、類まれな行動力を持っていた。タイプとしては自分と似ているように感じていたが、レベルが段違いだった。

自分を含め、面識がなくても関心を持った人には片っ端らからメールを出し、情熱をもって自分のアイデアを語った。聞いた者は、たとえチームメンバーとならずとも最終的にはファンへとなっていき、点と点が繋がって欲しい情報や人にたどり着いていた。

これには驚いた。知っている人を通じて、あくせく足で情報を稼いだことは自分もある。しかし、面識がない人に突然連絡をしたり、「知り合いを紹介して下さい」、「ぜひ協力してください」と相談をするような度胸が自分には無い。

彼が役職者であることで、物事がよりスムーズに行きやすかったのかもしれないが、それはけっして本質ではない。知らない人や未知の世界に対し、果敢に飛び込んでいける覚悟や勇気があるかどうかは、性別や年齢、肩書とは関係ないのだ。自分の知り慣れた、狭い世界にとどまってはいけない。

「Giver」

最後に、彼を通して、世界は自分が思っていたよりも寛容的であることを知れた。ただしチャンスをつかむにはコツがあり、寛容な待遇を受けるためにも2つの要素が必要だと分かってきた。

一つ目は、親切な人に出会うこと。

「なんだ、運の話をしているのか」とあきれるだろうか。
だが、この話の前提として、親切な人に出会うためには何十人、時として何百人へ働きかけ、無視されるような体験をする必要がある。チームリーダーの彼は、忙しい合間を縫って面談を繰り返していたが、その数は50人をくだらないはずだ。そういった苦労を経て、運よく親切な人に出会えれば、高い確率でまた親切な人へとつなげてくれる。「類は友を呼ぶ」とはこのことだろう。

二つ目は、自分が親切な人になること。

「自分と一度つながった人に関しては最大限サポートする」と語る彼は、普段から人の相談に乗り、何かあれば助けているようだった。見返りを求めることなく日頃から善行を積むことで、自分の輪が知らず知らずに広がり、本当に何かあった際に助けてもらえることが多い。これは実体験として頷ける人も多いのではないだろうか。

「Giver(与える人)」としての生き方・成功例を目の当たりにし、もはや悔しさではなく尊敬の念が沸き起こる。ここまで書いてきて、こんなにも差がある人物に当初なぜ悔しさを覚えたのかも不思議に思えてきた。そんな愚かさも、チャレンジするきっかけになったと思えば結果オーライ。目の前の仕事や実利ばかりにとらわれず、家族、友人や同僚、身の回りの人々に対してもっと愛情を注いでいきたい。

最後に

朗報が届き、ビジネスコンテストは最終審査まで行けることになった。合格すれば、本格的に実現させるための資金を手に入れることが出来る。でも、結果がどうであれ、すでに手にいっぱいの収穫を得ている。

「Giver」という単語は、実は以下で紹介する本の中で知った。本で知った知識と実生活の体験がリンクする瞬間が一番面白く、「ああ、あれはこのことを言っていたのか!」というアハ体験をもたらす。

皆さんの生活の中でも、そういった幸運な体験があることを願う。そして、是非シェアしてくれれば幸いだ。

長くなったが、次の最終審査に向けて、また自分なりに愚直に取り組んでいこうと思う。

明日からまた頑張りましょうね。

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