失敗を気にせず、失敗も含めて楽しむ

小中高でそれぞれ買わされたリコーダー。私は高い「レ」以上が一向に出せない不器用者だった。親指を半分浮かすのだよ、と何度も教えられたけど、音がかすれる。きれいな音が出ない。すっかりイヤになってしまった。
社会人になり、引っ越しの荷物から二十年ぶりくらいにリコーダーが出てきた。

久しぶりに吹いてみた。最初は右手と左手、どっちが上かも忘れていたくらい。高いレは相変わらずかすれてる。でも今は一人。誰も注意したりしない。「音が出たことにする」。適当に知ってる曲の音を探しながら吹くことにした。毎日、30分ほど。すると不思議なことに。

あれ?高いレの成功率が高くなってる。それどころか、高いミ、ファ、ソ、ラまで!あんなに出なかった音が、このトシ(三十後半)になってできるなんて!
子どもの頃、楽譜を見て吹こうにもぎこちなく、押さえる場所もムチャクチャで、まともに一曲吹けなかったのに、習ってない曲まで耳コピで吹ける!

面白い現象だな、と思った。子どもの頃、うまくいかなかったのは「意識し過ぎた」からだろう。うまく吹こうと意識すると、意識が体の操縦権を握る。しかし意識は体を動かすのがヘタクソ。結果から学び、微修正するのもヘタクソ。失敗したら自分のヘタクソ加減を罵ることだけは、意識は上手い。

トシをとり、いろんなことを無意識にゆだねた方がよい、とわかってきていた私は、たとえ高いレがかすれても「こう吹いたらかすれるというのも大切なデータ」と考え、無意識が勝手に修正するのにゆだね、ひたすら気にせず吹いた。すると、五感が鋭敏に。親指の圧、息の強さなどがよく感じられるように。

すると、無意識は知らないうちに試行錯誤を始めるようで、次第に高いレがかすれない確率が高くなり、今は全然かすれなくなった。高いラも出せる。無意識が落ち着いて五感から情報を得て、試行錯誤できるよう、「ゆだねる」ができたからだろう。

マジメな子は、不器用率が結構高い。そして不器用者は、「意識」が強すぎることが多い。意識して動作をコントロールしようとすると力が入りすぎるし、五感から情報を得ることができなくなる。意識が出す叫び声にかき消される感じ。このため、練習してもなかなかうまくならない。

練習してもうまくならない原因の一つが、「失敗を許せない」。失敗は失敗でしかなく、成功以外は評価に値しない、と思い定めてしまっている。このため、失敗から学ぶことができなくなってしまう。
ところが失敗を気にせず、無意識に身体の操作をゆだね、五感からあらゆる情報を感じ取るようにすると。

無意識は失敗からもデータをとる。こうすれば失敗する、というのも重要な情報。だって、そのデータさえあれば、ほんの少し改変したことを試してみることができるから。無意識は、少しずつ条件をずらして試行錯誤するのがむっちゃ上手い。そこからデータを得るのもムチャクチャ上手い。

失敗を気にせず、ともかく楽しむ。すると無意識は五感を総動員して情報を集め、試行錯誤を繰り返す。ともかく「私」は、失敗も気にせずに楽しむこと。繰り返すこと。すると、勝手に巧くなっていく、ということが、リコーダーに限らず、何でもそうだということが分かってきた。

リコーダーも吹けなかった人間とオリンピック選手の為末選手を並べたらダメだとは思うのだけど、為末選手も似たようなことを仰っている。また、「新インナーゲーム」という本も似たような指摘。失敗を楽しむくらいにして、失敗も含めて練習を楽しめば、自然に失敗を修正する道が見つかるように思う。

息子と娘は、おじいちゃんおばあちゃんの家に行くとピアノで遊んでる。私は弾けないし、習ってたYouMeさんは私と同じ考えなので子どもに教えない。放っておいたらいつまでも鍵盤叩いて遊んでる。そのうち、耳コピの曲を(指一本だけど)弾けるようになった。おお。

時折間違えるのだけど、私もYouMeさんもおじいちゃんおばあちゃんも誰も失敗を指摘しないから気にしないでずっと楽しんでる。何度も繰り返すから、そのうち全然間違えなくなった。それに驚いたら、別の曲まで挑戦し出した。

まあ、初心者レベルの話でしかないかもしれないけど、少なくとも初心者が上達するのに、まず「楽しむ」が大切なように思う。失敗に変に着目せず、失敗も楽しんで味わうくらいがよいような気がする。すると楽しむから繰り返す。繰り返すから上達し、失敗しなくなる。ように思う。

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