夢中になること

赤ちゃんは見たことのないものを手にすると、かじったりガンガン床に叩きつけたりなげたり、いろんな角度から眺めたり。ありとあらゆる方法でそれを味わい尽くす。それこそ夢中で。五感を使って関心あるものを夢中で調べ尽くす本能があるらしい。

大人から見ると、知育おもちゃは遊び方が決まっている。赤ちゃんが「本来の遊び方」と違うアプローチをしていると「これはそうじゃなくて、こうやって遊ぶんだよ」と、つい教えたくなる。けれど、赤ちゃんは目の前のものの調査真っ最中。ジャマしない方がよい。

昔、塾生の父兄も一緒に海にキャンプに行った。すると中学生男子「何もない!ゲームセンターは?コンビニは?マンガどこで買えるの?」そんなものない、海で遊んだらええやん、と言ったらガックリ肩を落とし、持参した携帯ゲーム始めた。
おかしい。ボーイスカウト長年やってると聞いたのに?

するとその子のお父さん、クルマからイス、机を出し、車内の冷蔵庫から冷えたビールを取り出し、テレビをつけて観戦し始めた。海の借景はあるけれど、家にいるのと同じ快適さを運んできていた。ほどよく酔いが回ってきたところで、いかに自分が息子を自然の中に連れて行ったか語り始めた。

でもどうやら、早くキャンプ地に着いてビールを飲みたかったらしく、子どもが途中に発見したものに夢中になりかけても「さあ早く目的地に行こう」とせかすやり方だったらしい。テントの中でヒマしないようにと携帯ゲームも早くに買い与え、マンガも数冊持参していたらしい。

だからか。ボーイスカウトを小さい頃から続けているのに、自然に何も関心を持たないのは。子どもが関心を抱いたものに親がつきあわず、親の考える「楽しみ」以外は楽しみじゃない、という行動スタイルに子どもをつきあわせるうち、子どもも自然に対し興味を失ってしまったらしい。もはや路傍の石。

同じくらいボーイスカウトを長く続けているという別の子は、波打ち際に打ち上げられた流木をせっせと集め、キャンプファイヤーの準備をしてる。と思ったら、岸壁に巻き貝がビッシリ着いてるのを見て釣りを始める。水たまりに小魚がいるのに気づいて網で捕まえようとする。もう夢中で遊んでる。

子どもが子どもなりのやり方で関心を持ち、夢中に調べ尽くそうとするのをジャマし、これはこう遊ぶもの、遊ぶとはこういうもの、と、親の考える枠を子どもに押しつけると、次第に子どもはその枠から外れられなくなる。自然界の不思議さ、神秘さに気づかず、どこにでも転がる路傍の石と同一視。

赤ちゃんが示すこの「夢中になる」現象のジャマをすると、与えられた娯楽、作られた娯楽以外楽しめなくなってしまうらしい。目の前にあるものに興味関心を示し、夢中になることができなくなるらしい。興味関心の少なさは、残念ながら後の学習意欲に直結する。教科書に書いてることを覚えるだけの苦行。

おもちゃを「本来の遊び方」と違うやり方(かじったりしゃぶったり叩いたり投げたりぶつけたり)で遊んでるのは、決して無駄ではない。子どもはそうして、目の前のものを五感で味わい尽くそうとしている。ぶつけたらどんな音が鳴るのか?固いのか?どんな味がするのか?投げたら壊れるのか?

そうやって夢中で味わい尽くすことで、物性を知る。プラスチックはどんな質感でどの程度の丈夫さなのか?どんな音がするものなのか?ブリキは?超合金は?木は?夢中に調べ尽くす体験があるから、この世に存在するものの物性を五感で知ることができる。

夢中でしゃぶり尽くすこの体験が乏しいと、理科の内容は理解しがたい。火を起こす体験を何度もしている子は、燃焼という現象が、燃えるもの(燃料)と酸素と熱が必要、と簡単にまとめられるのを知ったとき、ある種の感動を覚える。あれだけ複雑に見える火起こしに、そんな簡潔な原理原則があるなんて!

火起こしの体験のある子はすぐに、燃料とは最初に燃やす新聞紙や小枝を思い起こし、酸素は、薪を三角に積んで空気の通り道を作ったりうちわで風を送り込むことを思い出し、熱は、熱い灰がたまらないと燃焼が続かないことにハッとする。3つの簡潔な指摘に複雑なイメージがリンクして頭に叩き込まれる。

火起こしの体験のない子は、燃焼に燃料、酸素、熱の3つが必要だ、と言われてもピンと来ない。ガスの火しか見てないと、全然想像がつかない。IHヒーターしか知らなかったら、もはや何のことやら。

大人の想定しない遊び方をしていても、それに大きな危険性がないなら、様子を見ながら見守って上げてほしい。「正しい遊び方」とは違うかもしれないが、目の前の対象物からものすごく学んでる最中だから。膨大な学習をしてるから。その体験が多い子は、学習意欲が高いまま育つと思う。

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