やる気なくすぜスイッチ

「やる気スイッチ」という言葉をよく聞くようになった。ただ私は、そんなスイッチ、原則ないと思ってる。その代わり「やる気なくすぜスイッチ」は確実にあるように思う。「宿題やったの?」「これやっときなさいよ」という先回りや指示は、やる気の泉をとてもわかりやすく枯らす。

「いまやろうと思ってたのに、言われたらやる気なくした!」「ウソばっかり!言わなきゃずっとやらないくせに!」という親子のやりとりは、日常でもよく耳にするし、ドラマやマンガでもよく目にする光景。
でも私は、子どもの言ってるのはその通りだと思っている。先回りされるからやる気なくす。

ほっといたらいつまで経ってもやりそうにない。口を出したら「やる気なくすぜスイッチ」が入ってやる気なくす。どうしたらいいんだ!と袋小路に追い込まれた感の人が多いかも。

ではどうしたらよいか?
オススメは、「たまたまが来るまで待つ」。

勉強はおろか、宿題もしないかもしれない。それでも仕方ない、と考える。先生には親の方から謝っておく。そして、待つ。子どもが自ら、「たまたま」動き出すのを。
子どもだって先生から言われてるから、宿題はしなくちゃいけない、と思っている。でもなかなかその一歩が踏み出せない。

そして夜も更け、もう寝なきゃね、となってから「宿題やらなきゃ」と言い出す。この時にどう接するかが分かれ道。
「なんでこんな時間になるまでほっといたの!今から宿題したら寝るの遅くなるでしょう!遅刻するよ!だいたいあんたはいつも!・・・」
「やる気なくすぜスイッチ」が入ってしまう。

もし次のように声をかけたら。「おお、誰も何も言わないのによく自分からやるって決めたな!ただ、あんまり無理しないように、早めに眠れるようにね」と言うと、宿題やると決めたことで驚かせられた「やったった」感、気遣ってくれた優しさに嬉しくなる。集中して取り組めるので、早くに宿題も済む。

宿題を終えた後、「よく集中して頑張ってたね。ただ、眠る時間が遅くなると体によくないから、早めに始めるようにしてね」と声をかけると、達成感もあり、頑張りを認めてもらえた嬉しさがあるから、次第に早めに宿題に取り組もうとするようになる。そのとき、「あんた、えらいなあ!」と驚く。

一度ではなかなか習慣づかないが、宿題に自分から取りかかるまで何も言わない、自分からやり出したら親は驚く、という構造があると、子どもは宿題が楽しいものになる。親をいつも驚かすことができる材料として、楽しみになる。親はその都度、「あんた、誰も何も言わんのにえらいなあ」と驚けばよい。

先回りしたり指図したりして子どもを「受動的」な立場に置くと、「やる気なくすぜスイッチ」が入る。先回りも指図もせず、子どもが「たまたま」動き出すのを待ち、「能動的」に動き出した時に「驚く」ようにすると、宿題さえも親を驚かせる楽しい道具の一つに変わる。

「たまたま」がせっかくやってきたのに、声掛けに失敗する事例もよく目にする。子どもが自発的に宿題をしようとしたタイミングで「あら、珍しい。雪でも降るかも」と、ふだん言うことを聞かないことへの腹いせ、復讐をすると、それもまた「やる気失せるぜスイッチ」を押してしまう。

そうした腹いせ、復讐してしまうのも、「期待」があるから。宿題するのが当たり前、勉強するのが当たり前、私の言うことを聞くのが当たり前、私の期待通りに動くのが当たり前…そうした期待があると、ついチクリと皮肉でも言いたくなる。そうした気持ちはよくわかる。けれど。

「期待」があると、とても大切なことが無理になる。「驚く」こと。子どもの立場から見れば、「驚かす」ことができなくなる。親が、宿題をするのが当たり前と期待していたら、たとえ宿題をしても親は驚かないことを子どもは察知してしまう。すると、つまらない。宿題はただの義務になり果てる。

子どもが能動的に動いたことに親が「驚く」には、「期待を手放す」ことが必要。子どもが期待通りに、思い通りに動くことを願うのではなく、子どもの成長を祈りはしても、決して先回りしないこと。むしろ「あと回り」すること。
https://note.com/shinshinohara/n/n38b8650fa779

赤ん坊に対する親御さんの接し方は、理想的。赤ん坊は言葉が通じない。だから教えようがない。ただただ、子どもの健康と、願わくば成長を祈るしかない。先回りしようにも、赤ちゃん自身の力で、歩いたり言葉を話したりするのを待つしかない。この親の接し方は、大変理想的。すると。

子どもが初めて立った時、「立った!いま、立ったよ!」と親は驚く。片言の言葉を口にした時、「いま、言ったよね?言葉言ったよね?」と親は驚く。こうした、一つ一つの変化、成長に親は驚き、喜ぶ。その驚きようが、子どもの成長意欲にドライブをかける。

幼児が「ねえ、みてみて!」と、決まったように言うのは、きっと理由がある。子どもは、赤ちゃんの時から、親が自分の成長に驚いたこと、手放しで喜んでくれたことを、きっと無意識のうちに覚えている。だから子どもは、「昨日までできなかったことが、いまできたよ!」と、自分の成長で驚かせたいから、そう言う。

ところが親は、ある時を境に驚かなくなり、代わりに「期待」するようになる。そう、小学校に入学した時をきっかけに、ガラリと変わる。それまで親は子どもの成長に「先回り」することが少なく、子どもの成長ひとつひとつに驚きの声を上げている。しかし小学校に入ると。

宿題をすること、勉強すること、よい成績を収めることを期待するようになる。それらを当然視し、やっても当たり前のことをしただけだと見なし、驚かなくなる。やらなければ怒る。それまで親は、自分の変化成長に驚いてくれて、それがうれしくて色々挑戦してきたのに、驚いてくれなくなる。

「やる気なくすぜスイッチ」はそうして、常備されるようになってしまうのではないか。小学校に入り、いろんなことが「期待」されるようになり、親が驚かなくなることが、子どもの意欲を消し去ってしまうのでは。
もしそうだとしたら、小学校以前の接し方に戻せばよい、ということになる。

子どもの成長に先回りせず、むしろ「あと回り」するくらいの気持ちで。そして子どもが能動的に取り組んだことに驚き、喜べば、子どもは親を自分の成長や努力で驚かすことができた、という何より楽しいゲームを取り戻すことができる。親を驚かすって、子どもにとってはかなり大切な楽しみ。

自分の成長で親を驚かす、という楽しみを、子どもから奪わないようにしてあげてほしい。子どもはもともと、意欲のカタマリ。だって、ハイハイしていれば危なくないのに、頭を高く持ち上げる「立つ」なんていう恐いことをやってのけようとする、大変な意欲の持ち主なのだから。

老人がケガなどでしばらく寝たきりになって、以前のように立とうとした時、大変な恐怖を覚えるという。頭をこんな高くに持ち上げたら、頭を打って大けがしてしまう!と。その恐怖を味わうと、リハビリにも差支えが出るらしい。そんな恐怖に、赤ちゃんは果敢に挑戦する。その意欲はすさまじい。

子どもに意欲がないのではない。「やる気なくすぜスイッチ」を押しすぎて、ブレーキをかけまくっているだけ。スイッチを押すことをやめ、ブレーキをかけないようにすれば、意欲は自然と回復する。子どもが能動的に動いたときに「驚く」ようにしたら、意欲は急回復し、アクセルがかかる。

期待を手放し、子どもの成長を祈り、待つ。そして子どもが能動的に動き、工夫し、努力し、苦労をいとわない姿を見せたら、驚き、面白がる。そうした「構造」を用意すれば、子どもは果敢に挑戦し、「できない」を「できる」に拡張していく。親を自分の成長で驚かそう、と。

だから大切なのは、「やる気スイッチ」を探すことではなく、「やる気なくすぜスイッチ」をいかに押さずに済ませ、期待を手放し、子どもの能動性に驚く気構えを用意できるか、ということ。それさえできたら、子どもの意欲はコンコンと湧いてくる、と私は考えている。

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