品詞分解は深層学習風に(何事もだけど)

品詞が理解できていない子に品詞分解はキツイんじゃない?という声があった。「正解しなきゃいけない」という「呪い」があったらその通りだと思う。しかし、赤ちゃんの学習法、あるいは人工知能による深層学習を見習うなら、その心配は無用に思う。

私自身、この品詞分解を始めたころ、品詞も文法も何もわからなかった。名詞?動詞?主部述部?主語述語?なにそれ?意味わからん!という状態。皆目見当がつかなかった。最初に品詞分解するのも、実際には書くに書けなかった。品詞に何種類あるのかもわかっていなかった。

最初に提出したのは、もう真っ赤っ赤。何一つ合っていない、というくらい。でもその次に品詞分解したとき、先生が書いた品詞をなんとなく拾って適当に品詞を記入した。それでも真っ赤に修正されたのだけれど、全滅だったのが、名詞が当たるように。

やがて動詞が分かるようになり、助詞のうち格助詞だけは「をにとへでからよりやのが」から探すので見つけられるようになり、と、繰り返すうちに赤を入れられずに済む箇所が増えていった。何度も同じ間違いをするうち、「これ、よく出てくる」と気がつき、それも品詞として覚えられるように。

こうして、間違いまくる中で、徐々に答えられるのが増えていくうち、間違いが減っていき、精度が向上し、やがて「同じ」という言葉が連体詞なのか形容動詞なのか、学説でも分かれている、という先生の話を何度も聞いているうちに覚えることができ。品詞分解でほぼミスなしになった。

私がお勧めする品詞分解の学習では、「理解してから練習する」のではなく、「まずはやってみて、間違いまくって、間違いまくる中から少しずつ理解できるものを増やしていく」というやり方。これは、赤ちゃんの学習スタイルや、人工知能の深層学習と同じ。

赤ちゃんは最初、自分の手の動かし方を知らない。知らないけれど、どうやら本能的に手が勝手にランダムに動くようにプログラムされているらしい。で、でたらめに動くと、自分の爪で顔をひっかいて傷だらけになったりする。しかしそうしてランダムに腕が動き、自分の頭を叩いたりしているうち。

腕の動く感覚と、顔やモノに当たる感覚とが結びついていき、やがて意図的に腕を動かす感覚を「発見」するらしい。
しかし意図的に腕を動かせるようになっても、その精度は低い。何かを握ろうとしても、かえって突き飛ばして遠くに飛んでしまうことも。

たまたまガッとうまくつかめることがあるけど、それでつかみ方が分かり、精度が向上するのかというとさにあらず。一度うまくいっても、まだまだ腕が乱雑に動き、つかむという行為ができない。ところがそうした「間違いだらけ」を繰り返すことで、いつのまにやら「つかむ」ができるようになる。

どうやら、赤ちゃんのこうした腕の「ゆらぎ」は、わざとプログラムとして組み込まれているのでは?と考えている。ものをつかもうとしてうまくいったとき、その時の感覚を再現しようとしても、赤ちゃんの腕は無駄にゆらぐ。これは恐らく、「失敗によって成功の輪郭を浮き彫りにする」作業なのだろう。

一度成功しても、「ゆらぎ」をもたらすことで、成功周辺の失敗を蓄積する。それにより、「つかめない」という失敗によって「つかめる」という成功の輪郭を浮き彫りにしているのではないか、と私は考えている。失敗を膨大に重ねるからこそ、成功を浮き彫りにすることができる。

人口知能の深層学習もこれに似ていて、ロボットアームに物をつかませる学習をさせるとき、「失敗」は重要な学習データになるのだという。失敗を膨大に積み重ねさせるからこそ、モノが斜めになろうと形が違おうと大きさが違おうと、臨機応変につかむことが可能になる。

品詞分解の添削も、そうした心構えで取り組むのが望ましいと思う。できないのを叱ったり、ダメだししたりする必要はない。赤ちゃんが最初モノをつかめないのは当たり前で、それを怒ったり叱ったりする親がいないのと同じ。できなくて当たり前、という姿勢で指導者は臨む必要がある。

たとえば「きれいだ」は形容動詞だけど、「机だ」は名詞+助動詞。初心者は区別ができない。添削した後、指導者は「な、をつけてごらん。「きれいな」とは言うけれど、「机な」とは言わないだろ?「な」を付けて不自然でないのが形容動詞、おかしいのが名詞+助動詞」などと、何度も繰り返し説明。

最初のうちは何度説明されてもできない。でもある日、「あ、「だ」で終わる言葉だ。「な」に置き換えてみよう」とふと考える時が来る。その時が、形容動詞を見抜くコツをその子は身に着けることができた瞬間、ということになる。

間違えても間違えても添削し、ポイントを説明する。間違えても間違えても添削し、コツを伝える。それを繰り返すうち、子どもは、赤ちゃんや人工知能と同じように「深層学習」するようになる。そしていつしか、「これは名詞っぽいな」が見抜ける感覚が育つようになる。

私は野球が大の苦手で、息子に教えることはとてもできないと考えていた。だから息子に投げ方とかキャッチの仕方を一切教えなかった。その代わり、キャッチボールにつきあった。ともかく数をこなす中で、自然と「深層学習」が成立することを祈って。

すると面白いもので、息子は「体の声」に耳を傾け、ボールはこう投げたらこう飛ぶ、ミットはこう構えたらボールがこう入ってくる、という感覚が育ったらしい。何も教えなかったのに、なかなかのスピードでコントロールもよく投げることができ、キャッチもうまくなった。

私は、失敗や間違いをなるべく減らそうとする考え方に、疑問を持っている。むしろ失敗や間違いは積極的に、むしろ膨大な数経験する方がよいと考えている。膨大な失敗というデータこそが、成功という狭い領域の輪郭を浮き彫りにする。それによって、理解が大きく進むのだと考えている。

事前に、品詞をリクツで理解させようとしたり、リクツで説明しようとする必要はない。まずは間違わせる。失敗させる。間違いも失敗も大事な学習だととらえて。そのうえで、「ものの名前は名詞だよ」と、何度でも説明する。「説明」はするが、事前に教えようとか理解させようとか思わない。

存分に間違い、失敗を繰り返させるうち、「あ、そういうことか!」を子どもは発見していく。自分の選んだ文章を品詞分解するとき、指導者は口を出さないようにする。添削するまでは黙っている。どの単語をどの品詞と書くかは、子どもに任せる。すると、教えないから何度でも間違うだろう。

間違えたら、添削し、また「これがなぜ名詞かというと」と説明する。また、本人の力だけで品詞分解させる。するとまた間違えるだろう。けれど、その間違いこそが、深層学習の重要なデータ。

品詞分解のこの訓練で、指導者に気をつけてもらいたいことをまとめると、
・品詞分解している最中の子どもに教えようとしない。黙って見てる、あるいは見ない。
・提出後、添削。間違ってることをネガティブに指摘しない。むしろ偶然でもいいから文節の区切りがあっているところがあればそこに気づく。
・見抜くコツを一つだけ伝える。全部を教え込もうとしない。
・「どんどん間違えろ、それが大事なんだ」と何度も伝え、添削を喜んで行う。

こうした接し方をすると、間違いを恐れず、失敗を嫌がらずに、ともかく繰り返すことができるように思う。「文節、前はできなかったのに結構合うようになってきたなあ!」「これ、付属語だってよくわかったなあ!」以前はできなかった進歩に気がつき、その「差分」を指摘すると、子どもは嬉しくなる。

大量に間違い、大量に失敗し、だけどその中で子どもは学び、進歩していく。こうした深層学習的な学習法を、もっと取り入れることができたら、子どもは学びがずいぶん楽になるように思う。

「教える」というのは、一種の「呪い」をかけることになりかねない。「教えた通りになぜできないんだ!」と叱られてきた子にとって、「教える」とは、そのレールから外れたらどんな目に遭うかわかっているだろうな?という脅し文句に聞こえてしまうことがある。

私があえて「教える」ではなく「説明する」と言葉を変えたのも、そこに理由がある。「教える」というのは、教える側に、「教えた通りにやりやがれよ」という「期待」が乗ることが多い。すると、子どもは間違うこと、言うとおりにできなかった場合を恐れるようになる。失敗を恐れてしまう。

ここで「説明する」というのは、「説明は何度でも繰り返すけど、それは失敗しちゃいけない、ということじゃないよ。いいんだよ、聞き流しても。いつか頭の中に残る日が来る。自分でハッと気がつく時が来る。その時が来るまで、こっちが勝手に説明しているだけだから気にせず失敗して」という姿勢。

むしろ、たくさん失敗することを喜ぶこと。「いいねえ!盛大に失敗して!そのほうが学びは深くなるのだから」と。そして何度説明しても、頭に残らなくても、「いいよいいよ、何度でも説明するよ、その瞬間がいつか来る。その瞬間を呼び込むためには、失敗が大切。恐れず失敗して」と。

指導者のこうした姿勢だと、子どもは失敗を繰り返すことを恐れなくなり、それは失敗というより「実験の積み重ね」に意味づけが変わってくる。「間違っても構わないなら、今日は連体詞だと決めつけてみよう」とかを試してもよい。仮説を立て、あえて失敗してみる。すると、失敗が成功の輪郭をなぞる。

子どもは、たくさんの失敗を重ねてよい、という環境では、仮説を立て、試してみるという試行錯誤、「仮説的思考」を取り戻すようになる。赤ちゃんの時に存在した、あの学習スタイル。すると、深層学習が可能になる。

間違っちゃいけないなんて思わないこと。あらかじめ理解しておかなきゃいけない、なんて考えないこと。「ねばならない」「べき」という呪いを子どもにかけないこと。そうした姿勢で、品詞分解を繰り返せば、子どもは驚くほど上達するようになる、と私は考えている。

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