頭でっかちより「観察と試行錯誤」

日本にイノベーションが起きにくくなった理由。それはもしかしたら、大卒が増えたからではないか、という気がしている。
戦後の日本は、大卒は非常に少なかった。多くが中卒、高卒。場合によっては尋常小学校まで、という人が多かった。パナソニック(松下電器)の創業者、松下幸之助は小学校中退。

高度成長期時代、日本の製造業には、「金の卵」と呼ばれて中卒の人たちが地方からたくさん就職した。で、開発研究する部署には大卒が多かったかというと、どうもそうでもないみたい。「お前、これをなんとかものにしろ」といきなり部署につき、必死になって勉強するしかなかった、という話が多い。

ホンダの創業者、本田宗一郎も大卒ではない。しかし勉強熱心で、エンジンのことを学ぶために大学の先生のところを訪ねて聞きまくったり、ともかく吸収しまくった。その強い学習意欲が、あれだけの大企業を一代で育てる原動力になったのだろう。

やれるかどうかわからないけれど、ともかくやってみる、分からないなら大学でも研究者でも誰でもいいから頭を下げ、話を聞きに行く、という姿勢で勉強すると、2,3年もすればその分野で誰よりも詳しくなる。専門家になる。そうして企業は、開発者を自社で育てていた面があるように思う。

ある意味、無茶ぶりだったかもしれない。ともかく部署に配置して、「勉強しろ、調査しろ、そしてどうにか商品化しろ」なのだから。当時、変に大卒の人がいなかったから、誰も民間に専門的な知識を持っている人がいない状態。だから素直に専門家に話を聞きに行き、モノにできたのかもしれない。

ところがどうも大卒は腰が重い、というのは、私が子どもの頃(昭和50年代)でも聞いた。銀行に就職するとまずは一軒一軒家を訪ね、口座を作ってほしい、貯金してほしいと頼みに回る営業をやるわけだけど、経済学部を出た大卒などは「俺はこんなことをするために勉強してきたんじゃない」と不満。

俺はいっぱしの専門家だ、と、変に大学を出たために変にプライドが高く、「それは俺の仕事じゃない」と文句を言うから使いにくい、というのが、昭和50年代くらいの大卒にはあったらしい。

デイビッド・ハルバースタム「ネクストセンチュリー」には京セラの創業者、稲森和夫氏の若い頃の話が。稲盛氏は鹿児島大学を出た後、京都にある碍子メーカーに就職。稲盛氏は勉強熱心でいろんなことを吸収し、画期的なセラミックを開発したのだけれど、上司が京大卒で、自分の後輩の手柄にしたがった。

何にもしない癖に京大卒の学閥で手柄を横取りされるのに腹を立て、稲森氏はその後独立、京セラを創業した。
ところで、稲森氏は前の企業で、大変尊敬している人がいたという。その人に学歴はなかったが、その人が作るセラミックは超一品。しかも品質が安定していた。

機械の掃除を怠らず、メンテナンスも細心の注意を払い、仕事を愛していた。その人が調合するセラミックは、常に同じ性能を示した。京大卒の開発者の誰もマネできない手腕。稲盛氏は、その人から仕事に臨む姿勢を学んだという。

母が倒れ、父がアルバイトしてなんとか稼いでいたころ、父が「いやあ、すごい人がいるもんだ」と感心して帰ってきた。その時、父はプラスチック工場で働いていて、ベルトコンベアで運ばれてくる部品をニッパーでパチンパチンと切り出す、単純作業の仕事をしていた。

しかしコンベアが運んでくるスピードが速すぎて、ニッパーで切り出す作業が追いつかない。たびたび機械を止めないといけない。他方、隣では、60歳を超したおじいさんが2つのレーンを、鼻歌うたいながら担当している。「ベテランの癖に、初心者にこんな厳しいレーンをやらせて」と不満に思った父は。

「そっちの2レーンと交代してくれませんか」と頼んだ。おじいさんはニヤッと笑い、「ええよ」。するともう2倍どころではないスピード。じいさん、いったいどうやってこんなのを鼻歌うたってこなしていたのか?父は素直に、そのおじいさんに教えを乞うことにした。

「あんたは素直に聞くから教えるけどな」と言って、おじいさんは教えてくれた。「あんた、右利きやな?部品を左手で拾って、ニッパーを握った右手で向きを変えて、それをまた左手で持ち換えて、それから切っているやろ。これだと4工程になる。」

「それをな、最初はやりにくいかもしれんけど、ニッパー握っとる、右手の小指で部品を拾ってごらん。で、左手で持ち、ニッパーできれば3工程。工程が一つ減るやろ」
「あと、あんた、隣のレーンに移る際、右足から動いてるやろ。不自然かもしれんけど、左足を後ろに下げてごらん。3歩が2歩に減る」

言われた通りにしてみると、なんとかこなせるようになった。そのほか、ニッパーの磨き方を含め、そのおじいさんは実にいろんな工夫をしていた。定年退職する年齢でもなお工場がその人を手放せないのは、その工夫の積み重ねによる仕事の丁寧さと速さにあったのだろう。

もう少し前の話。両親が商売をしていた時のこと。ストッキングの袋詰め作業を内職に出すことにした。段ボール一箱でどのくらい時間がかかるか試してみたところ、二人で3時間かかった。一人だと6時間かかる計算。で、当時のパートの時給を参考に、一箱分の内職代を決めた。

慣れてきた人でも、なかなか3時間を切ることはできなかった。しかし、一人だけ1時間で仕上げてくる人がいた。これだけ早いと、パートに出るより割の良い仕事になる。そういう人がいる、と言っても、他の内職の人は信じなかった。「絶対友達に手伝ってもらってる、そんな早くできるはずがない」と。

ところがその人、急ぎで頼む、といったら、突然の依頼なのに1箱1時間以内で仕上げてきてしまった。突然だから友達に依頼したと思えない。聞いてみたら「一人でやっている」という。いったいどんな魔法を使っているのか、目の前で実演してもらうことにした。

「うちのテーブルと少し滑りがちがうけど」とテーブルをさすった後、その上で袋をトントンとたたくと、前に放り出した。すると、袋が少しずつ均等にずれて並んだ。まるで手品師によるトランプみたい。
次にストッキングを段ボール箱から無造作に出して山にした。「並べないんですか?」と聞くと。

「いいの、いいの」と言って、右手を山に突っ込んだ。すると、すべての指の股にストッキングが。それを袋にパパパッと入れていく。
シールは四列シートにあらかじめ切っておき、端を折ると、4枚のシールが半分頭を出して。それを四本の指先につけ、ぺぺぺっと袋にフタをした。

いったいあなたは何者ですか、と聞いたところ、中学を卒業した後、大島紬の職人になり、賞ももらったことがあるとか。結婚して大阪に移り住み、今回の内職でも前職と同じように工夫を重ねてみたのだ、と言った。

変に頭でっかちにならず、目の前の仕事をよく観察し、どんな工夫が可能か、試行錯誤を重ねる。そうして仕事をブラッシュアップしていくことを、昔の人はよくやっていたように思う。戦後昭和の日本に大卒は非常に少なかったが、創造的な製品が数多く出たのは、その観察力と工夫にあるのだろう。

高度経済成長が終わり、バブルに差し掛かると、日本は大学進学率が増えた。そして本の知識、教科書の知識を持つ大卒が増えた。しかし創造的な仕事をするのに、既存の知識を振りかざしても仕方ない。創造的な仕事には、観察と試行錯誤こそが重要。

大卒はたくさんの本を読み、たくさんの勉強をしたからエライ、というのが世間の常識だと思う。しかし、仕事というのはどんどん新しいものに変化させていかないといけない。本や教科書には「過去」はあっても、「未来」は書いていない。そう考えると、大卒は過去の囚われ人になりかねない。

日本が創造性を失い始めたのは、大卒が増え、企業も変に大卒を尊んだためかもしれない。戦後昭和の日本が創造的だったのは、変に頭でっかちにならず、専門家に話を聞きまくり、実物をよく観察し、ともかくやってみるという試行錯誤を繰り返し、現場から膨大な情報を収集していたからだろう。

もちろん、大卒であっても、過去に学んだことに変にとらわれず、目の前の現象をよく観察し、頭に浮かんだ仮説に基づいて試行錯誤する、そうした観察と試行錯誤さえできれば、創造的な仕事は可能だと思う。しかし大卒だと尊重された理由が「お勉強した」ことにあるため、勘違いしやすいのかも。

お勉強したことで自分自身が評価されたものだから、お勉強の内容こそ価値がある、と勘違いする人が多かったのでは。そのために、お勉強という「過去」に囚われ、観察と試行錯誤という、「未来」をつかむための作業を怠り、過去の知識で解釈して見せることで鼻を高くしていただけなのでは。

私は、日本の企業に創造性を取り戻すには、観察と試行錯誤こそが大切であって、「過去」でしかない学歴などはどうでもよい、という考え方にシフトすることではないか、と感じている。他方、働く人は学歴の代わりに大切なものを取り戻す必要がある。学ぶことを楽しむこと。

残念なことに、受験勉強をつらく苦しいと思う人は多く、大卒の少なからずが勉強嫌い。嫌いだから新たに学ぶことを嫌がり、過去に学んだ知識で物事をあしらおうとする。それで済ませるために、いやが上にも大学を出たことを尊ぼうとする。しかしその心理の裏は、勉強嫌いが理由にある気がする。

他方、大卒でない人も、少なからずが勉強嫌いにさせられている。親が先生が勉強しろとヤイノヤイノやかましく言うので、すっかり勉強嫌いになってしまった人は多い。つまり、大卒もそうでない人も、日本では勉強嫌いの人がずいぶん増えてしまった気がする。そのため、新たに学ぶ意欲が失せがち。

しかし戦後昭和のあの時代、学ぶことをものすごく楽しんでいる人たちが多かった。観察し、気づきがあると試してみる。その結果に目をむき、またよく観察して、気づいたことがあればまた試してみる。観察と試行錯誤を繰り返すたび、新たな発見があって面白い。のめり込む。

他人から強いられる「勉強(つとめてしいる)」ですっかり勉強嫌いの人間が増えてしまったかもしれないけれど、人間は本来、学ぶのが好き。試してみて、意外な発見があると嬉しくて仕方ない。誰かに教えたくて仕方なくなる。観察と試行錯誤は、新たな発見の連続で面白い。

「観察と試行錯誤」という、学びの本来の姿を取り戻せば、学歴とかどうとかは関係ない。どんな人でも、どんな年齢でも、そこから学びは始まり、進歩が起きる。創造的なことが起き始める。学ぶことは楽しい。その楽しさを取り戻すことが、とても大切なように思う。

「観察と試行錯誤」は、実は小学校就学前の幼児なら当たり前にやってること。そしてこの童心を思い出すのが、大学院。
小学校から大学卒業までは「過去」を学ぶ。けれど修士、博士の大学院では、まだ誰も知らない気づいていない「未来」を開拓する。そのために「観察と試行錯誤」を取り戻す。

小学校から大卒まで少なくとも16年かけて既存の知識、「過去」を学び、大学院になって幼児の頃の「観察と試行錯誤」を取り戻す訓練を行う。しかし既存の知識を学ぶだけの習慣にすっかり慣れてしまって、「観察と試行錯誤」を取り戻すのはなかなか大変な作業。

私はもう少し、「観察と試行錯誤」を楽しめる学習スタイルを小学校の頃から取り戻せたら良いのに、と思う。「未来」を開拓するこの学び方は、いくつになっても楽しい。この楽しさを取り戻すにはどうしたらよいか、たくさんの人と知恵をしぼっていきたい。

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