「エビデンス」考
阪神大震災から日が浅いにも関わらず、新聞やテレビは一斉に「復興の槌音」という報道を始めた。もう被災地は復興に向けて歩みだしたのだ、とばかりに。現場のリポーターが「それどころではない」と言ってるのに、東京のスタジオで座ってる人たちは「復興は始まってるんですね」。
東京は当初、2種類の話しか求めなかった。復興が早速始まってるという証拠と、感動エピソード。被災地で被災者が何に困っているかはスルー。現場の心あるリポーターが「それどころではない」と現場の空気を伝えようとしても、東京のスタジオの方で言葉を被せ、復興は着実に進んでる、でまとめた。
私もてっきり復興は始まり、もうボランティアなんかお呼びでないのかも、と思いかけていた。しかし父が「見に行かなければ分からない」というので、土曜日(震災が起きたのは火曜日)に西宮北口から三宮まで歩いた。衝撃だった。復興?テレビや新聞は一体何を証拠に言っているのか?と。
救急車のサイレンがあちこちから、常時鳴り響いていた。「しょっちゅう」ではない。常時。しかも深夜に至っても。その音が鳴り止まない。そのことだけでも異様な空気だった。100%家屋が倒壊していた本山地区は、何も手を付けられていなかった。火事の起きたところは焦げ臭く、生々しかった。
その翌週になっても、被災者は一日におにぎり2個、菓子パン一個、小さな牛乳バック一個を支給されるだけだった。それが一日の食料。もちろん全然量が足りない。ボランティアが必死になって被災地の外から食料をかき集めていた。しかし報道ではまるで、被災者がいいもの食べてる感になっていた。
「今日は芸能人の誰それがステーキ百枚を被害者に提供しました」といった報道がなされていた。しかしそうした豊かな食事にありつけていたのは、被災地の両端である西宮と長田区に限られていた。物資がそこで止まった。その間に位置する東灘区などは、かなり日が経ってもおにぎり2個と菓子パンだけ。
なぜ報道が西宮と長田区に偏ったのか?恐らく「電気」だ。被災地は長らく電気がまともに来なかった。東灘区のかなり大きな避難所(被災者1500人ほど寝泊まり)でも、裸電球を2、3個つけるのか精一杯だった。テレビクルーを常時張り付けるには、電気の来てる両端が都合良かったのだろう。
盛んに報道されるものだから、ボランティアも多くが西宮と長田区でせき止められ、その2つに挟まれる地域にはボランティアが驚くほど少なかった。記者は、電気のない箇所にはめったに足を運ばなかった。だから被災者が何を食べているのか、どれだけの量を確保してるのか知らなかった。
やがて、弁当の配給をやめるというニュースが流れてきた。現場のボランティアはパニックに。おにぎり2個、菓子パン一個の量では全く足りないとは言え、ないよりははるかにマシ。それさえなくなったら、ボランティアが手弁当でかき集めた食料では全く足りなくなる。しかも。
全国から集まっていた救援物資は、服と毛布を除けばほとんどなくなりかけていた。2月頭、物資の集積所だった東灘区役所に行くと、食料はゼロ、使い捨てカイロ数枚、ペットボトルの水一箱。「うちは1500人いるんですよ。全く足りない」と言っても、「来ないのだ」という返事。
翌朝、手分けして神戸市の物資の情報を集めた。摩耶倉庫は神戸市全体の物資集積所。しかしここにも食料はなかった。元気村や他の集積所にも食料のストックはなかった。しかしボランティアがかき集められる食料は限りがある。もちろんスーパーなど小売店はまだ機能していない。電気が来ないのだから。
このままでは神戸市の被災者が飢餓に陥る。ボランティアたちで手分けして、神戸市の現状をマスコミに伝えよう、と決めた。私はテレビ局に電話とメールで現状を訴えた。父は大阪市と大阪府の庁舎の前で「被災者の食べてるのは一日にこれだけ、それさえも打ち切られようとしてる」と訴えた。
報道関係者が多くいた元気村にも説明に行った。驚くべきことに、被災者が何を食べているのか、記者たちは把握していなかった。「まさかおにぎり2個と菓子パン一個が一日の食料?しかもこれだけが毎日続いていた?それさえも打ち切られようとしてる?」全然知らない様子だった。
テレビや新聞が、一斉に被災地の食料事情、救援物資が(服と毛布は余っているけど)非常に不足していること、西宮と長田区に挟まれた被災地ではボランティアの手も足りないことなどを報道した。次の土日にはたくさんのボランティアが訪れ、食料もたくさん届けられた。窮地を脱した。
神戸市で食糧難が発生する危機を、ギリギリで食い止められた。しかしその危機に気づいていた人は、不思議なほどいなかった。たまたま私達が調べ、騒いだからどうにかなったが。このときの経験が、「エビデンス」に対しての考え方の基礎になった。常に現場から考えねばならない、と。
しかも、自分の見ている現場だけではダメ。報道関係者は、西宮と長田区の両端から内部に入ろうとしなかったため、ボランティアと食料が溢れかえっていると勘違いした。その間の被災地では食料もボランティアも欠乏していたのに。
また、間の被災地にいたはずの元気村の報道関係者もボケていた。東京から強く求められている被災者とボランティアの感動エピソードをかき集めるのに忙しくて、被災者が何を食べているか、何しか食べられないのかを把握すらしていなかった。
そう、マスコミですら、見たいものしか見えない。そのことを私達は学んだ。
ナイチンゲールに次の言葉がある。
『経験をもたらすのは観察だけなのである。観察をしない女性が、50年あるいは60年病人のそばで過ごしたとしても、決して賢い人間にはならないであろう。』
観察は、見たいものだけを見ることではない。逆に見たくないもの、気づかなかったもの、気づこうともしなかったことを観よう、気づこう、探そうとする姿勢のこと。しかし報道関係者でも、見たい事実、現象しか見えなくなるのだ、ということを阪神大震災は教えてくれた。
報道では、おにぎり2個と菓子パン一個の配給を「一日700円台半ばのお弁当」と報道していた。どう考えても300円程度の量でしかないのに、金額だけ聞けばそこそこの量の配給を受けているように思えてしまう。私達が騒いだあと、東京のスタジオでは「毎日たったこれだけ・・・」と絶句。
あれから、被災地報道は変わったと思う。自分たちが取材しきれていない重要情報が転がっていないか、記者も意識的に「観察」するようになった。これはとても良かったと思う。
さて、エビデンスといえば、もう一つのことを紹介しておきたい。それはベトナム戦争。
当時、政府の中央にいたマクナマラという人物は、いかにアメリカ軍が効果的に成果をあげているかを、数値を並べて説明していた。それを真に受けて、アメリカはベトナム戦争の泥沼に突入していた。しかしベトナムの現地にいる記者は、異なる実相を報道し始めた。
ただしそれら報道は「点」でしかなかった。マクナマラの紹介する数字は、戦局全体ではうまく推移しており、局所的にまずいことが起きていたとしても、それは微々たるもので全体には影響を与えはしない、と、相手にしていなかった。しかし実態は、現場で必死に情報を集める記者の方が正しかった。
点と点がやがて線につながり、やがて面となった。マクナマラは膨大な数値データを駆使してそれら報道が誤りであることを力説した。このため、世論が動くのが遅れた。しかし実は、マクナマラの利用していた数字はデタラメだった。
アメリカの中央にいる人間たちが「どんな数字を求めているか」を忖度した現場の将校が、鉛筆を舐めて出した数字だった。戦果は上がっている、と中央が求めてるなら、それに合わせた数字を報告しておこう、と。都合の悪い数字は伝えず、中央の気に入りそうな数字だけを。
マクナマラは数字を上げて説明するので、「エビデンス」としてはバッチリに見える。これ以上のない説得力。語る言葉はすべてエビデンスに基づいているかのよう。しかしエビデンスそのものがデタラメだった。現場の記者たちが伝える「点」のニュースが、事実に迫っていた。
こうした様子はデイビッド・ハルバースタム「ベスト&ブライテスト」(最も優れて頭脳明晰な人たち)に描かれている。しかし、その優秀な男たちが、まやかしの「エビデンス」に踊らされ、誤った判断をし、国を間違った方向に導いてしまった。
全体の戦局を表しているはずの数字が、記者たちの伝える「点」の事実よりもエビデンスとして低質だった。これはなぜ起きたのか?阪神大震災でもそうだが、上の人間が特定の数字を求めているとわかっているとき、都合のよい数字や情報ばかりが集まるようになることを表している。
大切なことは、点でしかない情報からも、全体を推し量る「洞察」をしようとすることだ。これまでの常識と矛盾する洞察であっても安易に捨てず、他にその仮説に一致する情報がないか、アンテナを張ることを怠らないようにする。安易に常識を捨てず、しかし仮説も安易に否定せず。
観察する際は、見たいものだけ見るのではなく、気づかなかったこと、気づこうとしなかったことに気づこうとすること。見ていなかつたものを観ようとすること。そして、数字を見るだけでなく、現場も観察する。都合を忘れ、現場で起きているものから様々な仮説を紡ぐ。
「結論」を決して出してはいけない。私達は「仮説」を紡げるに過ぎないのだから。仮説は常に新事実で覆る可能性を秘めている。そうした事実がないかを常に探し、反証で仮説を検証することが必要。
だから私は、現場の観察を重視する。数字も大切に考えているが、その数字は現場の何に基づいているのかを検証することを意識する。そうでなければ、数字は空虚なものになりかねない。
エビデンスを持っている気になったマクナマラのようになってはいけない。エビデンスに対する姿勢は、案外難しい。
「木を見ず森を見よう」と言われることがある。しかし私は「木も観て森も観よう、行きつ戻りつしてどちらも繰り返し観よう」と言いたい。数値で全体を把握しようとすると、どうしても解像度が粗くなる。数値化できるもの以外の情報を捨ててしまう(捨象)からだ。
他方、局所ばかり見ると全体の動きを見誤る。局所から豊かな現場の情報を五感で受け止め、まだ気づいていないことに気づこうとしつつ、全体から大きな傾向をつかむ。その両方を常に繰り返す必要がある。
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