「宿題」考

「宿題」考。
団塊ジュニアの私の頃は、宿題なんてせいぜい20分もあれば終わってしまうような量だったと思う。名古屋で育ったYouMeさんもそうだったという。せいぜいプリント一枚、それも毎日は出なかった。ところが今は、小学校によるようだけど、大量、毎日1時間はかかる量。多すぎ。

宿題が増えたのは、記憶をたどるに、ゆとり教育の反動のようなものだと思う。
ゆとり教育が始まると、ちょっとした恐慌が起きた。「学校では円周率を3としか習わないんだって!このままじゃ受験戦争を生き残れないよ」と不安になった親が、ともかく塾に行かせるように。通塾率が一気に上がった。

本当は、学校で円周率を3と習ったら、受験でも3としか出ないのに、塾もその恐慌を利用して親を脅す宣伝をするように。多くの親が子どもを塾にやるようになった。90年代後半のことだったと記憶する。
塾通いが増えた背景がもう一つある。この頃、子どもへの凶悪犯罪が相次いだ。

それまでは子どもが「公園に遊びに行ってくる」といえば、「晩ごはんまでには帰ってきなさいよ」と言えば済んだ。ところが子どもを対象とした通り魔的凶悪犯罪が相次ぎ、公園から子どもの姿が消えた。この状況は2000年代に入っても続いた。親同伴でなければ子どもは遊びに行けなくなった。

公園に行っても友達に会えない、友達と遊びたいなら塾で会うしかない、という社会状況に。そうしたことも重なって、都市部では塾通いが普通になってしまった。
子どもたちが公園に遊びに行けなくなったこともあり、時間を持て余すように、で、習い事を増やすことと、宿題を増やす方向に圧がかかった。

公園に行けないもんだから、子どもが家の中でグダグダしかねない。それなら塾を毎日にするか、他の習い事もさせよう、となった。
それでもずっと子どもたちは家にいる。遊んでいる様子を見ると、親は「負け組になるんじゃないか」と不安になり、学校に宿題を求めるようになった。「もっと宿題を」。

ゆとり教育への不安と、子ども対象の凶悪犯罪が相次いだ、その2つが原因で、子どもたちを勉強漬けにすることでもてあます時間を潰させると同時に、「勝ち組」にさせようとした。それが学校へ大量の宿題を求める機運になったと私は理解している。

ともかくこの時期は「勝ち組」「負け組」という言葉が盛んで、なんとか子どもを勝ち組にしようと妙に教育熱心な親御さんが増えた。プレジデントなどの経済誌が子育て専門誌を作り、親御さんの不安をあおり、より有名な塾へ、より難しい教材へと親たちを駆り立てた。

私の記憶では、2017年までこうした傾向が続いた。この年、変化が起き始めた。話題になったのがワンオペ育児。育児を一人で抱え込む状況に追い込まれた母親がSOSを発し始めた。このワンオペ育児による母親の孤独は、約20年続いた奇妙な教育熱心さに起因するように思う。

ゆとり教育への恐慌として始まった教育熱は、早教育へも親を走らせた。種々の子育て専門誌が「子どもを勝ち組にするために」というような特集を組み、親御さんを不安に駆り立て、早教育ブーム。すっかり小学校受験も盛んになり、あの有名小学校に入学させるために、と、小学校前から塾通い。

この時代の親御さんは、負け組になることへの恐怖心が強かったためか、「そこまでしなくても」という他の人からのアドバイスを受けつけようとしない傾向が強まった。他人が子育てに口出ししてくるのを嫌がり、子どもを勝ち組にするため、雑誌が勧める教育法にこだわる親が増えた。

他人からの口出しを嫌う傾向、世はしょせん勝ち組と負け組に分かれるのだ、綺麗事などいらないという世界観が支配したためか、いろんな場面で親が子どもに口出しされるのを嫌がった。親でない人間は、子どもを注意することがバカバカしくなり、「子育ては親の責任」と、親に全部責任を負わせる空気に。

電車で騒ぐ子どもがいても、誰も注意しない。親が静かにさせるのが当たり前、それが親の義務、という空気がまん延したのは、親が子どもを勝ち組にしようとするあまり、口出しを拒否する空気が二十年近く続いたのが原因のように思う。
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さて、宿題に話を戻す。恐慌状態になった親が、ともかく反復が大切だと考え、大量の宿題を求めるようになった。これはその時代、複数の小学校教員からたびたび聞かされた。「保護者からもっと宿題を出して、って要求されるんだよ」と。「出すのも見るのも大変だから、減らしたいんだけどね」

しかし、ワンオペ育児が注目される頃から、空気が変わったように思う。まず、親が変わった。世代交代し、親(特に母親)にすべて負担させる育児はもう無理がきていた。世間はますます子育てに厳しくなり、ついには保育園新設を「騒音、迷惑」と平気で言える社会になった。子どもは邪魔者扱い。

前の世代の親が、子育てへの口出しを拒否したツケが、今の親御さんに回ってきた。今の親御さんはむしろ第三者からの適切な子育てアシストを感謝する人が増えている。宿題に関しても、こんなに大量にこなすことに疑問を持っている。

以前の世代の親は、負け組になることへの恐怖から、子どもを監視するかのようにそばにはりつき、大量の宿題をこなすよう、子どもに求めていた。
しかし他人の口出しを拒絶する時代が続いたことで、今の親御さんはサボートがなさすぎ、少子高齢化が進んだこともあってより孤独に。孤立無援。

もはや、大量の宿題をこなすことに今の親御さんは意義を見失いかけている。しかも今の親御さんは、過去の親御さんたちが他人の介入を拒絶したために孤立無援に陥りやすい。宿題を大量に出す意味がもはや失われている(そもそも効果があるのか疑問)。しかし。

学校側は、親御さんたちからヤイノヤイノと大量の宿題を出すよう求められた記憶があり、宿題を減らすことにどうも恐怖があるらしい。思えば教育熱心な前の世代の親御さんは、モンスターペアレンツという言葉まで作り出した。学校にはまだその記憶が残っているらしい。

しかし、今の親御さんは、前の世代の親御さんが残した副作用に苦しんでいる。大量の宿題もその一つ。宿題は正直なくしてもいい(いっそ滅ぼしてほしい)と私は思うのだけど、せめて毎日はやめて、かつ、20分程度で終わらせる量に戻したらよいのに、と思う。

しかし20年間続いてきた「伝統」は、先生も容易に変えられないと思う。宿題が少なかった時代を知るのは五十代の教員に限られるかもしれない。若い世代の教員は、宿題を大量に出す時代しか知らないかもしれない。これだと、習慣化してなかなかやめられないかも。

宿題を「イヤイヤこなすタスク」にデザインされてるのを、改善するのでもよい。宿題を「やると楽しい」ものにリデザインしてほしい。
たとえば「ここにプリント置いときますが、やってもやらなくてもいいです」と言って教壇の上に置いとく。親御さんにも別途連絡し、「やらなくていい」と念を押しとく。

もし宿題してきて提出する子がいたら「やらなくていいのに、やってきたの!」と嬉しそうに驚けば、子どもは驚いてほしいから、多くの子どもがこぞってプリントを持ち帰るのではないかと思う。親御さんにも、「やらなくていい宿題をやっていたら驚いてください」と伝えておく。すると。

「あんた、やれと誰も言わないのに、えらいねえ」と親も驚き、感心することができる。子どもは宿題をすると親や先生を驚かすことができるようになり、得意満面になるように思う。宿題を義務ではなく、好きにしてよいものに変えるだけで、宿題は楽しいものに変わると思う。

小学校によっては、特定の宿題を出すのではなく、子どもなりに創意工夫した何かを提出する、というやり方があるらしい。こうした宿題なら、先生も予期しない体裁がとれるから、驚きやすい。先生が驚けば子どもはますます先生を驚かせようと企み、工夫を重ねる。

宿題を、刑務所でこなすタスクのようにデザインしてきたのを改め、楽しんで取り組める、親も教師も驚き、子どもがウキウキして取り組めるような宿題にリデザインしてほしい。
学ぶことは本来楽しい。その楽しさをずっと味わえる環境に子ども達をおいてほしい。そう願っている。

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