ハードボイルド考

朝ドラ「カーネーション」が終わってしばらくして、同じ脚本家がハードボイルドな短編ドラマを作るというので観てみたら、大変面白かった。そして、そこで出てくる男性がいかにも男臭く、そしてカッコよかった。まさにハードボイルド。YouMeさんに聞くと「カッコいい」という。

昨今、男性がハードボイルドなドラマって観ないというか、流行らない。それでもカッコいいと感じるのはなぜだろう?時代遅れとみなされる生き方かもしれないし、なんだか絶滅状態にも思うが、今でも真にハードボイルドな男性がいたとしたらモテると思う。

ハードボイルドがまだ盛んなりし頃のアニメで、「コブラ」や「ルパン三世」の主題歌が思い浮かぶ。「孤独なシルエット」「男という名の物語」とか、「男には自分の世界がある」「孤独な笑み」「背中で泣いてる」とか。ハードボイルドな男の素晴らしさを称賛する歌詞。けれど、一方。

自分のカッコよさに酔ってる歌詞だな・・・と、子ども心に感じていた。もしハードボイルドを気取ったとしても、ハードボイルドなマネをしたとしても、残念ながら自分に酔ってる勘違い男が一人生まれるだけなんだろうな、と。

「顰(ひそみ)に倣(なら)う」という言葉がある。昔、絶世の美女が胸の前で手を合わせ、眉をひそめて悲しそうな顔をしたとき、あまりの美しさに心を奪われたという話から、その姿をマネする女性が増えたという。コブラやルパン三世の主題歌は、そうした勘違いを生みやすいな、と思った。

他方、コブラやルパン三世は自分に酔ってるところが全然ない。自分の美学に酔ってるところもない。どちらかというと、自分の性格ではそうせざるを得ないことを悲しみつつも、仕方がない、と諦めているような。どこか達観しているところがある。女性にモテても、そこに留まらない感じ。

昔、儒教の朱子学で、甲乙つけがたく、将来が楽しみと言われていた優れた兄弟がいた。弟子たちが師匠に「兄弟のうち、どちらが優れているでしょう?」と尋ねた。すると師匠は、兄のことを「眼前妓あり、心中妓なし」、弟を「眼前妓なし、心中妓あり」と評した。どういうことか。

兄は、宴会に参加すると芸者とペチャクチャ語らい、誰よりも楽しく遊んでいるようだけど、心の中はどこかしらさっぱりしていて、常に何かを追い求めている。他方、弟は芸者と遊ぶなんてもってのほかと謹厳実直なフリをしてるけど、本心ではモテたくて仕方なく、心の中は芸者のことで一杯。

コブラは女性からモテまくるけど、どこかしらそこに留まらないというか。こだわりがない、執着がない。モテようと思っていないのにモテてしまう。でも、女性に冷たいわけではなく、女性の容姿にこだわらず、女性の心をまっすぐ見つめ、対等に語る感じ。

ルパン三世はハードボイルドとはちと違うし、不二子ちゃん一途だけど。不二子ちゃんにフラれても怒るわけでもない。どこか恬淡(てんたん)としてるというか、淡白というか。生きるも死ぬもあまり境がないというか。それでいて享楽的。享楽的なのにそこで酔わない。

高杉晋作に「おもしろきこともなき世をおもしろく」という句がある。ルパン三世は、まさにそれを地で行く感じ。別にもう、心から面白いと思えることはなく、どんなことにも酔えなくなっているのだけど、そんなつまらない世の中なら、いっそ面白おかしく生きようじゃないか、という諦め。

ハードボイルドとか、ダンディズムというのは、諦めとか悲しみから生まれてくる姿なのかもしれない。モテたいからハードボイルドを気取る、というのはすでにハードボイルドたり得てないというか、破綻している。凡人は無理をせず、「眼前妓あり、心中妓あり」が素直でよいのかもしれない。

ただ、ハードボイルドをなぜカッコいいと感じるのか、YouMeさんとも議論したがわからなかった。ハードボイルドとは何か、というのは話し合う中で見えてきたが、ハードボイルドがカッコいいのはなぜなのかわからない。今後、もう少しこの問題を考えてみたいと思う。

あ、ちなみに、ハードボイルドの男性は女性に徹底的に優しい。しかも対等に接してる。女性に手を上げはしない。コブラもルパン三世も、女性を見下す感じがない。あと、容姿ではなく相手の目をじっと見てる。相手の心を見てる感じ。そういう、欲望をどこか超越してるようなところが魅力的なんだろうか。

コブラの主題歌もルパン三世の主題歌も、ハードボイルドを外から見た描写としてはそのとおりなんだけど、ハードボイルドな男の心理に分け入った歌になっていない。「男という名の物語」「男の美学」なんてのは、たぶん、ハードボイルドな男には微塵もない気がする。

ハードボイルドな男は、こんな不器用な自分が嫌だし、もっと気楽に生きられたなら、と願ってる気がする。でもそれは自分の性格だと望むべくもない、と諦めてる感じ。そうせずにいられない哀しさ、というのかな。その翳(かげ)が魅力的なんだけど。なんで魅力的なんだろうね?わからない。

もしかしたら、振り向かせたくなるのかも。ハードボイルドは心に寂しさを抱えている。表面的な明るさがかえって翳(かげ)を濃くしている。女性である自分に対等に接し、常に明るく楽しくしてくれるのに、どこか寂しそう。その孤独を埋めてあげたい、という気持ちになるのだろうか。

ハードボイルドはなぜカッコよいと感じるのか、それにはどんな意味があるのか。また折りに触れ、考えてみようと思う。

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