気遣ってほしいときはまず相手を気遣うこと

年をとって気がついたこと。自分のことを気遣ってほしかったらまず相手を気遣うこと。
子どもの頃って、つらい、苦しいを伝えれば親が勝手に気遣ってくれた。その「成功体験」があるものだから、自分のことを気遣ってほしいとき、つらい、苦しいアピールしてしまう。しかし。

赤の他人は本来、こちらを気遣う義理はない。社交辞令で「大変ですね」くらいの言葉をゲットできる可能性はあるけど、心の中は裏腹に「メンドクセーやつ」認定される。「俺はお前の親ちゃうで?」と、むしろ心は離れる。

しかし自分より先に相手を気遣うと。赤の他人なのに気遣ってくれることが嬉しくなり、そんな貴重な存在を失いたくなくなる。だから逆に本当に気遣ってくれるようになる。自分の大変さアピールするより、相手の大変さを思い遣り、気遣うと、思い遣りと気遣いが返ってくる。相互作用的になる。

大人になれば、赤の他人と付き合うことがほとんどになる。赤の他人は家族と違って、親切にしたり気遣いする義理はない。それが赤の他人なのだから。家族とは違う行動原理になっている。それなのに家族と同じように思い、「俺は大変だから俺を気遣え」アピールしてしまう人がいる。知るかいな、になる。

でも、赤の他人は赤の他人ならではの不思議な心理システムが働くらしい。赤の他人なのに自分を気遣ってくれるという「奇跡」はまず起きない。起きないはずの奇跡が起きたとき、「こんな貴重な出会いを失いたくない」となるらしい。そんな人の気持ちをつなぎとめるため、発動する気持ちが、

こちらも相手を気遣うこと。この人の気持ちを思い遣り、その大変さを少しでも軽くしたい、という気持ちを自然に抱く。自分を気遣ってくれた嬉しさから、それを自発的にしたくなる。赤の他人だからこそ、こうした気持ちを持つ人はどうやら多いらしい(みんなではない)。

だから私は、年を食ってから、自分がいかに大変でつらくて苦しいか、というアピールは、「全くもってムダである」という学習をしたため、あまりしなくなった。その代わり、自分がしんどければしんどいほど、人を気遣うようになった。すると不思議なほど助けてくれる確率が高くなる。

あ、オレ今しんどいな、と思ったら、まず自分の身の回りの人を見て「大変ですね」「しんどくないですか」「できることがあったら言ってくださいね」と言うようにしている。そうすると、不思議なことにいつの間にか自分が助けてもらう形になってることが多い。人間って、本当にありがたいな、と思う。

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