私がSDGsをそれなりに評価する理由

「SDGsなんてマヤカシだ、心ある人をだまして金を儲けようと企む人間の表看板にすぎない」と、SDGsに対して批判的な声をよく聞く。なるほど、そうした面はあるのかもしれない。しかしそれでも、私はSDGsを比較的高く買っている。理由は、SDGsという概念がなぜ生まれたのか、と考えるからだ。

SGDsという考え方自体は、2015年9月の国連サミットで採択されたものらしいから、実は古いようだ。しかし私の記憶では、SDGsに急に注目が集まり出したのは、トランプ大統領が現れた後だったように思う。トランプ大統領の登場が、SDGsという考え方に強い意識を向けるきっかけになったと考えている。

トランプ大統領が登場する前のアメリカ、特にティーパーティーあたりは、どうも次のような世界観を抱いているらしい、と感じることが多々あった。「金持ちが豊かな生活を送り続け、貧乏人は地球環境のためにも死ねばいい」と。そうははっきり言わないが、考える方向性としては、格差是認もいいところ。

ところがトランプ大統領の登場や、サンダース議員の躍進を見て、アメリカの金持ちは肝を冷やしたらしい。「トランプ氏みたいなのが大統領になるとしたら、アメリカにもナチスや共産主義が現れ、支配する時代が来るかもしれない」と。

アメリカの金持ちは歴史をよく知っている。戦前、金持ち憎しの思想が二つ現れた。共産主義と、ナチス。一方は極左、一方は極右で全く異なるように思われるが、金持ち憎しという点でこの二つの思潮は似ていた。そしてどちらも金持ちの全財産を没収し、あるいは金持ちを虐殺した。

アメリカやイギリスは、そうした金持ちが生きていける数少ない国だった。この二つの国は、第二次世界大戦を何とか勝つことでナチスをまず滅ぼし、戦後も時間をかけて共産主義を崩壊にまで持っていくことができた。この二つの思潮が滅びるまで、金持ちは枕を高くして眠ることができなかった。

しかしソ連が崩壊し、共産主義も滅んだものだから、金持ちはまたぞろ「格差なんかいくら拡大しても大丈夫だろ、貧乏人は貧乏人のままほったらかしにすればいい」という考え方になり、イギリスとアメリカの金持ちは新自由主義の経済学者にふんだんに研究費を出し、格差拡大にいそしんだ。

ところがトランプ大統領の登場で、金持ちたちは青ざめたようだ。トランプ大統領は、「ラストベルト」と呼ばれる、昔は誇り高きエンジニアとして生きてきた人たちが大勢生きる町、しかし古い産業しかないために貧困にあえぐ人たちの不満を吸収して大統領に上り詰めた。

この事実は、金持ちたちの心胆を寒からしめた。「格差の拡大が人々の不満を増幅させ、共産主義かナチスのような、金持ち憎しの思想がアメリカさえも支配する時代が来るかもしれない」。トランプ大統領は幸運なことに、自身も金持ちだから金持ちを困らす政策はとらなかった。しかし。

トランプ氏みたいな人を大統領に押し上げる力がアメリカの中で膨らんでいるとしたら、次は共産主義かナチスのような、金持ち憎しの政権が生まれないとも限らない、と金持ちたちは恐怖したようだ。その結果、金持ちたちが急に言い出したのが、ステークホルダー資本主義とSDGsだった、のではないか。

ステークホルダー資本主義とは、企業に関係するすべての利害関係者(ステークホルダー)に利益が分配されるべきで、金持ちである株主ばかり優遇する株主資本主義からは足を洗うべきだ、というものだった。このことを金持ち自身が真剣に議論し始めたのは、それだけ恐怖が強かったのだろう。

ESG投資とか、エシカル投資とか、金儲けばかり考える投資ではなく、環境の事や、働く労働者の待遇などにも配慮した投資をすべきだ、と、金持ち自身が急に声高に叫び出した。これは、トランプ大統領で垣間見た「金持ちへの憎悪、怨恨」のエネルギーをなんとか冷まさねば、という恐怖だったのだろう。

そして、このステークホルダー資本主義と軌を一にするかのように声高に言われるようになったのが、SDGsだった。おそらくSDGsは、人権団体や環境団体など、真面目にコツコツ運動してきた人たちが作り上げた概念だと思うが、金持ちたちがCMにカネをかけて積極的に広めるようになった。

SDGsの概念で、一つ重要な要素がある。「誰一人取りこぼさない」。これは、トランプ大統領が現れる前、アメリカの金持ちたちが最も冷笑を浴びせていた概念だった。貧乏人は死ねばいい、と、口では言わないが態度ではっきり出ていた姿勢と、正反対の要素だ。これを宣伝するようになったということは。

アメリカの金持ちは、SDGsの「誰一人取りこぼさない」という方針を是認しなければ、自分たちの命が危うい、ということに気がつき、遅ればせながら方針を転換したということなのだろう。少なくとも、私はそう解釈した。

おりしも、2020年から新型コロナが大流行し、貧しい人はますます厳しい生活を強いられた。このままでは、世界が壊れるとき、その憎悪が金持ちに一気に向かうかもしれない。そう金持ちは恐怖したようだ。それだけに、SDGsの概念を必死になって、宣伝費もかけて訴えたのではないか、と考えている。

だから私は、少なくともSDGsの「誰一人取りこぼさない」という概念は、金持ちからようやく勝ち取れた「言質」としてとらえている。「言ったよね?大切だと言ったよね?だったら、守ってもらおうじゃないの!」という気持ち。だから、私は、SDGsはむしろ大切にすべきだと考えている。

ただ、私が心配しているのは、またぞろ金持ちが開き直り始めていることだ。新型コロナは、どうやら短期間で開発できたワクチンのおかげで克服できるかもしれない、という様子が、2022年になって見えてきた。すると金持ちの一部は、「このまま格差を広げても構わないんじゃね?」と考えだした様子。

2021年が暮れるまでは、株主資本主義を批判するツイートを書いても、否定的な反応は皆無に等しかった。むしろ共感してくれるものが多かった。違ってきたのは、2022年の春に入り始めたころ。どうやら新型コロナで死ぬことはないらしい、となり出してから、また急に。

株主資本主義のどこが悪い、金持ちが金持ちで何が悪い、能力のある人間以外は社会に必要ない、悔しければ株をやって儲けるがいい、それもできない癖に、と、ステークホルダー資本主義やSDGsとは逆の方向の発言がわんさか私に寄せられるようになった。

この人たちの胎動と呼吸を合わせるかのように、それまで比較的活動を抑え気味だった竹中平蔵氏がムクリと元気になり始め、新著を出版、「貧乏人にはベーシックインカムを渡し、その代わりすべての福利厚生をはく奪すればよい、それで浮いたお金は金持ちが収奪を」とやり始めようとしていた。ところが。

そんな折に、安倍元首相が手製の銃で撃たれ、亡くなった。これを見て、竹中氏は恐れをなしたらしい。それまでは「日本でどれだけ貧乏人を苦しめ、金持ちに有利な社会になるよう提言しても、殺される心配はない」と高をくくっていたのが、「次に殺されるのは自分かも」と恐怖したようだ。

新著の宣伝もそうそうにやめてしまい、派遣会社会長の座も降りて、そのまま姿を見せなくなってしまった。
こうしたトラブルはあったものの、竹中氏がまたぞろ活躍しようとしたということは、アメリカの金持ちが再びSDGsの精神を無視して、自分たちに有利な社会を作ろうとし始めていた兆候なのかも。

そして事実、あれだけ「新しい資本主義」と口にし、参院選でも勝利した岸田首相が、急に正反対に舵を切り、「資産所得倍増計画」などと、株主資本主義そのまんまのことを言い出した。しかもそれを、イギリスの金融のメッカ、シティで演説するというありさま。

これはおそらく、アメリカやイギリスの金持ちたちが、参院選に勝った岸田首相にクギを刺したのだろう。また、そのころに竹中氏が新著を出したりNHKで論陣を張ろうとし始めていたのも、アメリカやイギリスの金持ちの胎動を受けての動きだったのだろう。SDGsを再び踏みにじろうとしている。

ただし、アメリカの金持ちももはや一枚岩ではない。確かに新型コロナは克服しつつあるのかもしれない、しかしトランプ大統領を生んだという事実は変わっていない。もし格差をこのまま放置したら、トランプ氏以上にナチスや共産主義に近しい、金持ち憎しの思想がアメリカを支配するかもしれない、と。

そうなればアメリカやイギリスの金持ちたちは、全財産を没収されたり虐殺されたりする時代が来ないとも限らない。そんな恐怖を抱いて、今もステークホルダー資本主義やSDGsを捨てずに頑張っている金持ちもいるようだ。私たち貧しい側の人間は、この志を応援する必要がある。

SDGsの「誰一人取りこぼさない」という概念を、金持ちに捨てさせてはいけない。一度とった言質だから、これを大切にし、格差をひたすら拡大し、富を金持ちの手にだけにしようという動きに歯止めをかける必要がある。大丈夫、金持ちも志を同じくする人が既にもう少なくない。彼らを応援すべきだ。

この動きは、結局のところ、格差を拡大しよう、金はすべて金持ちだけが独占しよう、としている輩たちの命と財産を守ることにもつながる。私は、その人たちが虐殺される時代が来るのを望まない。そんな凄惨なことは起きてほしくない。だから未然に防ぐ手を必死になって訴えている。

格差を拡大する方向に世界を動かしてはならない。できるかどうかではない。「誰一人取りこぼさない」、この覚悟を持って、これからの難局を乗り越える道を探らねばならない。人類が未来も生き残れるとすれば、この一点を守り切ることでしか道はない、と私は考えている。

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