農業と非農業は食料安全保障を補完し合う関係

食料安全保障といえば、農家が頑張ることか、頑張る農家を応援することだと考えられることが多い。このため、話は農業の話ばかりになりやすい。しかし私は、考えれば考えるほど、非農業が食料安全保障に貢献する度合いが強いと感じるようになった。農業も大事だが、非農業の頑張りも大事。

飢饉や食料危機が起きる国は、必ずと言ってよいほど、農業くらいしか産業がない国。国民の多くが農家。なのに飢える。農家は食料を自ら作る人たちなのに、なぜ飢えるのか?それは、なんともわかりにくい話だが、非農業の産業が育っていないから。

非農業の産業が育っていないと、農家は自分の作った農産物を買ってくれる人がいない。買ってくれる人がいなければ農家は現金がろくに手に入らない。そんな中、凶作が起き、ろくに農産物が作れなかったら。金がないから食料が買えない。市場経済では、お金のない人は存在しないことになる。

店先に農産物が並んでいるのに、それを買えない農家は、食料が足りず、餓死しかねない。泣く泣く、耕作に必要な家畜を売ろうとしても、その地域の農家がみな同じように家畜を売ろうとするから大暴落。大した金にならない。なけなしのお金で穀物を買ってもすぐ底をつく。

ついに農地を売り払う覚悟をしても、やはり農地を売る農家ばかりだから二束三文。こうして農地も失い、家も失い、仕事を求めてさまようが、その地域では仕事を求める人だらけだから賃金低下。そんな安い賃金では生きていけない。それもまだ仕事がある人はいい。仕事の口はそんなにない。

こうして、現金の底をついた人たちが、すぐ隣の地域には食料が十分あっても、それを買うお金がないために餓死していく。非農業の産業がないから、ろくに仕事が見つけられず、餓死することになる。

しかし非農業が元気な国では、農家が作る農産物を、お金を払って買う消費者がたくさんいる。農家は現金を得やすい。また、非農業の産業が分厚いと、仕事も多い。現金を手に入れる手段が多く、飢えるところまでで止まる確率が高い。

飢饉が起きるのは非農業の産業に厚みがなく、農業くらいしか仕事がないときに起きやすい。これに対し、非農業の産業に厚みがあると、農家も現金を手にしやすくなり、飢えることは減る。非農業が強いと海外から食料を買いつける力も強い。非農業の厚みは、食料安全保障に重要。

もちろん、非農業が作る製品は食べられない。だから、非農業の強みは農業あってこそ。しかし農業をやっている人が経済的に極端に困窮せずに済ませるには、非農業の元気さも必要。農業の非農業は、相互補完的な関係。いがみ合うのではなく、助け合う関係。

食料安全保障には、農業ばかりでなく、非農業も元気である必要がある。どちらが欠けても食料安全保障は不安定になる。この視点を持った食料安全保障の話はあまり聞かないが、どう考えても、その視点が大切なように思う。こうした視点で、食料安全保障を共に考えていって下さる方が増えることを願う。

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