「子どもの算数、なんでそうなる?」読了

谷口隆さん「子どもの算数、なんでそうなる?」読了。
算数、数学といえば答えが確実に一つだけ出てくる学問。正解でなければ間違いしかない、というのが常識。けれど著者の谷口さんは子どもの計算間違いを観察し、楽しんでいる。どんな風に考えてそんな答えを出したのだろう?と。

子どもが間違った答えを言うときにも必ず理由がある。一体どんな理路でそういう答えを導いたのか観察してると、意外にしっかりした理屈から導き出していることがわかる。しかも教えなくても、いつの間にやら修正している。数学者でもある著者は、誤りというステップは数の理解をする上で重要だという。

本を読んでると何度も「懐かしい!」と思った。私も子どもが間違った計算をしたとき、なぜその答えを導いたのかが楽しくて観察していた。すると、大人とはかなり違う理路で理解していることがわかった。大人が理解しているやり方を教えると「木に竹を接ぐ」になってしまい、かえって理解の妨げに。

私達は数学を理論、筋道で理解する学問だと思い込んでおり、そのために算数や数学を教えるにも理屈で教えようとしてしまう。しかし著者によると、算数の理解は経験の蓄積で初めて可能になるのだという。これは私の経験でも同感。

息子は3+2を計算するときは、3つの点と2つの点を書いて、それを「いち、にい、さん」と数えて答えを導いていた。それを一体何十度繰り返したかわからない。ある日、いきなり「5」と答えるように。3+2は何度計算しても必ず5になるということを、経験から学んだらしい。

その確信が持てるまでは、3+2は、日によって答えが違うかもしれない、と幼児は感じているらしい。必ず5になるという確信が持てるほどの経験値がない。だから何度も何十度も「いち、にい、さん」順番に数えていくことをしないといけないのだろう。

3+2と2+3は同じ答えになるという、大人からしたら自明の理も、相当の回数計算して初めて「順番が変わっても答えは同じ」になることに得心がいく。こうした算数の法則を一つ一つ自分のものにするためには、膨大な経験の蓄積が大切なことを、著者も指摘している。

算数の理解も、「立つ」とか「走る」などの技能と似ているのかもしれない。寝返りやハイハイ、つかまり立ちなどのステップをすっ飛ばして立たせよう、歩かせようとすると、かえって歩くのが遅くなるという。基礎を怠って応用に進もうとすると、かえって成長の妨げになりかねない。

親は早く正確に算数をマスターさせようとすることがあるけれど、そのためにかえって子どもの理解は浅くなり、ハイハイをせずに歩かされた子どものようになってしまうのかもしれない。算数も、いろんな間違いをしながら自分で気づき、補正する「迂路」が大切なのかもしれない。

私は自分の子育ての経験上からも、また塾で子どもたちを教え、観察してきた体験からも、子どもが間違い、誤解する「迂路」をともに歩み、楽しむほうがかえってその後の理解の深さ広がりがしっかりすると考えていたのだけど、数学者である著者も同じ考え方であることをを知って、嬉しい気持ち。

子どもに算数好きになって欲しいなら、得意になって欲しいなら、著者と同様、誤解・間違いの迂路をともに観察し、楽しむのがよいように思う。幼稚園の道すがら、子どもはいろんな発見をする。それと同じように、数に関する迂路も、一緒に楽しむとよいと思う。

数学者の著者が、娘さんとどんな寄り道を楽しんだかを見ると、焦ってる親御さんも「こういうアプローチがあるのか」と、肩の力が抜けるのではないか。ご一読をお勧めする。

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