相手の心を観(み)、自分の心を観、結びつける道を探る

塾をやってるとき、指導に大変悩んで子育て本を読みあさったけど。「正解」しか書いてなくて困った。その正解がどんな場面で活用できるのかが書いてない、わからない。テーブルマナーを台所で再現してしまいかねないくらい、チグハグのことやってしまいそうな。「場面」が書いてなくて困った。

人間は場面によって心理が大きく異なる。いたずらっ子が場面違うと大人しかったり、大人しい子が図に乗ったり。場面によって性格も変わる。相手が変わると全然違う。なのに昔の子育て本は、理想の型みたいなのを提示して、これを24時間目指しなさい、みたいな。場面変わったら役に立たない。

恐らく当時は、「理想の型」というのがこの世に存在するという思い込みがあったんだろうな、と思う。王貞治さんの一本足打法を「理想のバッティングフォーム」と呼んでたように。その理想なるものをコピペできたらみんな王さんみたいになれるけど、それには大変な修行が必要、みたいな。

コーチングでちょっとマシになった。コーチングは問いかけることで相手の反応を待つもの。だから相手を観察するクセがつきやすい。相手を観察するということは、「場面」によって相手の心は移ろいやすいということも分かるようになる。場面ごとに対応を変えねばならないかとも解る。ただし。

コーチングの多くも、半分は「正解」を書いてる状態。それは、コーチングを行う自分の心理分析を置き去りにしてること。
コーチングの技術でああした方がよい、こうした方がよいと分かっていても、自分の心が追いつかないことが多い。自分の心が納得できてないから、実行に移せない。

子育てや部下指導では、相手の心の動きを観察するだけでなく、自分の心の動きも観察する必要がある。いつも細かく口出ししてしまうのはなぜか。相手が行動に移るまで待てないのはなぜか。つい怒ってしまうのはなぜか。相手にイライラしてしまうのはなぜか。それらを置き去りにしたらうまくいかない。

上座部仏教の考え方は、自分の心を観察する方法を考える上で参考になった。ただ、自分の心ばっかりで、相手のことをどうこうするのは原則「諦める」哲学なので、相手にどう作用するかというテクニック的なことはあまり語られていない。というか、語ろうとしてない。

そんなこんなをいろいろつまみ食いして、私なりに組み上げたのは、
・相手を観察し、どんなインプットや環境が整えば心が動くか、仮説を立てる
・そのインプットや環境を提供する時、自分の心の中にどんな障害があるのか徹底して観察し、無理のない心の道筋を探る
その両者を結びつけるというもの。

たとえば離乳食の時。食べることに集中してほしいのに、あっちこっち向いて、遊んでばかりで、ちっとも食べてくれない。食べてる時はたいがい向こう側を向く。仕方なしに勘でスプーンを口に持って行くと、口が開いてなくてぼろぼろ落ちる。ああ、片づけなくちゃ。

子どもの心理と、自分の心理を考えた上でたどり着いたのは「ホバリング」。赤ちゃんが首を伸ばせばパクつける位置にスプーンを空中停止。あとは待つのみ。
いつもは遊んでいても、よそ事に気を取られていても、自動的に口まで運ばれてくるはずのスプーンが来ない。すると、スプーンに気がつく。

すると、赤ちゃんは口を開ける。さあ、スプーンを口に入れるがよろし、とばかりに。しかしホバリングさせたまま。
すると、赤ちゃんは自分から首を伸ばし、スプーンにパクつこうとする。
次のスプーンもホバリングすると、赤ちゃんはあまりよそ見せず、スプーンに首を伸ばしてパクつく。

赤ちゃんは「能動感」を常に求めている。自分が能動的に動いた時に何かが変わる、初めて何かがなし得る、という感覚を楽しみたい。
ところがスプーンが常に自動的に口元に運ばれてくる場合、能動感が得られない。だったら、よそ見して別の楽しみを探すという能動感を求めたくなる。

ならば、ということで、私はスプーンをホバリングさせることで、食べるということに一定のハードルを設けた。首を伸ばさねばスプーンに口が届かない。すると、赤ちゃんは能動的に動き出す。パクついた時、私が「おお!」と驚いてみせると、赤ちゃんはちょっとした達成感を味わえる。

スプーンの位置をさっきより少し離し、「さあ、この位置に君はたどり着けるか?」と挑戦を促すと、赤ちゃんも必死になって首を伸ばす。私は「いけるか?いけるか?もう少し!やったあ!」と、実況中継と驚きの声を上げると、赤ちゃんは次もこのゲームを楽しもうと、スプーンを心待ちにする。

赤ちゃんの「能動感、達成感を味わえる楽しみを探したい」という心理、私の「早く離乳食を食べてほしい」という両者の心理を分析し、両者をつなぐ道筋を探した結果、見つけたのか「口元から離した場所にホバリング」だった。そして実況中継と驚きの声。それによって、「スプーンに届くかゲーム」に。

私の書いた子育て本や部下育成本の特徴は、私自身が悩んだあげく、相手の心理と自分の心理を分析して、両者をつなぐ道筋をその場その場で見つけるしかないんだな、という考えのもとにまとめていることかもしれない。相手も人間。自分も人間。腹が立つことも不満を持つこともある。人間だもの。

では、この場面で相手はどんな心理になりやすいか。自分はどんな心理になりやすいかを分析し、その場面でどんな一石を投じれば相手と自分の心が協調できるかを模索する。人間だからこそ、人間心理として無理のない、ごく自然にそっちに向きたくなるような一石。

基本、ゲームにしてしまうことだと思う。相手が能動感、達成感を味わえるゲームに。自分は、相手が能動感を味わわせることができるか、というゲームに。相手が能動感を味わえるように、ハードルを少し設けておく。そしてその様子を実況中継し、驚きの声を上げる。運動会で頑張る姿を応援するような。

あらゆる場面をゲームにしてしまう。楽しんでしまう。相手と自分が織りなすゲーム。そしてゲームには、少し背伸びしたら達成できそうなハードルがある。ハードルを乗り越えられるかどうか、ハラハラしながら実況中継し、乗り越えたらハイタッチ。そうしたゲームデザインをすること。

世の中をゲームと見つめ直したとき、いろいろ攻略法を考えるのが楽しくなるように思う。ある意味、私の本は、子育てや部下育成の場面をいかにしてゲームにしてしまうか、というものなのかもしれない。

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